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飴山實を読む(119)

■旧暦5月8日、火曜日、、夏越

(写真)無題

朝から、病院へ。どうにか、新しい仕事に着手する体制が整った。秋までには、めどをつけたい。Udo Wenzelに下手な俳句を送ったら、丁寧に直してくれた。ネイティブが手を入れると、生き返ったように良くなるな、と感心してしまった。日頃、欧文俳句をけなしているが、いざ、書いてみろ、と言われると、なかなか、美しいものは書けない。

『ハイク・ガイ』(三和書籍)を書いたデイヴィッド・G・ラヌーの一茶のサイトは、面白い。一茶は、海外の俳人に人気があるが、どんなところに惹かれるのだろう。興味のあるところである。ここから彼の書籍のオーダーができる。




梅が枝に神を移して川祭
   「花浴び」

■シーンがはっきり見え、しかも動きがあって惹かれた。「梅が枝に」という措辞は、「梅の枝に」という意味だが、「の」が「が」という古い言い回しになっている。この助詞の使い方は、今はないが、それが消えたということは、一つのニュアンスが消えたということだろう。「が」の方が、「梅が咲いている枝」ということが強調され、梅の花が一輪はっきり見えたように感じられる。大阪の天満祭を詠んだ九句の一つ。
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フランス語の俳人たち:Jean-Louis Bouzou(1)(2)

■旧暦5月7日、月曜日、

(写真)ある背中

そのまんま東を見ていると、ある意味で、社会の縮図という気がする。一億総商売人の時代に、出るべくして出たチンドン屋知事だったものが、今度は、地方分権と言いながら、実態はただの権力志向の衆議院出馬。思想がなにもないから、金と権力だけの世界になる。これは、どの社会圏でも同じではないか。こんな一年中躁状態で、経済成長率ばかり気にかけ、市場に踊らされて誰も大人になれない社会じゃなくて、もっと落ち着いた人間らしい生活のできる社会を望むが、実現不可能なのだろうか。そんなことは決してないと思うが。

という前置きの後に、下ネタで恐縮だが、新宿南口の紀伊国屋で資料を探していると、冷えたのか、便意を催した。紀伊国屋は、男性用トイレと女性用トイレが、交互に各階に設置されている。個室は、身障者用と兼用でかなり広い。その個室がすべて使用中だった。まあ、こういうこともあるさ、と隣の東急ハンズへ向かった。土曜のお昼くらいである。

東急ハンズは、各階にトイレが配置されている。男性用個室は2つずつある。なんと、全階の個室が使用中だった。ぼくが入ろうとすると、走り込んで来る若い男性がいて使えないことが一回。順番の先を越されて中年男性に割り込まれたことが一回。この2回を含めて、何回か、各階を回ったが、すべて使用中ではないか。こんなことは、生まれて初めて経験した。

数年前は、紀伊国屋など、いつでも個室はガラガラだったし、東急ハンズに至っては、全階使用中など、考えられない。いったい、これは。なにか、知らないうちに、男性トイレ事情に構造的な変化が起きたのか? 学校で大を使うと笑われるという話は数年前に聞いた。これが会社や家にも広がったか。家で大を使用すると掃除の手間がかかるので、外で済ませるのか。家族に嫌がられるのか。まあ、ともかく、どうも変である。この界隈だけのことかもしれないが。ぼくはと言えば、仕方がないから、目的地まで我慢したのだった。急を要したら困るじゃないか。




Sa façon à lui
de me dire bonjour
-Tu veux un café?


会ったときの
彼一流の挨拶
―お茶でもどうだ?


Parlant avec l'océan
coquillage contre l'oreille
-la petite fille.


耳に貝をあてて
海と話す
―小さな女の子


※Jean-Louis Bouzouは、1961年ブラザヴィル(コンゴ共和国)生まれ。

■もっと、「切れ」がはっきりあっていい気がする。せっかく―を使っているのだから。二番目の作品は、あまりにも陳腐。
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ドイツ語の俳人たち:Udo Wenzel(12)

■旧暦5月6日、日曜日、

(写真)椅子

昨日は、出版記念会だった。暑かった。大空襲詩集の出版記念会だったのだが、スピーチしてアンソロジーに寄せた自作を朗読する。最近は、人前でしゃべったり詩を朗読したりするのが好きになってきた。ぼくの朗読は、意外にも、評判がいいのである。今後、定期的に、詩の朗読会を持てないか、検討してみようと思っている。

今日は、午後から、大雨である。掃除して、メールを一本書く。またしても、ひどい耳鳴り。いやはや。部屋の中にいられず、外を歩きまわる。夜風の音が心地いい。低気圧のときは体調が悪化しやすい。調子が悪いときにも、平静でいられるように、なにか、訓練が必要かもしれない。




Auf der Scheibe hockt,
vom Herbststurm unberührt,
die Stubenfliege.


窓ガラスにじっとして
秋の嵐から身を守っている



■嵐は台風を指すので、日本語の季語では、秋をつけないが、ドイツ語では「Herbst」と付けている。この表現「Herbststurm」は辞書には登録されていないので、あるいは、一般的ではないのかもしれない。これに関連して、日本語環境に生きていると、信じられないのだが、ドイツ語には、Herbstmond(秋の月)という言葉がある。月と言えば、秋に決まっているじゃないか、という美意識が、社会的・歴史的なものであることを改めて感じさせる。

この蠅は、「秋の蠅」であろう。日本と同じように、夏ほど、元気はないのだろうか。

※Udo Wenzel氏は、1969年7月21日に人類初の月面着陸が成功したことにちなんで、月への飛行、月面着陸といったテーマで、ドイツ語の俳句を募集している。詳しくは、彼のブログまで。しかし、これ、俳句にするの、難しいだろうな。
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フランス語の俳人たち:Bill Bilquin(10)

■旧暦5月4日、金曜日、

(写真)夏の壁

早朝から起きて語学講座を聴く。つもりだったが、昼まで眠り込む。珈琲を淹れて脱力。新聞を読んで仕事。このところ、また、耳鳴りがひどくなっているので、ランパルのフルートを終日かけている。夕方から兼業へ。




je ne t'ai rien dit
mais tu rougis doucement
crépuscule


ぼくはきみに何も言わなかったが
きみは次第に顔を赤らめていく

黄昏


■こういう人の機微は、フランス語ではこういうのか、と面白かった。とくに、時間の感覚を違えることで、少し前のことと現在のことが、「今」に統合されてゆく様子がよく出ているように思った。

Bill Bilquinの俳句は、これですべて検討した。面白のもあり、つまらんものもあり。当たり前か。ただ、欧州の言語構造の内部で自己完結せずに、日本語の俳句の発想でフランス語俳句を書いたとしたら、新鮮なものができるんじゃないだろうか。これは、英語でもドイツ語でも言える。

英独仏の俳句に共通するのは、散文的で説明的ということだが(おそらく、これが、欧文文体の特徴でもあろう)、これを全部排除してしまったら、面白いものができるんじゃないか。欧文翻訳の影響を受けた日本語の新興俳句や前衛俳句(あるいは現代詩全般を含めてもいい)が、翻訳の名詞を多用したり散文的になるのは、当然ともいえる。その成否は、具体的な作品に即さないとなんとも言えないだろうけれど。

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ドイツ語の俳人たち:Udo Wenzel(11)

■旧暦5月3日、木曜日、

(写真)花(これも名称不詳)

朝から、病院へ。週一回の注射と訪問リハビリが効いてきて、以前よりも、ふらつきが少なくなった。しかし、付き添いや介護は疲れる。人間にとって、加齢とは何か、医療とは何か、といったことをつらつら考える。今度、訳そうと考えている本は、こういう分野のものになる。その前に、さまざまなストレスをうまくコントロールしないと、こっちが倒れる。




Den Kürbis durchschaut-
auf der anderen Seite
ein Kinderlächeln.


南瓜を選ぶ
ひっくり返せば
笑った子どもそっくり


■ドイツの南瓜は大きくてまづいらしい。最近、日本の南瓜のような小ぶりで旨いものが出回っているという。その名もHokkaido。日本の北海道にちなんだかどうかは不明。ラテン語系とも。子どもの頭くらいなら、こっちの南瓜かもしれない。裏側は子どもが笑っているような凹凸があったのだろうか。
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飴山實を読む(118)

■旧暦閏5月2日、水曜日、

(写真)東京オペラシティのオブジェ

人生、谷あり、川あり、淀みあり。どこへ行くやら。今日は、蒸し暑かった。シャワーを2回浴びる。あとは、ひたすら脱力。

俳句は、ずいぶん離れてしまった。一からやり直しであるな。




手をふれて胸まで濡るヽ草の花
  「花浴び」


■気がつくと胸まで濡れていた。そんな経験はよくあった。子どもの頃は、胸まで濡れても、そのことは別段どうってことはない。問題化しない。こういうふうに気づく経験は、大人ならではだろう。草の花は、可憐で思わず手を触れたくなる。秋の深まる様子を「胸まで濡るヽ」と表現していて惹かれた。

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フランス語の俳人たち:Bill Bilquin(9)

■旧暦5月30日、月曜日、

(写真)初夏の白い花(名称不詳)

一気に諸々の疲れが出て、何事にも集中できないので参った。間違えて、生姜焼きに、白ワインとオリーブオイルを入れてしまった。大失敗! 

何通か手紙を書いて投函。自転車で郵便局へ行く途中、細い路地で、80を優に越えたご老人とすれ違う。向うは、路を空けて待っていてくれたので、「どうもすいません」と言いながら通ると、実にいい笑顔で、「ごくろうさん」と言われた。雨模様だが、なんだか、心に日が射したような気分になった。




un soir en Écosse
arrêté par les moutons
drôle d'embouteillage


スコットランドの夕暮
羊の群れで
ひどい交通渋滞


■映画の一コマのよう。ラッシーが出てきそうだ。交通渋滞というのだから、車の道に羊が出てきたのだろう。スコットランドではよくある話なのだろうか。


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アファナシエフのコンサート2009

■旧暦5月29日、日曜日、、夏至、父の日

(写真)unknown flowers in early summer

今日は、体調すぐれす、ゴロゴロしていた。木曜のアファナシエフのコンサートについてつらつら考える。

プログラムは、ドビュッシー:前奏曲、第6曲「雪の上の足跡」、プロコフィエフ:風刺(サルカズム)、第2曲「間のびしたアレグロ」、ショスタコーヴィッチ:24の前奏曲、第14曲変ホ短調、プロコフィエフ:風刺(サルカズム)第1曲「嵐のように」、ドビュッシー:前奏曲、第10曲「沈める寺」*ムソルグスキー:音楽劇「展覧会の絵」

いつもの絹のようなタッチと音が音を聴く沈黙を堪能。ムソルグスキーの音楽劇は、マエストロのオリジナル脚本と演技、ピアノ演奏。マエストロの思いの丈を聴いたような気がした。

劇の中でこんな趣旨のことを言っていた。

・古城は時代とともに作り変える必要がある。作曲家の意図を忠実に再現しようとする演奏家は、古城に住んでいるつもりだが、実はそうではない。ベートーヴェンが弾いた音楽は二度と再現できない。古城は、時代とともに変わっていくし、変えなければならない。だが、同時に、古城は不変である。古城とは音楽の比喩だろう。

朗読会のときも言っていたが、音楽は永遠である、という考え方が根本にはあるように思う。音楽が作曲家の死後も残るという意味で永遠なのではなく、音楽は不変だという意味で永遠だ、と。だが、同時に、音楽は時代とともに変化するとも。

アファナシエフの思想の核にある永遠=不変なるもの=音楽(究極的には一つの和音)=変化するもの、という思想は、よくわからない。これをこう考えることができるかもしれない。永遠には、変化する相と不変の相がある。言い換えると、時間の相と空間の相がある、と。

たとえば、音楽は独立した論理を持っているので、その意味では、演奏家の母親が亡くなった直後に弾いたブラームスも、平静なときに弾いたブラームスも、音楽の論理という点では変化がない。しかし、アファナシエフが弾くブラームスとポリーニが弾くブラームスでは、音楽の論理は同じはずなのに、同じようには聞こえない。そこには、演奏家の解釈が入るからだ。論理は空間と関係しており、解釈は時間と関係しているのかもしれない。ただ、これは、ある意味で、分析的な見方かもしれない。

マエストロは、どんな音楽も結局は、一つのハーモニーに還元されると述べている。音楽の独立した論理が永遠不変というよりも最終的に凝縮された和音が永遠不変なのだろう。

これを別の観点から考えてみる。芭蕉に「不易流行」という思想がある。不易流行は、物事には、不易の相(永遠不変)と流行の相(変化)がある。俳句にも流行の句と不易の句があって相互に対立しているというのが一般的な理解だが、ぼくの師である長谷川櫂によれば、流行即不易であり、不易即流行であるという。

『去来抄』は、その箇所を以下のように伝える。

芭蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有り、是を二つに分て教へ給へる。其元は一つ也。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新らたならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句成故、千歳不易といふ。流行は一時ヽの変にして、昨日の風今日宜しからず、今日の風明日に用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやる事をする也。

人は生まれ、大きくなり、子どもを生んで、やがて死ぬ。時の流れに浮かんでは消えてゆく人というものの姿を人としてとらえれば、この宇宙は変転きわまりない流行の世界である。ところが、変転する宇宙を原子や分子のような塵の次元でとらえなおすと、人の生死は塵の集合と離散にすぎない。…この塵自体は減りもしなければ増えることもない。…人の生死にかぎらず、花も鳥も太陽も月も星たちもみなこの世に現れては、やがて消えてゆくのだが、この現象は一見、変転きわまりない流行でありながら実は何も変わらない不易である。『「奥の細道」を読む』(長谷川櫂著 ちくま新書2007年 pp.188-189)

音楽に即して言えば、時代によって、多様な解釈が生まれ、その可能性に絶えず開かれながらも、音楽は、何一つ変わらない。あらゆる音楽は最終的に一つの和音に還元されるという考え方から言えば、和音(不易)こそが永遠不変であり、解釈は、あるいは作品自体も、和音の時代的な現れ(流行)、と言えるのではないだろうか。したがって、マエストロにしてみれば、古城は時が経てば修理しなければならないが、ムソルグスキーの意図も、自分の解釈も、一つの<流行>という点では同一次元にあるのだろう。根本には、永遠不変の和音が一つ鳴っているのだ。

朗読会のとき、西欧の俳句と日本語の俳句の決定的な違いの一つは、数の感覚の違いだという話をしたが、これにマエストロは反応していた。西欧の俳句は、名詞を用いるとき、たいていの場合、複数にする。日本語の俳句を翻訳するときでも、原句の解釈を複数で行う。これは、ネイティブに言わせると、複数にすることで、空間的な広がりを表現するためだという。あくまで言葉で空間の広がりを表現しょうとするわけだ。ところが、日本語の俳句は、名詞をたいてい、単数、一つでイメージする。視点を一つに集約することで、逆に、言葉の外に広がる沈黙の空間を感じさせるためである。いわば、弁証法的な発想が根本にある。だが、こうして、マエストロの考え方を検討してみると、名詞を一つに還元することは、音楽を一つの和音に還元する感受性と同質のものがあるのかもしれない。永遠不変を志向するという点で同質のものが。
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ドイツ語の俳人たち:Udo Wenzel(10)

■旧暦5月24日、火曜日、

(写真)自転車

6時半起床。自律訓練法を行う。終日、仕事。小林秀雄と岡潔の対談を読む。今に通じる批判が多くあって実に示唆的。ここで、話題の一つになっているベルクソンのアインシュタイン批判は、科学主義への批判でもあったわけだが、そのときのベルクソンは、ぼくには、完全に詩人に思えた。

やっと、ドイツ語を読むかという気になってきた。マエストロはドイツ語が一番好きだと言っていたが、この言語は「深さ」を表わすのに適している気がする。ただ、その「深さ」は散文のとき、もっとも発揮される、と思う。




Weitergegangen
die Frau mit dem Apfel,
aber ihr Lächeln...


林檎を持ったまま女は
振り返らず行ってしまった
だが その微笑は...


■weitergehenは、「止まらずにどんどん先に行く」ことだが、擬態語ではなく比喩でつれない感じを表したかった。…の部分が気になった。weitergehentとの対比で微笑は残った(aber ihr Lächeln bleibt zurück)ということかもしれない。シラブルの数を整えるために、説明は省いているのだろう。しかし、詩としても俳句としても、どうもパッとしない。

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フランス語の俳人たち:Bill Bilquin(7)(8)

■旧暦5月23日、月曜日、のち

(写真)立ち葵とレンガ橋

夜、白雨である。季節が前倒しの感深し。とくに何するでなし。仕事。水羊羹を食す。夕食を作る。風呂を沸かす。夕立の後、川の匂い立ち籠める。気分転換に寝転がって李賀を読む。どうも腹が出て困る。二人に言わせると、ぼくの早食いが元凶らしい。噛む回数を増やすかね。




sur l'écran télé
un jeune enfant prend un zèbre
pour un code-barres


小さな子どもが
テレビのシマウマを
バーコードと間違える


■わーバーコードそっくりだあ。くらいのことは言ったのかもしれない。喩としては、陳腐だと思う。


tendre nuit d'été
une comète sur ma tête
c'est une luciole


優しい夏の夜
頭の上をすっと流れ星
それは蛍


■ちょっと作りすぎじゃないか、と思った。比喩を多用するのは、詩的伝統かもしれない。俳句と詩の境界が日本ほど明確ではない印象がある。

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