goo

飴山實を読む(146)

■旧暦1月15日、

(写真)無題

どうも仕事をやる気にならず。面白いが、あまりにも煩雑なので、逃げ腰モードに。春雨の上がった町を散歩。空気がつめたくて気分がいい。モスで俳句を作る。2月尽、もろもろ、溜息の出ること多し。




光陰のそれぞれにあり竹の秋
   「花浴び」

■黄ばんだ竹の葉のそれぞれが、光と影に揺れている。そんな情景が浮かんで惹かれた。竹林を見るとなぜか和む。



Sound and Vision

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(145)

■旧暦1月14日、土曜日、

(写真)紅白梅

仕事が進まないうちに一週間経ってしまった。梅は、風雨で散り始めている。先日、梅の花吹雪というのを初めて体験した。




改札を出て筍の別れかな
   「花浴び」

■ユーモアがって惹かれる。「筍の別れ」という措辞だけで、どういう経緯の二人なのか、見えてくる。こういう表現は、日本語ならでは、という気がする。欧文では、説明を尽くさないとその面白さは伝わらないと思う。



Sound and Vision

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(144)

■旧暦1月13日、金曜日、

(写真)無題

午後から、デイサービスを見学。ずいぶん、自由で、いい雰囲気だった。おばあちゃんの方がじゃっかん多い。看護師、リハビリ訓練士が常駐している。ボケ防止という練習問題シートを見せてもらったが、かなり難しいので驚いた。夕方から久しぶりに飲みに出る。ほっけが旨かった。




いとざくら風の有るところ無きところ
   「花浴び」

■これも、動きがあって惹かれる。確かに枝垂桜は、こういう微妙な動き方をする。實に刺激されて、意識して、動詞を使ったり、名詞でも、動きを出そうとしているが、なかなか難しい。とくに欧文で俳句を書く場合、こちらの表現ストックが貧弱なので、いきおい、名詞と名詞のぶつかり合いになる。「命の動き」をどう表現するかは、なかなか面白い課題だと思う。



Sound and Vision

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(143)

■旧暦1月12日、木曜日、、春一番吹く、北野天満宮の梅花祭

(写真)無題

午後、近くの公園に梅見。紅白梅が満開。仕事が難航。毎日眠い。



花掃いて流れにすゝぐ竹箒    「花浴び」

■實の句は、どれも動きがって惹かれるが、この句も、花びらが流れに乗っていくさまが見えてくる。生活がそのまま詩になっている。都市の生活というものが、今もある意味で、特殊であることを、想起すべきなのかもしれない。



Sound and Vision



※ Mozartの季感は春という気がする。その愁いも含めて。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(142)

■旧暦1月10日、火曜日、

(写真)無題

塾の方が、一段落したので、翻訳に集中する体制ができた。3月は、端境期になるので、1月、2月よりも、時間的な余裕ができる。それはすなわち、金がないということでもあるのだが…。だから、というわけでもないが、山之口貘の詩をよく読む。しかし、何もない清々しさというものはあるなあ。われもまた、いやはやの人生! 




夜景              山之口獏 



あの浮浪人の寝様ときたら

まるで地球に抱きついて ゐるかのやうだとおもつたら

僕の足首が痛み出した

みると、地球がぶらさがつてゐる





したゝかに夕鶯に啼かれたる
   「花浴び」

■この余韻に惹かれた。散文的に自分を説明したがる俳句が多い中で、余計なことは何も言わないが、必要にして十分な句。この余白にこそ、人生がトータルで存在するとぼくは思うのである。



Sound and Vision

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(141)

■旧暦1月9日、月曜日、

(写真)無題

暖かい日だったが、空気はまだ冷たい。電気工事関係の連絡とデイサービス関係の連絡、買い物、雑用。今日は、金崋山の鯖を生姜醤油で焼いて、身をほぐし、丼飯に載せて、刻み葱を振りかける鯖飯を作ってみた。漁師料理らしい。美味。

他人のtwitterアカウントをハイジャックして、spam dmをdirect messageで送る手口が流行っているようだ。よく知らない相手だと、実は、その手の業者だったのかと思ってしまう。現に、followerの中にも、業界女性が何人かいたのだから、なおさらである。

大学生の娘と話していて、ドイツと言えば東西ドイツ、という発想がないことがわかって吃驚した。言われてみれば、あたりまえなのだが。



山ざくら僧と嫗と道づれに    「花浴び」

■物語の気配があって惹かれた。人にはそれぞれ、人生の物語があるが、それを濃厚に漂わせる言葉の使い方があって面白い。



Sound and Vision

武満徹が「インターナショナル」をギター用に編曲していた。今まで気がつかなかった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(140)

■旧暦1月8日、日曜日、

(写真)土偶の行列

昨日、久しぶりに上野に出た。土偶展を見てきた。予想以上に芸術的で、現代彫刻を思わせるような造形美だった。ただ、どの土偶にも、魂の祈りや叫びがあって、作品以上の何かが感じられる。現代芸術、あるいは現代テクノロジーの忘れてきたものが、ここにはあるのかもしれない。

昨日は、気持ちのいい日だった。何年かぶりで、季語「春の日」の本意を感受できた。




残生やひと日は花を鋤きこんで
   「花浴び」

■非常に印象的で味わい深い句。この上5は非凡である。中下は出たとしても、上5をこれに定めるのは、相当な内省力が必要だと思う。



Sound and Vision










コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(139)

■旧暦1月7日、土曜日、

(写真)春の雲

いろいろな人が言うように、インターネット、とくにtwitterは「今」の時間が異常に肥大する。ここからこぼれ落ちるものの一つは、歴史意識ではなかろうか。ニーチェは、歴史を三つに分けている。一つは、英雄が活躍するヒーローの歴史。二つは、好事家の対象になる歴史的断片の収集。三つは、批判的歴史。三つの目の批判的歴史は、ベンヤミンの歴史観と重なるものがあるように思う。ベンヤミンは、敗北して痕跡を消されたもの、封印されてきたもの、タブーになってきたもの、蛇蝎のように忌み嫌われてきたもの、嘲笑されてきたものの中にこそ、歴史のコアが存在すると述べている。批評的散文ではなく、文学で、こういう批判的な歴史を表現できないものかと、漠然と思う。



花浴びの羅漢はどれも男かな   「花浴び」

■風情に惹かれた。「花浴びの羅漢」という措辞が「男かな」と呼応している。羅漢を読んだ俳句は多々あるが、これは、羅漢の存在の確かさを捉えているように感じた。



Sound and Vision

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(138)

■旧暦1月3日、火曜日、

(写真)河津桜

近所の河津桜にめじろが来ていた。夜は冷え込むらしい。ハマコーのtweetが笑える。ノイズとして、流している。



猫の恋お東さんの縁はしる   「花浴び」

■ユーモアに惹かれた。縁は縁側だろう。これも面白い。仏の手のひらの中を猫が走り回っているようだ。何気ないけれど、「恋の猫」ではなく「猫の恋」としていったん呼吸を置いている。こうしたことで、「猫の恋」全体が持つおかしみが立ち上がってくる。「恋の猫」とすると、中7下5の主語として焦点化され、欧文などには翻訳しやすくなるが、日本語の俳句は、論理の切断がある方が面白くなる(とぼくは思っている)。しかも、このことで、わけがわからなくなることはない。下5「はしる」の主語は猫に決まっているからだ。



Sound and Vision



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(137)

■旧暦1月2日、月曜日、

(写真)菜の花が開花

早朝から作業開始。午前中、買い物に行くと、雨が降ってきた。今週を突破できれば、来週は、かなり翻訳に時間が割ける。叔母のデイサービス、デイケアの選定を行う。いくら強い人でも、体の調子が悪いと、気弱になる。同じような年齢で、境遇も似ている人と話すのは、気分の安定につながると思うので、一度、見学に行くつもりなのである。




ままごとのわらべのしたる懐手
   「花浴び」

■これも、ユーモラスで惹かれた。情景が見えるようだ。この子は、父親の姿を見て真似ているのではなく時代劇などの影響かもしれないな。



Sound and Vision









コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ