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一日一句(5379)






秋の風鈴全宇宙無音






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往還日誌(216)







■9月27日、金曜日、曇り。

上階の者が、深夜2時半までドタンドタン、ミシンミシン、ガラガラガラガラ音を立てて、よく眠れず、短時間睡眠できつかった。

この馬鹿には、その場で、繰り返し注意しているが、一向に改まらない。

深夜2時に洗濯機を回すような大馬鹿である。

騒音トラブル対策支援を謳うVangard Smithという会社と契約しているが、なんと、4月に苦情を言ってから5ヶ月、何もしてなかった。

電話一本かけてきて、つながらなかったと言って、その後は放置である。

これは、元警官の天下り会社のひとつ。

梨木神社の萩が咲いた。

昨年は、9月23日だったので、4日も遅い。

萩の花で俳句を何句か作った。多少、気分が良くなった。

袴田さんが、静岡地方裁判所の再審判決で無罪となった。58年間もかかった。とても良かったと思う(当然なんだけれども)。

これで、検察が控訴するとしたら、袴田さんを有罪にすること以外に、別の隠れた目的があるのではないかと、疑われる。

この事件は冤罪事件であると同時に、殺人事件であり、一家4人が惨殺されている。その犯人は見つかっていない。

58年間も、捜査機関は、犯人を取り逃がしたままなのである。

つまり、殺人犯が、一人か複数か、わからないが、社会に58年間、存在している、あるいは存在した。

その全責任は、当然、検察と警察にある。

これが焦点化され、社会的なテーマになることを恐れているのではないか。

これを避けるには、袴田さん犯人説を永久に繰り返し、袴田さんに社会の耳目を集め、検察と警察の無能さを糊塗しようとする。

この議論で行けば、検察と警察は、袴田さんが、亡くなるまで、裁判を続けることになる。

亡くなってしまうと、冤罪だったのか違ったのか、明確にならない。しかも、真犯人取り逃がしも問題化しなくなる。

検察が、控訴しないとすれば、冤罪が確定し、先の58年間の捜査の膨大な空費、と合わせて、2重の責任問題が、検察と警察には発生する。

だから、検察が控訴するとは思わないが、論理的には、そういうことになる。

ほかの冤罪事件を検討していないので、なんとも言えないが、この袴田さん事件のような、検察の異常性と狂気が、垣間見える事件は、この「時間」という問題が、構造的にあるような気がする。

裁判が長期化するほど、捜査機関の冤罪化する組織的な条件がそろってしまう。

過去の冤罪事件を検討してみると、検察と警察という法執行機関の根本的な問題が浮かび上がってくるだろうことは想像に難くない。





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一日一句(5378)







夏了る脱ぎ捨てられしスニーカー






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往還日誌(215)







■9月26日、木曜日、晴れ。昨日よりは日差しがきつく、やや蒸し暑かった。

午前中、掃除と洗濯を行う。ニコに入るつもりが疲労感、甚だしく、眠ってしまう。

週末の2日出歩くと、やはり、翌週に影響が出る。

仕事の後、堀川の大垣書店へ、雑誌を取りに行く。

3冊入れてもらった私の詩集『二〇の物と五つの場の言葉』が1冊売れていた。

大いに気を良くする。

『slow page』でカツカレーを食べて帰る。

SNSでキュアが新譜を出すことを知り、たいへん驚いた。「Blood Flowers」が最後だと思っていたので。

先行リリースされた「ALONE」を聴いて、とくに、その詩を見て、ふたたび驚いた。

そのアクチュアリティに。

大垣書店への行きは、歩きながら、俳句を作る。

帰りは、歩く瞑想を行う。



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一日一句(5377)







天の川東國の茶を立てゐたり






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一日一句(5376)







生ひとつ白百日紅となりにけり






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往還日誌(214)






■9月24日、火曜日。晴れ、かなり涼しい。

午前中、心身調整を行い、床屋へ行き、ボナペティでパンを買って帰宅。

終日、仕事。

大阪へ遊びに来ていた家族が夕方、関東へ帰った。

東京は、大阪よりもかなり涼しく、埼玉はさらに涼しいと驚いていた。

夜、仕事が終わってから、稲村さんの『石の上にも半世紀』を少し読む。

職業生活は、私もそれなりに長いが、この本を読むと、私の知っている労働現場はごく一部だという実感を持つ。

そこにある社会関係は、「操作」などというマイルドなものではなく、「古典的・原始的資本主義の搾取」の結果の労災が、21世紀になって、ブラジル人、ペルー人など、外国人労働者に集中的に現れていることを知った。

製造ラインで金属の束が落ちて、左足の指がみなつぶれてくっついてしまったとか、手の指がプレス機でつぶされてくっついてしまったとか、センサーのついていない機械で日本人労働者が嫌がっていたものをあてがわれたとか。

ここでは、差別と搾取が一体になっている。





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一日一句(5375)







百日紅地中に燃ゆる大火あり






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往還日誌(213)






■9月23日、月曜日、晴れ。

日差しは夏だが、大気は涼しく、秋になっている。

Tシャツでは寒いくらいで、ようやく夏が終わった実感がした。

21日の土曜日は、メルロ=ポンティ学会を見送って、遅れているニコの仕事に専念。

夕方から、大学時代の先輩の京女のT教授と、西洞院で飲み。私は飲まないので、ウーロン茶2杯。

たまたま歩きながら見つけた四条西洞院食堂が、すべてセルフで気に入り、ここで、1時半話し込む。

Tさんから、京都総評の中心人物の稲村守さんの回顧録『石の上にも半世紀~総評オルグ50年~』をいただく。

帰りに、Holly's Cafeで、一人、珈琲とドーナツを食べなら、少し読む。

この本が大変貴重なレジスタンスの記録であることを知る。

Tさんにしてみると、大学と院生のときの話になるようだが、当時、私も、Tさんの近くにいたものの、京都の労働運動や社会運動について、まったく知らなかった。

中曽根政権の国鉄民営化の真の目的だった、社会党潰し、国労潰し、総評潰しについて、今の時点から見てみると、この中曽根政権の政策は、彼の内閣単独の仕事ではなく、ほぼほぼ、CIAが噛んでいただろうことは想像がつく。

CIAの日本における最大のミッションは、日本において本格的な社会主義政権樹立の可能性を摘むことことだからだ。

いずれにしても、総評は、CIAの意図のどおりに、資本のエージェントの「連合」に再編された。

しかし、解体されず残った総評がある。この京都総評を残したのが、稲村さんだったのである。

現在もローカルセンターとして、多方面で活発に活動しているが、国家利権村の一翼である大手メディアは、その活動を報道しない。それが、彼らの仕事なのである。

いや、「仕事」ではない、はっきり言うと、「報道しないという情報操作」である。

多くの市民デモが、実際には非常に広範囲に日本社会に存在するのに、ほとんど報道されないのと同じ理由である。

22日の日曜日は、神戸の盟友のカント哲学の専門家、M氏と、医療社会学の道を惜しまれながら離れて、某大手企業に定年まで勤務して、今は悠々自適のFくんと、神戸三宮で会う。

北野坂のカフェが、軒並み観光客でいっぱいで入ることができず、しばらく北野坂を歩き、奇跡的にも、「カフェ・ド・パリ」が空いていた。

ここで、1時間半くらい話し込む。

その後、元町の広東料理店へ移動して、さらに、2時間話し込み、最後に、近くのカフェで、1時間半近く話し込んだ。

都合、移動も入れて、6時間弱、よくしゃべり、よく食べた。

最後のカフェで、私の詩集から、3編、朗読した。

マスターのほかに、カップルが1組いただけだったので、まあ、許されるだろう。

朗読も、一芸になってきた気がするw



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一日一句(5374)






足うらに秋は来てゐる大地かな






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