verse, prose, and translation
Delfini Workshop
往還日誌(188)
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■7月30日、火曜日、曇り。
大地堂でB1のポスターの額装をお願いする。2012年の東京のジャクソン・ポロック回顧展で求めた、「インディアン・レッド」のポスター。なんと、12年も埼玉の部屋の片隅に眠っていた。
ジャクソン・ポロックの「インディアン・レッドの壁画 (Mural on Indian Red Ground)」(壁画と名付けられているが、実際には、キャンバスに描いた絵画)は、現在イランのテヘラン現代美術館に所蔵されている。この作品は、1950年に制作され、イラン革命前にイランのシャーの妻、ファラ・パフラヴィによって購入されたもの。
2012年には、ジャクソン・ポロック生誕100周年を記念して、東京国立近代美術館で展示された。この作品はテヘラン現代美術館の重要な所蔵品の一つとして扱われているが、特定の展覧会や特別な機会を除いて、一般にはあまり公開されていないという。
その意味では、貴重な展示だった。この絵の下地のレッドが、なんとも、いい味わいを出している。
ジャクソン・ポロックは、関心があり、『To a Violent Grave: An Oral Biography of Jackson Pollock』の翻訳を試みたことがある。Oral Biographyは、翻訳が非常に難しく、途中まで訳したが、断念した経緯がある。もう10年以上前になる。
ポロックの人生は、映画にもなっている。
その後、妻に頼まれていたほうじ茶を、京大の先の竹村玉翠園まで買いに歩く。
今日は、さほど、暑くなく、涼しい風が今出川通りを吹きぬけていた。
私の計算では、今後、10年以内に――もっと、早いかもしれないが、日本も極右政党が大きな支持を集めるようになる可能性がある。既存の維新や自民党などが、さらに、極右になることも考えられる。
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往還日誌(187)
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■7月29日、月曜日、朝曇り。
きょうは、最高気温、39℃の予想が出ている。最低気温が26℃。
京都府には、熱中症警戒アラートが出ている。呼吸法ⅠⅡⅢ、気功、瞑想など。
きのう、日曜日は、午前中、ヘーゲル読書会。午後、御池まで、マイナカードの取得に出向く。
地下鉄を出て、南北を取り違えて逆方向に炎天下を歩く。
マイナカードは、保険証とも紐づけた。京都市の担当者に、情報漏洩やハッキングのリスクについて聞くと、「リスクはゼロでありません」「物と暗証番号の2つが揃わないとアクセスできないので、ほぼ、大丈夫でしょう」と回答。
マイナカードは、機械であり、人間(産業)が関与する。そのため、事故は確実に起きる。
「大丈夫」を信じる気はないが、これがないと、いろいろな局面で不便が生じてきた。
オーウェルの『1984』の世界に近づいている実感はあるが、テクノロジーの進展は、統治や管理にだけ都合がいいわけではない。
その後、京都駅のヨドバシカメラに行き、デジカメを見るが、機種・品数ともにほどんどない。
関東で入手するか、ネットで入手することに。
帰りに、出町商店街でトマトとアリストテレスの「気象論・宇宙論」の古本を買って帰宅。
古代の自然哲学に、最近とても興味があり、近代以降の科学との比較してみると、かなり面白いだろうと思う。ヘーゲルの哲学はギリシャ哲学を踏まえているので、時折、古代の科学論が出てくる。
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往還日誌(186)
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■7月27日、土曜日、酷暑、だが、涼しい北風が路地を通り抜けていた。
朝、掃除、呼吸法ⅠⅡⅢ、気功、歩く瞑想10分。断食は14時間。仕事の合間に、筋トレなど。
洗濯、買い物。珈琲が切れたので、近くの珈琲ハウスmakiへ。タンザニアを始めて購入。店の女の子に聞くと、豆は常温より冷蔵庫で保管した方が鮮度がいいと教えてくれた。
帰宅後、食事。きのう作ったチキンカレーにクミンを振って温めなおす。岡田商会で買ったコロッケを載せて、コロッケカレーとなす。冷やしトマトのサラダ、ポタージュ、ボナペティのクッペと食事パン(グリンピースとチーズ)、レーズンクリームサンド、珈琲、深蒸し茶。
俳句をいくつか作り、詩を推敲する。
午後、眠くなり、そのまま、昼寝。
夕方起きて、猛然と、仕事を開始。
「社会操作論に向けて」(第1回)の原稿を4時間で書き上げる。
PPTがあるから、早く書けたが、内容的には、やや不満が残る。第2回は、もっと膨らませたい。
毎回、冒頭に、ルソーの『社会契約論』から翻訳して、エピグラフとすることにした。
夕食を作るタイミングを逸してしまい、深夜、フレスコに、食料を買いに行く。
遅くなりすぎたので、食べたのは、バナナ2本、豆乳グルト、プリンのみ。
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往還日誌(185)
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■7月26日、金曜日、晴れ。
掃除、呼吸法の3類型と筋トレなど。
午後、ホットケーキを焼く。16時間くらい断食しているので、胃腸の調子はいい。
お金の問題を解決し、現局面の課題を整理。主に、5つほどあがってきた。
北海道の俳人の西川徹郎さんより、詩集贈呈のお礼と『西川徹郎研究』第三集を恵送していたく。
丁寧な葉書が入っていて恐縮する。
『はたらく細胞』第3話観る――国家有機体説の真逆で、有機体国家説。
面白いのは面白いんだが、体内細胞がみな人間キャラなので、自然権や市民権などへ思いが飛んでいき、血の多い暴力シーンに、少々、戸惑う。
これと真逆のベクトルが、強い国家有機体説で、自然権や市民権などを主張すると国家維持に差し障るとして弾圧する全体主義的な思考やメンタリティーだろう。
これは、時代錯誤のように響くけれども、そうでもなく、たとえば、企業体を見るとよくわかる。
これを正当化するのが、「国際競争の激化」であり、国家の場合は、今盛んに喧伝されている「安全保障環境の変化」である。
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往還日誌(184)
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■7月25日、木曜日、晴れ。
8時起床。企業にいた頃の哀しい夢あり。
呼吸法や瞑想など。
井川さんより、私の新詩集、面白くないとの葉書あり。そうかもしれない。
俳句の盟友、浅生田氏より、芭蕉の「奥の細道」論『芭蕉の萩と月』が送られてくる。これまでの「奥の細道」論とは、異なった視点から書かれている評論。期待できる。
午前中、ニコの仕事。午後から六本木の仕事。
「現代的な隠棲(あるいは出家)の形態」を、京都で、どのように開発・発展・深化させていくか――今、漠然と考えていることである。
西行が出家に及ぶとき、取りすがる娘を蹴落として出てゆく場面の絵が残っている(「西行物語絵巻」鎌倉中期)。
そうまでして出家した彼が詠んだ歌は、仏教の悟りに程遠く、執着にまみれている。
人間の感情的なつながり、つまり、愛情を破壊した先に、なにが残るのだろうか――たとえ、それが「苦」の元であっても。
花への執着は、愛情の代替行為ではなかったのか。
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往還日誌(183)
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■7月24日、水曜日、河童忌。
朝から黒雲が空にかかって、午後から、激しい雷雨に。そのまま、断続的に降ったりやんだりを繰り返し、最後は、夕立のようになった。
朝から、人間ドックを受診。京都で初めて受診した。ここから歩いて行ける距離の愛寿会同仁病院。受診の人数が、上尾中央病院などと比較するとごく少ないので――一緒に受診したのはたった3人で、最後は、私一人になった――、その分、よく診てもらえた。
同仁病院は、案内してくれた事務の方も、検査技師の方も、検査医師の方も、女性で、みなさん、丁寧で優しく真面目であった。
胃カメラは、まったく問題がなく、内科の診察でも問題はなかった。種々の検査結果は、2週間後に郵送されてくる。
今回は、骨密度を、最新の機器で測定するオプションをつけた。
これらの検査結果を踏まえて、運動と食事のあり方を調整する。
検査中は、待ち時間が断片的にあった。
検査着に着替え、本はロッカーに入れてきたので、すべて、「座る瞑想」を行った。
帰りは、御所のカフェ「笹屋伊織」で一休み。
外で桔梗が風に揺れているのが、ガラス越しに席からよく見えた。
その後は、終日、仕事。胃カメラなど、検査の後の仕事は少々きつかった。
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往還日誌(182)
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■7月21日、日曜日、6時起床。
4時間半睡眠だったが、呼吸法を自覚的に繰り返したことで、大きな失敗もせず、一日、もった。
睡眠不足は、何をしてもだめで、寝るしかないと思ってきたが、呼吸法だけは、脳に送る酸素量を増やすため、一定の効果があるようだ。これは、デモに出た夜、大声を出して脳が興奮して眠れなくなった翌日も、これで、ある程度、もったことを思い出した。
朝、詩に手を入れる。
その後、J.J.Rousseau読書会。
モダンの代表的な思考形態が経済学だとすれば、ポストモダンのそれは社会学だろう。マルクスが経済学批判を行うことで、市民社会に関する新しい学問を構築したように、社会学批判は、後期大衆社会(高度消費社会、高度情報化社会)に関する新しい学問構築の可能性をもたらすだろう、というような議論。
大衆社会批判者としてのニーチェの意義など。古いところでは、キルケゴールも『現代の批判』で前期大衆社会批判を行っていると知った。この本は読んだ記憶はあるが、内容は忘れている。
昼食後、京都へ向かう。のぞみの中で、短時間、眠り込む。
いつもの時間に一定庵到着。荷解き後、ライオンキッチンへ。
買い物して帰宅。
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往還日誌(181)
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■7月20日、土曜日、曇りのち晴れ、夜は雷雨。朝から、異様に蒸し暑い。
外に出ると、大気全体が熱せられていて、顔が膨張するような気分になる。
朝、詩を一篇書く。だんだん、調子が出てきた。
昼食後、ニコの仕事を4時まで。
その後、公開講座『ルカーチの存在論』32周年第3講「ユダヤ人の歴史とは」に参加。
いろいろ、冷静な議論ができた。
これまでなら、かなり熱くなるようなトピックだったが、過激なことも言わず、罵倒もせず、淡々と、事実を積み上げて、冷静な議論ができたように思う。
私が強調したのは、ローマ帝国やバビロニア、キリスト教成立以降の西欧世界で、「歴史的被害存在」であったユダヤ人が、ナチスのホロコーストで、その「歴史的被害存在」の本質が頂点に達したが、戦後80年経過して社会的強者となり、ホロコーストの被害者の立場を「主観的」には、頑なに固執はしているものの、「客観的」には、ガザにおいて、ホロコーストの実践主体になっている、その転倒、つまり、「歴史的被害存在の弁証法」に敏感になるべきだ、ということだった。
一貫して、現在も、歴史の被害者であるというのは、「客観的」に見れば、米国とイスラエル以外には通用しない。そして、そこには、ノーマン・G・フィンケルスタインが指摘するような「ホロコースト産業」という利権が、西側資本主義社会における80年間のホロコーストの歴史化によって、構造化されてしまっている。
ここで指摘しておきたいのは、ユダヤ人に対するもっとも根源的で先鋭的な批判者は、このフィンケルスタインを始め、イラン・パペ、チョムスキー、サラ・ロイ、ギドン・レヴィなど、みなユダヤ人だった、ということである。
きょうの公開講座を振り返って、ふと気が付いたのは、瞑想をほぼ毎日行っており、その効果が、議論の冷静さに出たのではないか、ということだった。瞑想の効果はすぐにはわからないが、こういうところに出てくるものと思う。
秋のサイファイフォーラムFPSSにおいて、私が、「社会操作論」とともに、思索の力を入れている、時間空間理論である「TB-LB Theory」を、2.0版として深化して発表することになった。ここは、生命科学者など理科系の研究者で、しかも哲学に関心のある方が多いので、いろいろ、参考になる意見をいただける。
あすから第19回往還で、京都へ戻る。まだ、関西は梅雨が明けていない。
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往還日誌(180)
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■7月16日、火曜日、雨。ときに、大雨。
朝から、詩を一篇書く。その後、ニコの仕事に入り、14時まで行い、その後、六本木へ移動して、ジャーナリズムの仕事を行う。普段は終電で帰宅になるが、きょうは、睡眠不足で体調が良くなく、早く帰宅。
きょうは、仕事でタクシーを利用したが、行きと帰りの運転手さんのキャラがまったく違うので興味深いものがあった。
日曜日に、急いでいて、駅の階段を駆け上がって、デジカメを落としてしまい、レンズが壊れてしまった。早急に買い換えないといけない。デジカメは、外出のときは、ベルトに装着して持ち歩いていて、ほぼ一心同体の状態、もう15年くらいカメラと一緒にいる。
土曜日、瞑想を40分やってみた。丸めずに、なるべく、細かく精緻にセンセーションの変化を感じることに集中して40分。
なにが起きたか? 眼が冴えて眠れなくなった。
これには、驚いた。
瞑想は、今後、生活の中心になってゆく予感がある。
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往還日誌(179)
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■7月14日、パリ祭、雨。
家族が週末居ないかったので、植物の水遣りや掃除、風呂洗い、食事の用意など。
午前中、涼しい風が吹いていたが、午後から雨で蒸し暑くなってきた。
午後から、上野の森美術館へ、石川九楊展へ。この展覧会は、一期が「古典篇」、二期が「状況篇」と分かれている。
両方行くつもりでペアチケットを買ったが、多忙で、「古典篇」は行けず、今日、ようやく、「状況篇」を観ることができた。
印象的だったのは、9.11や3.11をテーマにした書――もはや書ではなくカンディンスキーやクレーの絵画を見るような感じだった――や、吉増剛造や田村隆一の現代詩、親鸞の歎異抄などの書だった。
河東碧梧桐の俳句109句に書をつけたシリーズもあったが、この書は、グラフィック・デザインに近く、あまり印象に残らなかった。
逆に、碧梧桐の句が強く印象に残り、碧梧桐を再発見したような気分となった。
上野までの車中は、『数学セミナー』6月号の微分特集を読む。一回目を読んだときには、まったく、基本事項を忘れていて、基本書を読んでから、再度、この雑誌を読んだ。以前より、頭に入った。
帰宅後、ただちに、夕食を作る。
夜は、きのうのルソー読書会のまとめとニコの仕事を行う予定。
私が現在、思索している『社会操作論』の中核に、ルソーの『社会契約論』と『エミール』が入ってくることがほぼ見えてきた。
7月下旬から、某雑誌において、『社会操作論』の連載を行う予定なので、気合が入っている。
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