goo

猿蓑:「鳶の羽も」の巻(13)



■旧暦6月12日、月曜日、

(写真)7.29デモから

今日も暑かった。朝から、雑用に追われて気がつけば、夕方。耳鳴りで夜眠れないことが多いので、睡眠薬を常用しているのだが、睡眠薬は、反睡眠作用とでもいうべきものがあり、強制的に眠らせる分だけ、覚醒の力も呼び起こす。そのため、睡眠剤なしで眠るよりも、早く目覚めてしまう。そこで、睡眠導入剤のデパスのみ服用してみたら、これが上手く行って、長く眠れた。だが、睡眠薬で押さえていた耳鳴りが出て来て、今度は終始これに悩まされる。なかなか、上手くいかんものである。

夕方、詩を一篇書く。昨日のデモをモチーフにしたものだが、しばらく書いていないと、どう書いていいのか、いつも途方に暮れる。途方に暮れた地点からいつも書き始める。一つ言えるのは、朗読のために書くという一点である。最近は、これしか基準がない。だから、逆に、どう朗読していいのか、途方に暮れる図形詩にとても関心を持っている。

F/Bで加藤楸邨をじっくり読んでいるのだが、非常にいいので驚いている。人間探求派というレッテルに囚われると、楸邨のスケールが見えなくなるなと感じている。これまで、読んだ感想では、楸邨は「現代の一茶」とでも言える俳人で、昆虫や動物の秀句が多いだけでなく、一茶のようにディープである。しかも、歴史的現実に対する感覚が鋭い。なにより惹かれるのは、俳句が諧謔性に富んでいることだ。笑いを本義とする俳諧の本流が楸邨に流れ込んでいるという印象を受ける。学ぶ点の多い俳人だと今さらながら思う。

F/Bでクラシックに造詣の深い方がいて、刺激を受けて、ブルックナーの9番を、このところ、よく聴いている。この曲は第4楽章がない未完の交響曲だが、ブルックナーが残した草稿から最終楽章を復元した版がいくつか出ている。そのうち、もっとも古く、1992年に出て話題になった、クルト・アイヒホルン指揮、リンル・ブルックナー管弦楽団のCDを聴き直している。アイヒホルンの第4楽章は、今聴き直すと、蛇足という感じがしてならない。マタチッチやヴァント、ヨッフムの三楽章で完結した録音の方が、はるかに完成しているという印象を受けてしまう。ブルックナー自身は、完成できなかった場合、第4楽章の代わりに、テ・デウムを演奏するよう示唆していたらしい。2012年に出たラトルの第4楽章の録音がどうなのか、気になるが、サマーセールで購入したまま、まだ聴いていない。



吸物は先出来されしすいぜんじ  芭蕉

三里あまりの道かゝえける   去来

■去来の含みを解釈した安東次男の解説を読むと、ちょっと、驚いてしまう。妄想と紙一重の人間関係の粋をくみ取っている。よく知っている親しい相手だからこそ、できる呼吸だろうと思う。しかし、もっと、あっさり解釈してもいいような気がする。吸物が出て宴はこれからだが、自分には、家路を急ぐ訳がありまして、ごめん。








コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(393)






夕焼の風の甘さやデモの中





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(392)






野を出でて野には帰れぬ踊かな





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

詩のデモ:『脱原発・自然エネルギー218人集』刊行!!!



■旧暦6月2日、金曜日、、恐山大祭り

(写真)7.16デモから

脱原発の全国的な運動が盛り上がりを見せている最中、詩のデモとでも言える『脱原発・自然エネルギー218人集』(編者:鈴木比佐雄・若松丈太郎、矢口以文、鈴木文子、御庄博実、佐相憲一 翻訳:郡山直、矢口以文、木村淳子、結城文、島田桂子、棚瀬江里哉、沢辺祐子 コールサック社)が刊行された。総勢218人の世界の詩人たちが、子どもたちを、福島を、原発を、文明を、核を歌い、人類が来るところ、そして還るところ、大自然を歌っている。

参加詩人の国籍は、実に多様で、日本、韓国、英国、米国、ドイツ、スイス、イタリア、インドと、原発を止めた国、止めない国、増設に積極的な国、大事故を経験した国、していない国と、原発に対するスタンスや経験もさまざまである。

この詩集は、日本語オリジナルの作品には、すべて、英訳版が施され、英語やドイツ語がオリジナルな作品には、オリジナルとともに、日本語版が付けられている。総ページ数は600ページを超える。持つとずしりと重い。この重さは、きっと、この国に昔から宿る言霊の重さなんだろう。



多様な視点から、多様な想いがぶつかり合い、さながら、咲き乱れる夏の花のようである。



悲しみも怒りも、いったん、詩的に昇華され、天上の香気に触れて、ふたたび、地上へ戻って来る。そんな力強さと、深さを湛えている。



だれしも、子どもの時代があった。あの頃のほうが今より大人だったのではなかろうか。一心に空の青を見つめていたあの頃のほうが。



この夏の読書に、ぜひ手にとっていただきたい。大型書店やアマゾンでも扱っているが、直接版元のコールサック社に注文すると確実です。ここから>>>
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(391)






ふぐりいま妙に重たし梅雨の月





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(390)






夕焼けて市中の音懐かしき




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(389)






日の光はや梅雨明けを論じあふ





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(388)






がうがうと夏の風吹く厠かな










コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

猿蓑:「鳶の羽も」の巻(12)


■旧暦5月24日、金曜日、

(写真)無題

今日は湿気を含んだ風が強い。午後から、メーカーに来てもらって、エアコンの黴取り。3年に一度はメーカーによる黴取りが必要になるらしい。

Cioranの北斎論(3)



芙蓉のはなのはらはらとちる   史邦

吸物は先出来されしすいぜんじ   芭蕉

■芭蕉の見定めに感心する。史邦の句を供養の席と見定めての付け。「すいぜんじ」とは、水前寺海苔のこと。前句の芙蓉(蓮の花の漢名)の清らかさに澄まし汁がよく感応している。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(387)






花木槿古き世のみぞしたはしき





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ