verse, prose, and translation
Delfini Workshop
猿蓑:「鳶の羽も」の巻(9)
2012-06-24 / 芭蕉
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■旧暦5月5日、日曜日、
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(写真)杖
日曜日の夕方、季節もいいので、鳥孝で唐揚にビールが定番になって来た。テーブルのお向かいを何気なく見ると、50代後半の男性が泣いている。「オレはもう駄目だ」と泣いているのである。目立たぬように、眼鏡を取って、涙を拭っているのである。しばらく、泣くと、アジフライと蒲焼をみやげに店を出て行った。生きていくのは、いづれにしても、辛い。幸福なのは、せいぜい、小学生くらいまでか。「オレはもう駄目だ」 そう思ったことは、オレも何回もあるなぁ。それでも生き延びた。なんとかなるさ。そして、人は、いづれは、死ぬ。せいぜい、できるのは、後悔のない生き方のみかもしれない。
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romieとのコラボレーションが、二つほど、進展した。議論し合いながら、手さぐりで進めているが、そのプロセスがまた楽しい。俳諧や、連詩、英語連詩などについて、ぼちぼち、勉強していきたいと思っている。
collaboration Fukushima (9)
collaboration Fukushima (10)
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フェイスブックで、チャールズ・シミックというセルビア系アメリカ詩人を知って、なかなか、面白いので、少しづつ読んでいる。ここから>>> 更新したら、ここで、告知します。
また、シオランのヘーゲル論は、読み終わり、今度は、北斎論へ入る予定。ここから>>> ご興味のある方はどうぞ。
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何事も無言の内はしづかなり 去来
里見え初て午の貝ふく 芭蕉
■俳諧で凄いなと思うのは、展開の内的飛躍だ。前の句から連想するだが、連想するときの「見定め方」が見事で、新しい世界が開かれてゆく。連詩をやっていると、前の句の「世界」を見定めるのではなく、前の句の中の言葉から、別の言葉を連想して、世界を作ってしまうことが多い。そのため、似かよった世界が立ちあがってしまう。芭蕉の去来の世界の見定めは、「山伏の行」である。そういう認識枠組みで、新しい世界を構築している。しかし、山伏の世界から、この動きのある世界の構築までは、だれでもできるものじゃないと思う。ちなみに、「午の貝ふく」とは「正午」を知らせる法螺貝を山伏が吹くこと。
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俳諧:猿蓑「鳶の羽も」の巻(8)
2012-06-13 / 芭蕉
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■旧暦4月24日、水曜日、
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(写真)十薬
このところ、とんでもないニュースばかりで、いささか、うんざりしている。大真面目な顔で茶番を演じる大根役者が多すぎる。その茶番は、笑って済ませられない。真剣に問題を考えることもなく、金で命を売っているからだ。
ザルツブルクで70年代から反原発運動に携わっている人から、ロベルト・ユンクの『原子力帝国』を教えてもらった。原子力産業を構造的に分析した本書は、30年以上経つが、今もアクチュアルだと思う。79年に日本語版も出ているが、現在、絶版。古本は非常に高価なので、図書館などで読まれたい。ドイツ語の原書は、安いが、ドイツ・アマゾンでは古本扱いで、海外からは入手できなかった。
romieとのコラボレーションが、新しい展開に。ここから>>>
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はきごゝろよきめりやすの足袋 凡兆
何事も無言のうちはしづかなり 去来
■面白い展開。前二句の人の独白とも取れるし、去来の前展開への批評とも取れる。小学館の松尾芭蕉集②では、「足袋」から能舞台への連想を見ていて、面白い。能の足運びは、剣の足運びと共通するものがあり、去来の付けに、その影を見るとしたら、なかなか、迫力が出てくる。
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