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Cioranを読む(39)


■旧暦3月28日、土曜日、

(写真)無題

朝から、仕事に専念して、午後に、企画書を書きあげる。夕方、掃除。明日から、もう一本の企画に取りかかる。夜、フィギュアを少し観る。今日は、もうウィスキーを飲んで仕舞である。



Le fait que vie n'ait aucun sens est une raison de vivre, la secule du reste.  Cioran Aveux et Anathèmes p. 48 GALLIMARD 1987

人生に意味はないという事実は生きる理由の一つである。唯一の理由といってもいい。

■好きな断章。なんらかの超越者から生きる意味を受け取っている人は、怒りだすかもしれない。人生の意味(価値)は、欺瞞をミニマムした社会関係をどれだけ創れるか、ではなかろうか。現存社会では、なかなか、困難であるが…。



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一日一句(100)






紙芝居佳境に入る柿若葉





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Cioranを読む(38)


■旧暦3月27日、金曜日、、昭和の日

(写真)竹と花

流山・柏・松戸・金町の常磐線沿線ゾーンの放射線量が非常に高い。都内の10倍である。二度の水素爆発で、このゾーンが汚染された可能性がある。今、残っている放射性物質は、セシウムだろう。半減期は30年である。このゾーンは、内陸部の山風と海洋部からの海風が拮抗するところにあたる。詳しいデータを収集する必要性を感じている。今、市と県の方へ迅速な計測と発表を要望している。

参考データ1
参考データ2

ここのところ、グループホームをいくつか見学している。認知症には、特養がベストだと思うが、空きがない。空くまでの間、グループホームがベターだと考えるようになった。しかし、これまた、待機が多い。4か所打診したが、全部待機である。今の適合高齢者専用賃貸住宅は、ケアスタッフの数が少なく、圧迫骨折や認知症のある入居者の場合、対応に難しい面がある。入居者も、比較的元気な人が多い。しかし、なかなか、タイミングが合わず、ベターな入居ができない。今日は、午後一杯、このための連絡に追われ、特養の書類を一つ書き終えた。普通は、簡単な統一書式で済むのだが、ここは、細かい情報をいろいろ尋ねてくるので、結構時間がかかった。

福島第一原発の一号機を「水棺」にする計画があるが、この言葉になぜか非常に惹かれる。コンクリートで固める「石棺」に対応して言われるようになったのだろうが、英語でなんと言っているのか、気になって、調べてみると、「a water tomb」と言っているらしい。graveの原義が「掘った場所」であるのに対してtombはa stone structure above or below the ground where a dead person is buriedと説明されている。基本的にa stone structureなのだろう。「水棺」はさしずめ、a water structureというところだろうか。

また、ぼちぼち、plain Englishで英詩を書き始めている。ご興味のある方は、ここからどうぞ。



Au-dessu des présocratiques, on est parfois enclin à mettre ces hérésiarques dont les œurvres furent mutilées ou détruites, et dont il ne reste que quelques bouts de phrase, mystérieux à souhait. Cioran Aveux et Anathèmes p 27 GALLIMARD 1987

著作が破損したり破棄されたりして、断片的な文章しか残っていないキリスト教異端の開祖たち。申し分なく深い謎に包まれた開祖たちを、われわれは、ソクラテス以前の哲学者たちよりも、ときに、上に置きたい気分になる。

■hérésiarques(キリスト教異端の開祖たち)というのは、実に、興味深い。いったいどんな人たちがどんな言葉を残したのだろうか。




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一日一句(99)






板前の声のきほひや若楓





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一日一句(98)






故郷やどぶ川で飲む缶ビール





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一日一句(97)







言霊が一つこぼれてチューリップ









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一日一句(96)






しかふして心に色のなき桜





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Cioranを読む(37)

■旧暦3月23日、月曜日、、午後、春の雷

(写真)花、山桜の一種?

今日は、終日、仕事に専念。

先日のコンサートでAlfred Schnittke(1934-1998)が意外に良かったので、図書館で借りて来て聴きながら仕事をしていた。弦楽四重奏曲。ジャケットの解説を読むと、相当複雑な背景を持つ作曲家だと知った。1934年、ユダヤ人の父親とドイツ系の母親のもとに、ヴォルガ・ドイツ共和国の首都、エンゲルスで生まれる。ロシアに移住したドイツ人の系譜と言っていいだろう。面白いのは、ユダヤ教でもなく、プロテスタントでもなく、48歳になって、カトリックの洗礼を受けている点である。アイデンティティは不確かで、ユダヤでも、ドイツでも、ロシアでもない。あえて言えば、カトリックということになろうか。



S'il érait possible d'indentifier le vice de fabrication dont l'univers porte si visiblement la trace! Cioran Aveux et Anathèmes GALLIMARD p. 28

宇宙にはものを造りだした痕跡がいたるところにある。この痕跡の正体を突き止められたら!

■面白い断章。再生産についての議論とも関わる。先日、社会哲学者の石塚省二先生と話したときに、実に面白い事を言っていた。それは、自然は「無から有」を生み出すが、人間は「有から有」しか生み出さないと。宇宙の生産の痕跡は、「無から有」の痕跡だろう。人間もまた、この痕跡の一つである。人間の行う再生産は、新しさを、その中に常に含むが、有が前提である。



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一日一句(95)






黴の花悪夢の中に悪夢あり





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Cioranを読む(36)


■旧暦3月22日、日曜日、、イースター

(写真)平和...だが

朝食後に掃除。ひと休みして、風呂の掃除。黴が出始めた。午後、図書館に、ナボコフの短編集を借りに行く。twitterにはさまざまなbotがあって、自動でつぶやいてくれるが、あまたいる作家・思想家の中で、もっとも、衝撃的だったのが、ナボコフだった。有名な『ロリータ』の作者であり、アファナシエフも評価している作家なのだが、谷崎潤一郎と同様、食わず嫌いだった。

少し、調べてみると、1899年、サンクトペテルブルク生まれ。名門貴族出身。ロシア革命で英国へ亡命。ケンブリッジ卒。その後、ベルリンへ移動。1940年、米国へ渡り市民権獲得。初期には、ロシア語で、のちに、英語で創作活動。ベルリンやパリにもいたので、独仏語にも通じていたろうことが想像される。'61年スイスのモントルーに移住。'77年没。小説が有名だが、詩もかなり書いている。元祖、亡命作家、多言語作家とも言うべきかもしれない。ナボコフと永井龍男を同時に読んでみるというのは、なかなか、乙だと思っているのだが...。



文部科学省が、福島の子どもの年間被曝許容量を20mSv/yと決めたが、その根拠が説明できない。この映像は、福島の人々、大阪などの反原発市民団体の人々と、文部科学省の係長クラスの対決(にはなっていないが)の模様だが、ここには、責任の所在が見事に解体されている様子がでている。原子力安全委員会、保安院、など、ほとんど、実体がなく機能していない組織を多く作ることで、責任の所在を解体していく。責任の所在を解体していくということは、主体が拡散していくということであり、主体が拡散するというのは、つまりは、自分がない、ということである。あるのは、外部の権威であり利潤であり、これらに従う盲目的行動である。それが、生活と結びついているが故に、自由な主体になれない。やがて、権威と金に飼いならされてしまう。これを「大人になる」と言ってきた。こういう構造を、統治上、経済活動上、有効なものとして、戦後体制は作って来たのではないだろうか。このシステムは、ある意味で、高度経済成長に適合した設計だったかもしれないが、今では、完全に逆機能しているように思える。

当然のことながら、こんなナチスのような蛮行はありえない。多くの市民団体が反対の著名を行っている。その一つ、国際環境NGO FoE Japan。ぜひ、反対の声をあげていただきたい。署名フォームは、ここから



俳人の長谷川櫂先生(ぼくは、先生に俳句の基本と古典の重要性を習ったので、「古志」は脱会しているが、「先生」と呼ばせていただく)が、『震災歌集』を緊急出版された。3月11日以降、身体から歌が湧きあがったという。印税はすべて、日本赤十字社に寄付される。文学者の誠実を感じる。



津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布


かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを


夥しき死者を焼くべき焼き場さへ流されてしまひぬと町長の嘆き


原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ


顔見せぬ菅宰相はかなしけれ一億二千万人のみなし子


被曝しつつ放水をせし自衛官その名は知らず記憶にとどめよ




Les Allemands ne s'aperçoivent pas qu'il est ridicule de mettre dans le même sac un Pascal et un Heidegger. L'intervalle est de taille entre un Scicksal et un Beruf, entre une destinée et une profession. Cioran Aveux et Anathèmes GALLIMARD p.29

ドイツ人は、同じ鞄にパスカルとハイデッガーを入れるのが滑稽なのに気がつかない。この二人の距離は、運命と職業の違いくらい大きい。

■この断章は、シオランのパスカル観やハイデッガー観が出ていて興味深い。確かにそうかもしれない。しかし、距離がありそうに思えるものほど、同時に読むと面白いと思う。パスカルは、詩人であり、ハイデッガーは、詩人を哲学した。パスカルは、神のために戦い、ハイデッガーは、ユダヤ人の排斥に加担した。だが、両者とも実存や存在に敏感だった。なにより、「死」を意識していた。










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