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月はどっちに出ている

月曜日、。旧暦、10月7日。

崔洋一監督の「月はどっちに出ている」(1993年)を観た。崔監督は、去年、「血と骨」を観て、圧倒されてから、関心のある監督だった。原作は梁石日「タクシー狂躁曲」。梁石日は「血と骨」の原作の著者でもある。

映画「血と骨」でディープな暴力とそれによる神話作用に圧倒されていたので、この映画の現実を笑いでくるんだアプローチに、最初は、肩透かしを食ったような感じた。しかし、観終わって、これはかなり計算された、優れた作品だと思うようになった。せりふは、現実にかわされている本当に近い感じが出ている。公の場で、このまま、やりとりしたら、「差別だ!」といきりたつ者も出てくるだろう。その意味で、笑わせながらも現実に肉薄する崔監督の果敢さは、特筆すべきだと思う(映画の終わりに、言い訳のように、「この映画はフィクションであり、現実の団体・人物とはいっさい係わりがありません」という白けた字幕が出ることがあるが、この映画は、一番最初に「この映画はすべて事実です」と字幕が流れる!)。

この映画では、役者の演技が絶妙で、唸らされる。主演の岸谷五朗のとぼけたちょい悪ぶり、フィリピンパブのチーママ役のルビー・モレノの大阪弁の可笑しさ、したたかさ、そして、かわいらしさ。主演二人の名演技を食ってしまうような脇役陣の凄さ。中でもホソ役の有薗芳記の哀しい演技には心打たれた。元ボクサーで、カネがいつもなく、かみさんに逃げられ、故郷に子供たちを残してタクシー運転手しているパンチドランカーの小男を見事に演じている。忠男(岸谷)とコニー(モレノ)がエッチしている部屋に何度も電話してきて、「一瞬、カネ貸してくれよぉ」と迫る可笑しさ。このせりふは、何度も何度も白痴のように繰り返され、「おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな」という感じになってくる。もう一人、忘れられないのが麿赤児である。実に上手い! あの怪優が、常に「ですます調」を崩さないタクシー会社の小心な統括責任者を演じている。

この映画は、一面で、アジアでは、まだ冷戦が終わっていないことを想起させる。他方で、在日朝鮮人や在日韓国人、フィリピン人、イラン人といった、日本の周辺に生きる人々が、生命エネルギーをほとばしらせ、抑圧的な現実と渡り合っていく姿が描かれている。笑わされて、哀しくなって、最後に、元気出して行こう! そんな気にさせる映画である。


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オデッサ・エンタテインメント



タクシー狂躁曲 (ちくま文庫)
梁 石日
筑摩書房







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翻訳詩の試み(13)

金曜日、。洗濯物がよく乾いた。旧暦、10月4日。

午後、買い物に出たときに、司馬遼太郎の対談集『日本語の本質』を衝動買い。ぺらぺら読んでいたら、詩人の小野十三郎がソ連と北朝鮮から来た詩人を歓待したときに、二人にこう言われたのだという。「小野先生は、日本の代表的な詩人ですから、一つ自作を歌ってください」小野十三郎は困ったらしい。日本では、詩は歌うものじゃなく、テキストとして読まれるものだからと。ソ連と北朝鮮の詩人は朗々と自作を歌ったという。

これは、示唆的ですね。小野十三郎が現代詩の一つの源流になっていることを示しているだけではなく、現代詩がテキスト中心になってきたことと共同体から詩人が離れ孤立してしまったことが関連するようで。もちろん、近代詩やそれ以前に単純に戻って、歌えればそれでいい、というものじゃなく、現代詩の成果を踏まえて、これをaufhebenすることが必要だと思いますが。

この対談は、中世歌謡や俳句、日本語の起源など、興味深いテーマが目白押しで、楽しめそう。





COAL SACK』に毎号、発表しているアファナシエフの詩の翻訳の一次稿ができたので、アップしたい。


BEETHOVEN'S POSTHUMOUS WORKS

                      Velery Afanassiev

No sign forewarned them of multiple pile-up.

There was no eclipse of the sun.
The air was sweet.
Even the stars were propitious.
Everybody said, "Have a nice trip"
(By various little economies
they had manage to save enough money for a holiday.)

The voice on the radio forecast happiness.
There was a good clear strech
of motorway.They landscapes
smiled back at them, friendly and harmless.
At a petrol station they listened in bliss
to the final movement of Beethoven's Ninth.
(They didn't depart until it had finished.)

An hour later they heard
Beethoven's Tenth and also
his Seventh Piano Concerto.



ベートーヴェンの遺作

                         ヴァレリー・アファナシエフ

玉突き衝突の危険を示すような兆しはなかった。

太陽は少しも欠けていなかった。
大気は甘かった。
星まわりも良かった。
だれもが「よい旅を」と言ってくれた。
(いろいろ倹約して、なんとか休暇のお金を用立てたのだった)

ラジオの声は幸福を予感させた。
ハイウェイは見事なくらいまっすぐ伸びていた。
風景は親しげに、無邪気に微笑み返してくれた。
ガソリンスタンドで、
ベートーヴェンの第九の最終楽章を至福のうちに聴いた。
(音楽が終わるまで出発しなかった)

1時間後、
ベートーヴェンの交響曲第10番と
ピアノ協奏曲第7番を聴いたのだ。


■10番はわかるとしても、ピアノ協奏曲は全部で5曲だから、7番というのは? この詩はアファナシエフにしては、「怖さ」があまりない。しかし、考えてみると、10番と7番を聴くこと自体、怖いと言えば怖い。アファナシエフの詩は、洗練されたディープさがあって、蕪村の俳句と近いように感じる。
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芭蕉の俳句(122)

木曜日、。旧暦、10月3日。

今日は、早くに起きたが、また、眠り込んでしまった。終日、仕事の予定。

ブレヒトの政治・社会論を読んでいて、スターリンの死によせて、こんな記事があった。

スターリンの死によせて

五つの大陸の抑圧されている人びと、すでに自己の解放をなしとげた人びと、世界平和のためにたたかっているすべての人びとは、スターリンの死を耳にしたとき、心臓のとまる思いを感じたにちがいない。かれは、これらの人びとの希望の化身であった。だが、スターリンがつくりあげた精神的・物質的武器は、いまそこにある。そして、教義は存在しつづけている、あらたな教義をつくりだすために。(1953年4月)

ブレヒト『ブレヒトの政治・社会論』(河出書房新社)p.404

フルシチョフのスターリン批判が、1956年だから、スターリン死亡時点では、その狂気が見えていなかったのだろうが、それにしても、ソ連を無前提に肯定しすぎていて、そこには、「すべてを疑え」と言ったマルクスの精神は感じられない。



住みつかぬ旅の心や置火燵  (元禄4年膳所歳旦帳)


■置火燵の不安定さに漂白の心を重ねたところに惹かれた。楸邨の解説によれば、当時の置火燵は堀火燵に比べて、不安定だったらしい。今では、暖房は、エアコンや石油ストーブになってしまって、火燵の感覚も忘れてきた。そう言えば、堀炬燵の代替として出てきた当初の電気炬燵は、堀火燵に比べて、よく動いたような気がする。


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詩の英訳(1)

月曜日、。旧暦、9月30日。

土曜日は、鳴海英吉研究会だった。報告会と朗読会、二次会、三次会と出席して、いろいろ刺激を受けた。とくに、王朝文化と拮抗し、ときに内側から噴出し、脈々と流れる民衆文化のありように大変興味を持った。鳴海英吉の詩には、確かに、その流れが来ている。「詩」は、明治の西欧詩と日本語との出会いから、始まったという言説も、ある面、言えているが、それは詩の歴史の一つの結節点にすぎないと思う。日本の詩の源流には、遠くアイヌのユーカラや万葉集の「東歌」、梁塵秘抄や山家鳥虫歌などがある。こうした古いものの中に、アクチャルなものが眠っている、そんな気がする。けれど、同時に、日本・日本と狭く固まりたくない。「日本」と言ったって、古代からずっとインターナショナルだったのだから。海外文化を合わせ鏡のように、日本の詩の歴史を見つめられれば、と思っている。

朗読会で、ぼくも鳴海英吉の詩を朗読させてもらった。今回は、鳴海さんの詩を英訳する機会に恵まれた。主催者の鈴木さんに背中を押してもらわなければ、めんどくさがり屋のぼくにはできなかったろうと思う。いい経験になった。

以下に、家内を含む、何人かの協力を得て、英訳した鳴海さんの詩を書いてみたい。



雪  4
              鳴海英吉





言い残すことは なにもないと言う
本当にないかと聞くと 本当にないと言う
じゃあ死んでくれ ああ と答えるから
毛布を頭まで上げてやった
すうーと気持ちよさそうに死ぬのである
わめきも 泣きもしない
おまえさんは こんな死に方でよかったのか
おれだけがブルッと身ぶるいをして
幕舎の入り口でじゃあじゃあ小便をする
幕舎の外は又も雪
おい雪は空からふるなどと 言うな
烈しく暗い空に向かってふき上がるのだ
誰も信じてくれないから 言うな



SNOW 4
                     Eikichi Narumi



“I have no message to leave”, he said.
“No message? Really? ”, I asked and “No”, he replied.
“Well, let you have a death”. “OK”.
When he answered, I drew up his blanket to his head.
He seemed to die comfortably,
Without screaming and crying.
I doubt whether you would be pleased to die such a way.
I shivered alone,
And urinated noisily at the entrance of the camp.
It snows again outside it.
Hey! Don’t say such a silly thing as snow falls from the sky.
It blows up to the dark sky strongly.
Don’t say that, as nobody believes it.


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芭蕉の俳句(121)

火曜日、。旧暦、9月24日。今日はいい天気だった。蒲団がよく干せた。

あまりにも天気が良くて、午前中、仕事もしないで眠り込んでしまった。

冬麗や心ゆくまで朝寝して

しかし、このところのニュースには、言葉がないですね。人が死にすぎる。ほんの幼児から大人まで、自殺も他殺も。大臣や校長、教育長、評論家は、命の大切さをしきりに説くけれど、これだけ、命を大切に考えていない社会はないんじゃないですか。とくに教育と仕事の面でひどいですね。精神面も含めて、組織や制度で個人の命がトータルに尊重されることがあるんでしょうかね。人間が人間らしく生活するにはどうすべきか、という発想ではなく、どうしたらカネが儲かるか、ですからね。米国と日本に顕著なように、資本主義は、本質的に人間を幼稚にする側面がありますね。




干鮭も空也の痩せも寒の内  (元禄4年膳所歳旦帳)

■芭蕉の句の中で、もっとも好きなものの一つ。「寒の内」という季語のもつ温度や匂い、雰囲気のすべてが、「干鮭」と「空也の痩せ」で表現されているように感じられる。ただ、調べてみると、「空也の痩せ」は、空也上人のあの痩せた姿ではなく、空也僧のことらしい。空也僧は11月13日の空也忌から年末までの48日間、瓢箪をつけ、鉢、鉦をたたき、和讃を唱えながら京の内外を修行して歩いたらしい。芭蕉は、夜毎、その鉢たたきの音を聞いて、この句を発想したらしい。しかし、ぼくは、空也上人と取りたいですね。芭蕉が空也上人に思いを致したとしても不思議ではないでしょう。
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2つの初冬の詩

土曜日、。旧暦、9月21日。

昨日の仕事が難航して、今日は遅くまで寝ていた。朝方、大きな雷が鳴り、一日、雨だった。午後、録画していた「円空と木喰」を観る。やはりぼくは円空の方が好きである。木喰の仏像は笑いすぎる。ウィンクしているものまであって、今のキャラクターグッズみたいで笑いが安い。円空の微笑みはいい。顔が笑っているのではなく魂が笑っている。



初冬になると思い出す詩がある。幻の大詩人清水昶の「初冬に発つ」である。この詩は、以前、清水さんに頼まれて、生まれて初めて、詩の英訳なるものをした、思い出の作品でもある。ぼくの英訳は、さらにアラビア語に重訳されて、モロッコのどこかの雑誌に発表されたはずである。反響はどうだったのだろうか。



初冬に発つ            清水昶

あなたは
雪に燃えて出発する
完璧なしずけさのなか
ひえこむ都市の心臓部その昏い樹林を
息をのんで出発する
どんなに華麗な肉愛のなかでも
どんなに悲惨な夜でも
燃える外套につつまれ
孤独な本能に降りしきる雪に燃え
まぶしい顔をあげて出発する
ただ想起せよ
ときにおれたちは
劣悪な家系の鎖をひきずる
きつい目をした犬であり
アジアの辺境にひっそり巣喰う
どぶねずみのようないのちであったりすることを
そこから
ひたすらに出発する
雪の樹林で身ぶるいする夕映えを吸い
肉体の深い淵に向かって
最初にして最後の
出発を決意する



Leaving in early winter  translated by TOHGETSU     

You
Leave, glowing for snow.
In perfect silence
From the heart of a cooling city, the dark silva
You leave, taking a breath.
In whatever splendid sexual love,
In whatever miserable night,
Wearing a burning coat,
Glowing for snow that falls heavily into lonely instinct,
You leave, raising your shining face.
However recall
That we are sometimes dogs with cruel eyes,
Dragging the chain of our inferior family tree,
And are life as if rats that build nests quietly in Asian frontier.
From such a place
We leave intently.
Sucking the sunset glow that quakes through snow silva,
We decide to leave for the depths of our body
For the first time and the last time.


■この詩はいくつか謎がある。それは、訳すはめになって、改めて熟読してみて気がついた謎だと言っていい。レトリックは華麗だが、コンセプトは、明確である。その意味では、わかりやすい詩だと言っていいだろう。一つの謎は、この詩の<場所>に係わる。この詩は、いったいどこで詠まれたのだろうか。いや、どこを想定しているのだろうか。というのも、初冬にあって、すでに烈しい降雪あるいは積雪があるのだ。詩だから、時間的に厳密な整合性を問うのは野暮なのだが、あえて、論理的に考えると、かなりの北方地域が、この詩の舞台なのである。北海道北部、あるいは千島列島、樺太。あるいはシベリアの白い大地の面影までもが映し出されているのである。

この詩は、清水さんが30代の頃に作ったと聞いたことがある。とすれば、70年代の作品ということになる。もう一つの謎は、「出発はついに訪れない」というところにある。この詩は、出発を決意するところで終わっている。決意は実現していないのである。その意味で、詩人は、まだ降りしきる雪の中にいる。これは、なぜだろうか。これは、ぼくの推測であるが、ここには、清水さんの学生運動の挫折が大きな影を落としているのだと思う。強固な意志と決意、しかし、実現を見なかった革命。運動のためなら、命を落としてもいい、本気でそう思ったし、ぼくだけじゃなく、みんなそう思っていたんだよ。清水さんの言葉である。

この詩には、シベリアの白い大地に幽閉された石原吉郎の姿と実現しなかった革命の影が刻まれているように、ぼくには思えるのである。

ところで、この詩が書かれる35年前(この時間は、清水さんの詩と、今との時間差にも等しいのだが)、「初冬」と題された詩が雑誌「四季」の1月号に発表された。



初冬             立原道造

けふ 私のなかで
ひとつの意志が死に絶えた……
孤独な大きい風景が
弱々しい陽ざしにあたためられようとする

しかし寂寥(せきれう)が風のやうに
私の眼の裏にうづたかく灰色の雲を積んで行く
やがてすべては諦めといふ絵のなかで
私を拒み 私の魂はひびわれるであらう

すべては 今 真昼に住む
薄明(うすらあかり)の時間のなかでまどろんだ人びとが見るものを
私の眼のまへに 粗々(あらあら)しく 投げ出して

……煙よりもかすかな雲が煙つた空を過ぎるときに
嗄(しはが)れた鳥の声がくりかへされるときに
私のなかで けふ 遠く帰つて行くものがあるだらう

■この詩を読んでどう感じるだろうか。ぼくは、立原の詩に多く共感を覚える者である。とくに最後の一行「私のなかで けふ 遠く帰つて行くものがあるだらう」に。この詩は、1935年(昭和10年)に書かれたものだが、2006年の今に触れるものがあるように感じないだろうか。清水さんの「意志」が死に絶えたところから、この詩は書かれているように思えてくるのである。いったい、私のなかで<何>が<どこへ>帰っていくのか。そのことは問われなければならないにしても。
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ブレヒトの政治・社会論

水曜日、。旧暦、9月18日。

この頃、mixiに書くことが多くなってしまった。親しい人に珈琲でも飲みながら、喫茶店で話しをするような感じで、書いている。

ここ何日か、借りてきたブレヒトの政治・社会論を読んでいる。ベンヤミンの友人であり、ベルリーナアンサンブルの創設者であり、詩にも劇にも興味を持っているので、期待していたのだが、今のところ、ぼくの中にあまり入ってこない。なぜ、入ってこないかを考えるのは、この場合、重要な気がしている。中に入ってきた断章には、たとえば、次のものがあった。

何が美しいのか?

美しいのは、ひとが困難を解決するときである。
したがって美しいのは行為である。ある音楽がなぜ美しいのかを語ろうとするとき、ぼくらは、そこではどういう行為が美しいのかを、問わなくてはならない。そのばあいぼくらは、音楽行為について語ることになる。美しい音楽行為は、困難を解決する音楽行為だ。このようにして成立する音楽は、ときによって、なおかなり長いあいだ美しいが、それはその困難の解決をうながした情緒が、くりかえし出現してくるからなのである。

こういう美の概念は過渡的なものであり、またさまざまな度合いをもっている。困難には深浅があり、持続の長短があり、大小があり、重要度の差異がある。困難の解決は、まったくそのつど異なって美しいのであり、永遠に美しいのではない。

『ブレヒトの政治・社会論』(河出書房新社 2006年 野村修ほか訳)p.167


ブレヒトの政治・社会論 (ベルトルト・ブレヒトの仕事【全6巻】)
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芭蕉の俳句(120)

土曜日、。旧暦、9月14日。

今日は、一日こもって、朗読会用テキストの作成に明け暮れた。今回は、少し、趣向を凝らそうと思っている。鳴海英吉と詩でダイアローグをしてみようと考えている。テキストは、90%できたので、後は、朗読の練習をしていきたい。この朗読会は、鳴海英吉を直接知っている人が多数いる。そのため、朗読は、この作者の人柄に合ったにぎやかな朗読とか、この作者らしく肩の凝らない朗読とかいった、作者中心の考え方に傾きがちである。ぼくは、この考え方を排除することからはじめたい。この考え方は、作者を個人的によく知っており、作者に近いほど、いい朗読であり、朗読には答えが一つしかないという前提に行き着く。ぼくは、鳴海英吉を直接知らない分、逆に作品のロジックに耳を傾けてみたい。

朗読は、朗読者と作品の対話であり、作品に対する批評である。その意味で、朗読者の数だけ作者像がある。その点で、クラシック音楽と指揮者の関係に似ている。「ぼくの鳴海英吉」あるいは「この時代の鳴海英吉」を打ち出すことが基本になるだろう。その上で、他者の作品と対話してもらう。どういうことになるのか、ある意味で実験的な試みになると思う。



木枯らしや頬腫痛む人の顔   (猿蓑)



■頬腫(ほほばれ)とは今のお多福風邪のこと。この句は、リアリズムの句だろう。その意味で、近代の俳句に直接つながるように思う。楸邨の言うように、「木枯らし」という季語は「痛む人」によく響いているように思う。他方で、お多福風邪の人の顔と木枯らしが取り合わされており、気の毒な情景であるものの、やはりおかしい。笑いを誘うところがある。これが「歯痛に苦しむ人の顔」だったとしたら、あまり笑えないのではないだろうか。


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芭蕉の俳句(119)

水曜日、。旧暦、9月11日。布団がよく干せた。

今日は、本屋に梅原猛の『歓喜する円空』(新潮社)を買いに走った。円空関連の本をぼちぼち読んでいるのだが、その漂白の範囲の広さ(江戸初期に北海道まで行く)や人脈の広さ(明朝のラストエンペラーとも交流があった)、白山信仰との係わりなど、実に興味深いお人であることがわかってきた。そもそも、生涯12万体も仏像を彫ろうという志からして、ただものじゃない。アイヌとの係わりも当然あったろうし、興味は尽きないのである。



別離
しぐれ行くや船の舳綱にとり付いて  (暦柱)



■別離の感情の高ぶりが、映画の一シーンのように浮かんできて惹かれた。ここまで、別離の情に耐えがたい関係は、親子か夫婦か、それに近い関係だろうか。しぐれが、舳綱にとりついた人の心の内を表しているようで哀れを誘う。元禄3年作。
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