verse, prose, and translation
Delfini Workshop
蕪村の俳句(124)
2016-06-28 / 蕪村
■旧暦5月24日、火曜日。雨のちくもり。
きょうは、散歩していてあたらしい路地を発見した。柿の実が青いまま、いくつも落ちていた。
7月の第7回銀河朗読会では、はじめて、俳句の朗読も試みる予定。いままで、俳句の朗読は、禁欲していたが、作句上のあたらしい方向性が見えたので、銀河朗読会で、作句と朗読の実験を繰り返してみる気持ちになった。しかし、どのように読むのか、まだ、まったく手探り状態ではあるのだが。
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参議院選がスタートして、これだけ問題の多い自民党政権を支持している人々を具体的に観察してみると、共通するのは、アベノミクスで恩恵を受けている人々である。たとえば、経団連の企業の人、株収入で食べている人、電事連関係の仕事をしている人など、見事に、自分の利益と安倍政権の方向性が一致する。戦争になれば、もっと儲かる人々である。それをまやかすために、さまざまなことを言っている。曰く、ポピュリズムには気をつけよう、曰く、民進党のように公約ばかり立派なのは、英国の離脱派と同じ嘘つきである、曰く、共産主義にはだんじて負けない、曰く、世界情勢を踏まえたリアリズムが大切、云々。その自己欺瞞を思うと、笑えるのだが、そのあとで、冷めてくるのは、こうした支配のイデオロギーがmodeとして大量に流行し、利害関係のない人々まで巻き込んでいるからである。
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他方、現在のひとつの希望である山本太郎さんたちが応援する人に、ミュージシャンの三宅洋平さんがいる。だが、過去のtwitterの言動を見ると、支持する気になれない。たしかに、祭と政は起源的に同じだが、現在もそのパトスのままでは危ういものを感じる。その危うさが、短絡的な陰謀論に出ている。悪の実体が悪をなしているのではなく、超感覚的な社会関係や社会体制に、悪が組み込まれている。だからこそ、そのシステムを変えなければならない。民主主義には、安易な答えよりも、変革のための強靭な持続性が必要なのだと思う。
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腹あしき隣同士のかやりかな
明和八年(蕪村56歳) 遺稿
■一読、どこが面白いのかわからなかった。ここで言う、蚊遣とは蚊遣火のことで、いまの蚊取線香のようなかわいいものではなく、家じゅうが煙に包まれる凄まじいものだったらしい。「腹あしき」とは怒りっぽいこと。短気な隣同士が、まけじと蚊遣火を焚いている可笑しさ。落語みたいで笑える図。俳句で自分を笑うのは、比較的簡単にできる。自分の外部に笑いを見出すのは、非常に難しい。とくに、蕪村のような教養人は、他者を笑うとき、一歩間違えると、嫌みに響く。そうならない一つのヒントは、落語のコンテクストにあるような気がした。
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