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かむい語り

木曜日、。旧暦、9月5日。



昨日は、「アイヌ民族交流ウィーク」の一環で、「かむい語り」に行ってきました。ぼくは、以前から、アイヌと琉球の文化にとても惹かれるものがあります。昨日は、駒込の琉球センター「どぅたっち」というところで、この会が開かれました。このセンターは、沖縄を太古からの基地のない平和な島に戻す運動の東京の拠点だという説明がありました。南北の文化が駒込でひとつになった夜でした。

さて、この夜は、川村シンリツ エオリパック アイヌさんのアイヌの話しを聴いたあとに、詩人の港敦子さんによるユカラ(彼女はこう発音していました。アイヌ語にも方言があり、ユカラはユラトリ地方の方言だそうです。普通はユーカラと言いますね)朗詠、倍音楽演奏家の岡山守治さんによる倍音楽演奏、川村さんと港さんの対談、質問コーナーといった構成でした。

川村シンリツ エオリパック アイヌさんという方は、実に穏やかで丁寧な語り口の人でした。55歳ということでしたが、長老の風格のある人でした。川村さんの話しは、なかなか興味深く、アイヌの歴史がいかに知られていないか、一般的なイメージといかに違うか、その一端が見えたような気がしましたね。

江戸時代に鎖国されるまでは、どうもアイヌは東アジア交易文化圏に組み込まれていたようですね。ロシア、韓国、中国との交易が活発に行われていたらしいです。ロシアからはナイフやブーツ、コート、韓国からはブレスレットなど、中国からはイヤリングなどが入ってきたようです。アイヌは、アイヌ語だけではなく、ロシア語、韓国語、中国語も交易の関係で、話せたらしいですね。アイヌ語自体も日本語になっただけでなくロシア語にもなっているとのことでした。アムール川地域までアイヌ語圏だったようです。

アイヌの結婚は、「家を継ぐ」という観念のないまったくない自由なもので、遠隔地の養子になったり、嫁さんを北京からもらったり、自由な人的交流が東アジア圏内であったようです。

一般に、アイヌと言えば、狩猟民族というイメージが強いですが、本州では鎌倉時代にあたる時代の竪穴遺跡が、道内で500箇所まとまって発掘され、その調査から、当時は稲作も行っていたことがわかってきました。

北海道内の地名がアイヌ語から来ていることはよく知られていますが、関東にもアイヌ語は残っているようなのです。たとえば、富士山はアペフチカムイと言われていたようです。この話しを聴いたとき、関東圏にも、太古からアイヌは住んでいたわけですから、ぼくの中にもアイヌの血は流れていると考える方が自然だなと思いました。そう思うと、遠い民族と思われたアイヌが急に身近に感じられてきたのでした。

江戸幕藩体制と明治政府が、アイヌを大きく抑圧したということは間違いないようです。15世紀には、50万人いたアイヌが、島に連行され強制労働に従事させられた結果、一時、1万2千人まで減ってしまったのでした。

アイヌには、文字はなかったので、ユーカラでさまざまなことを言い伝えてきたようです。ユーカラの起源は、7世紀にまでさかのぼります。ユーカラは大きく分けて、神の物語、英雄の物語、人間の物語からなり、民話や昔話もあるとのことです。東アジア交易文化圏との関係で、ユーカラにも海外の地名が入っていることがあるようです。南米や北欧の地名が見出せるものもあるようです。ユーカラはイヨマンテと葬式のときに、おもに朗詠されたようですが、イヨマンテのときにはクライマックスで止めて、あとは家に来て続きを聞くという形になっていたけれど、葬式のときには死者に最後まで聞かせて送ったのだそうです。

イヨマンテと言うと、熊の魂送りと思いがちですが、必ずしも熊に限らないそうで、動物の魂送りと理解した方が正しいようです。



港さんのユカラ朗詠は、拍子を取りながら、淡々と穏やかに朗詠するスタイルで、短い神の物語が語られました。ユーカラは長いものになると2時間3時間を越えるものもあり、一人でなんと100以上もユーカラを伝承することもあるのだそうです。

アイヌでは、神と人間はまったく対等で、家の神が約束を守らないと、神をしかって、その神を解約するのだそうです。面白いですね。



最後の質問コーナーで、いくつか尋ねてみたんですが、ぼくが誤解していたことがありました。知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」を読むと、四季が出てこないんですね。四季は暦の成立と関連があり、暦は農耕(その裏には租税体制としての広範囲な権力)と関連がありますから、アイヌのような狩猟民族(帝国を形成しない)には四季の観念はなかったのではないか。そう思っていたんです。川村さんに尋ねてみると、四季をあらわすアイヌ語はあるんですね。しかも、月ごとに捕れるもので、月の名前も決まっている。狩猟を主体とした生活ならではの四季の感覚が繊細にあったわけです。詩歌との関連で、この点に大変興味を持ちましたね。

今後も、アイヌ文化に継続的に関心を持ちたいなと思っているところです。

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株式会社コールサック社

今日は、PRをしようと思います。今、ぼくも一関係者として、実に誇らしい気分です。本が売れないと言われて久しいですが、売れない本の中でもとくに売れないのが詩の本でしょう。

そんな中、詩人の鈴木比佐雄さんが、後世に優れた詩集・詩論を形として残すという理念のもとに、詩・詩論の専門出版社を立ち上げました。それが株式会社コールサック社です。

鈴木さんは20年間、個人詩誌『COAL SACK』を継続してきましたが、この8月に版元コールサック社を株式会社化し、同時に、コヒョンヒルの記念碑的な作品『長詩 リトルボーイ』を始めとする複数の詩集・詩論の刊行を行いました。

10月になり、株式会社コールサック社としてのホームページを立ち上げました。

このホームページは、通常の出版社の販促活動の一環という位置づけだけではなく、詩誌『CAOL SACK』が詩の運動体として実践してきた諸活動のアーカイブという性格も持ち、コールサックの詩人たちの作品や、韓国・アジア・世界の詩人の紹介、さらには、編集コラムといった多彩なコンテンツを備えています。

現在、工事中のコンテンツもありますが、今後、日追うごとに充実していくでしょう。

今後、株式会社コールサック社は、理念と経済論理との葛藤の場になるでしょう。ただ、理念と経済論理は対立する局面だけではないということは言えるように思います。売れれば、何でも商品にするモラルもなにもない欲望剥き出しの現代において、この難しい命題を引き受ける詩人鈴木比佐雄さんに、ぼくは深い感動を覚えずにはいられないのです。
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芭蕉の俳句(118)

金曜日、。今日は蒸し暑い。旧暦、8月29日。

今日は、終日、サイバーに取り組んだが、難航してますな。ディランを聴いてから、60年代の音楽が聴きたくなり、キンクスの「カインダ・キンクス+11」を取り出してきた。聴きながら作業すると音楽に注意が行ってしまって、テキストの音楽が聴き取れない。どうも、翻訳作業と音楽とは相性がよくないらしい。この中のカバー曲「ダンシング・イン・ザ・ストリート」は、デビッド・ボーイとミック・ジャガーもカバーしていた曲で懐かしかった。ボーイとジャガーの方が格段に上手いが、レイ・デイヴィスの歌い方もそれなりに味わいがある。



堅田祥瑞寺にて
朝茶飲む僧静かなり菊の花


■この句を読んで、とても静かに鎮められるものを感じた。こちらの毎日のあわただしい高ぶった気持ちが鎮められていくようである。中沢新一は、丘の上に修道院があるだけで、こっち側の人間にはいい効果があると述べているが、俳句もある意味、そんな効果があるように思う。俳人や詩人という存在は、長生きするだけで、社会に良い効力を及ぼすと、ぼくは信じている。
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芭蕉の俳句(117)

水曜日、。旧暦、8月27日。

夕方、仕事が一段落したので、江戸川に散歩に行った。白鷺が一羽、夕日を背景に佇んでいる。一声叫んで、一飛びする。つげ義春の名作「鳥師」が思い出される。その白鷺もちょうど、水門の近くにいたのだった。



病雁の夜寒に落ちて旅寝かな     (猿蓑)



■初めは、さして、心に残らない句だった。しかし、これを近代のリアリズム句のように事実の句だと考えず、旅寝をしている芭蕉の心に映じた景だと考える(『古池に蛙は飛び込んだか』長谷川櫂著pp.152-153)と、俄然、余韻のある深い句になる。どこかの旅の途中で、病む雁が一羽落ちるのを見たか、その音を聞いて芭蕉が想像した景なのだろう。しかも、このとき、病んでいた芭蕉は、病む雁と己を二重写しにしていた。心の中の雁であり、己でもある。ここにあるのは、近代の主観/客観という二項対立ではない。雁という自然と己は相互に浸透し合っている。しかも、病む雁が夜寒に落ちる劇は、己の心の中でもあり、外でもある。時間的に言えば、「今」でもあり「過去」あるいは「未来」でもある。近代は、外に向かっては自然支配、内に向かって管理社会を招来したが、この句の詠まれた場所は、明らかに近代とは異なっている。そこに立ったときに感じる何かを感じることが、この句を味わうポイントなのだと思う。
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円空と芭蕉

火曜日、。気持ちよく、今日も晴れた。洗濯日和。旧暦、8月26日。

このところ、mixiにはまって、ブログがなおざりである。週刊誌を立ち読みしていたら、mixiの記事があった。ウィルスに感染したPCからプライベートピンク画像が流出した。たまたま、持ち主とその関係者がmixi会員だった。別のmixi会員が、検索して実名や所属などの個人情報が割れた。よせばいいのに、面白がってそれを別の掲示板に書き込んだらしい。mixiは基本的に実名での登録が推奨されている。知人が検索しやすいようにとの配慮からだ。思えば、会員が600万人もいるのだから、いくら紹介登録と言ったって、そこでのコミュニケーションは嫉妬もあれば競争心や虚栄心もあるだろう。現実の諸情報が開示されるから、通常のバーチャルコミュニケーション以上に力関係も生じるはずだ。くだらない奴もいれば、いい奴もいる。中には、税理士○○とか弁護士○○とか、馬鹿みたいな登録をしているのもいる。現実社会と変わらない。mixiは紹介登録だから安心というのは、まったくの神話だろうと思う。関係性の質など千差万別だからだ。そうは言っても、ハマルのは、そこに可能性を感じるからであるが…。



先日、上野で見た「仏像-一木の祈り」展をきっかけに、円空にとても興味を抱いた。円空の作った仏は、近代藝術にあるような、衝撃的なものではなく、不思議な力を持っている。魂を底の底から洗われるような感じと言ったら近いだろうか。少し調べてみると、円空は芭蕉より10歳年上だが死期は芭蕉より1年遅い(円空1632-1695、芭蕉1644-1694)。活動の時期がほぼ重なるのである。円空も芭蕉も漂泊し、一方は仏を残し、一方は俳諧を残した。仏も俳諧もその力は現代まで及んでいる。

現代の俳人は円空が好きのようで、数多く詠まれている。


嚏して円空仏と別れけり 庄司圭吾


稲架を組むここも円空流浪の地 久保 武


添水鳴り円空彫の鬼が哭く 赤松子


野桑熟れ親指ほどの円空仏 吉田汀史


惑ひゐて円空仏に桜かな 大木あまり


うぐひすに耳欹てん円空仏 新谷ひろし


くすぐつたいぞ円空仏に子猫の手 加藤楸邨


漆黒の円空仏や雁渡し 田阪笑子


寒さまたうべなひ円空仏ゑまふ 占魚


雲雀野を来て円空の微笑仏 加古宗也


円空の千手かんのんさん秋寒 素抱


秋収め村人の守る円空佛 素抱


円空の出遁読み初め「畸人伝」 随笑


遠青嶺円空仏に鳥の貌 鈴木恵美子


白辛夷円空仏にかしづける 土岐錬太郎


円空仏喜色満面蝶よぎる 近藤一鴻


円空仏の師に似し笑ひ清和なる 伊藤京子


いちはつや円空仏は手に軽く 永井龍男


円空仏生家に並ぶ後の月 柿本多映


かくれんぼしてゐる春の円空佛 佐川広治


かなかなや円空仏が眼尻上ぐ 伊藤敬子


円空(く)さんにどすんどすんと山清水 中戸川朝人



汚れて小柄な円空仏に風の衆 金子兜太


円空の眦を彫る秋没日 原裕 正午


もの言へば円空仏もさむかりき 加藤楸邨


啓蟄の円空仏は素足かな 楠本憲吉



■円空仏の微笑みは、なんとも言えない。深く蔵してほのかなる笑みである。
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芭蕉の俳句(116)

金曜日、 旧暦、8月22日。

1週間前から、mixiを始めた。初めはめんどうだったので、このブログをリンクしただけだったのだが、海外回線などの回線容量によっては、ブログが開かないことがわかった。そこで、mixiとブログを棲み分けることにした。ブログは、今のまま、何でもありのものにするが、mixiは季節や季語の話題を中心に、文体も話し言葉に変えて、書いてみることにした。mixiをしている方は、「wintermond」というニックネームで検索してみてください。あわせてお読みいただければ幸いです。



このところ、虚子の俳句をずっと読んでいるのだが、戦後の俳句まで読んできて、「花鳥諷詠」というのは、単なるスローガンではなかったか、と思うようになってきた。それだけ、虚子の詠みぶりは自在で、客観写生という枠には収まっていない。「戦中俳句」という切り口だけではなく、俳句そのものに即して、じっくり検討してみようと思っている。



ある智識ののたまはく、「生禅大疵の基」とかや、いとありがたく覚えて、

稲妻に悟らぬ人の貴さよ  (己が光)

■「智識」は高徳の僧。「生禅」は生半可な禅。元禄3年秋の作。

中途半端に悟らない人の貴さを述べていて、惹かれた。悟ることは、ある意味で、答えを出すことであるから、悟らないことは、答えを出さずに、問いのまま放置することでもあるだろう。答えを出すこと、問いを見出すこと。どちらも貴いと思うが、中途半端に悟るのなら、問いのまま放置する方が美しいと思う。

この句は、ロラン・バルトがフランス語に翻訳していた。どう訳したか、今、資料を探してみたが、出てこなかった。出てきても、フランス語は読めないから、あまり意味はないのだが。
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天突き体操

木曜日、 旧暦、8月21日。

天突き体操、いたしましょう。 よぃしょー! よぃしょー! よぃしょー!

六等分されたスペースの中心に看守がいて、それぞれのスペースで看守に背後から監視されながら、独房の囚人たちが一人で天突き体操をしている。ラジカセの声に合わせて「よぃしょー! よぃしょー!」と、なんともペーソスのある掛け声で。このシーンを映画「刑務所の中」で観たとき、不思議な感動を覚えた。突く相手は、秋晴の天である。腰をかがめて、掛け声と同時に、指先まで伸ばして大きく天を突く。この屈伸動作をただただ繰り返すのである。

ラジカセの声は無機的で抑揚のない男性の声である。けっして励まさず、けっして蔑まず、けっして声は弾まない。

このシーンを山崎努が演じたとき、ぼくは心底、心が動いた。

考えてみると、個室の作業という点では、ぼくの仕事だって、独房の仕事と変わらない。時間にしばられるから、自由に外出もできない。ひどいときには、飯だって食えない。さすがにトイレは勝手に入れる。

実は、この頃のマイブームは、天突き体操である。独房用に考案されただけあって、実によく効く。背筋が延びて爽やかな気分になるのである。もちろん、人目のあるところでやったら、完全に行っちゃっている人になるから、室内でやるのだが、そのとき、室内は、天高き秋の空なのである。

秋空にわれがぐんぐんぐんぐんと  虚子

天突き体操、いたしましょう。 よぃしょー! よぃしょー! よぃしょー!



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ミシェル・マフェゾリとニコ・シュテール(2)

水曜日、。旧暦、8月20日。

2) ニコ・シュテールの講演「知識界と民主主義界―市民社会は知識の娘か」

ニコ・シュテールは1942年生まれ。カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学、アルバータ大学教授を経て、現在、ドイツツェペリン大学カール・マンハイム講座教授。エッセン高等文化研究センター・フェロー、『カナダ社会学雑誌』編集人。カール・マンハイムの世界的権威で、1999年以降は、とくに知識社会論を全面展開している。「知識社会」提唱の第一人者。主な著作に、『実践<知>―情報する社会のゆくえ―』、『カール・マンハイム―ポストモダンの社会思想家』(以上、御茶ノ水書房1996年刊)、『知識社会論』(1999)、『現代社会のもろさ―情報社会における知識と危険性』(2001)、『知識政治―化学・技術の帰結を支配するー』(2005)などがある。

ニコ・シュテールの講演は、あらかじめレジュメが用意され、それに沿って、講演は進んだ。ここでは、その講演要旨を簡単に紹介して、その後、疑問に思う点を記してみたい。

シュテールは、マックス・ホルクハイマーの「正義と自由は互いに支えあわない」という主張から始める。
・この主張は、民主主義と知識の関係にも当てはまるかどうか。
・知識は民主主義を進めるかどうか。
・知識の進歩は民主主義にとって、あるいは市民社会にとって、個人にとって重荷になるかどうか。

このように、幅広く3つの問題意識を述べた後に、3つのテーマについて述べた。

1) 専門知識と市民社会を融和させる
2) 市民社会と私的財としての知識を融和させる
3) 市民社会と知識格差を融和させる

この3つのテーマについてシュテールは詳論していくのだが、その内容をまとめる気力はない。ただ、感じたのは、この3つのテーマが現代社会の知識をめぐる問題点あるいは課題になっているということだった。結論部で、シュテールは、抽象的な形ではあるが、次のような主張を述べている。

The basic claim for the moment however is that democratization in modern societies as knowledge societies increasingly extend to the democratization and negotiation of knowledge claim.

知識社会である現代社会の民主主義化は、知識主張(knowledge claim)の民主主義化と調整に及ぶ。

この主張が、具体的にどういうことをイメージしているのか、よく分からない。分からないが、シュテールは、科学的知識・学問的知識と社会の間の関係は、通常思われているよりも柔軟だと考えている。つまり、専門知識と大衆との距離は認めつつも、その距離は固定されているわけではないと、考えている。知識と民主主義の進展について、楽観的というよりも市民社会の諸組織の可能性あるいは人間活動の可能性に、ある意味で、賭けているような印象を持った。

ぼくが一番疑問に思ったのは、マフェゾリもシュテールもポストモダンの認識を共有している。その特徴の一つに社会の多元化の指摘があるのだが、その裏に一元化作用が陰画のように進行している事態を見ていないという点だった。つまり、「市場化」である。シュテールの場合も、その議論に「市場化」の位置づけがない。知識は、専門家や科学者が無前提に生産し、社会に配分されるのではなく、市場が知識の内容や形式を規定する。たとえば、自動車メーカーの社員であれば、ドライビングの快適さと安全性という命題から種々の必要な知識が演繹される。シュテールがイメージしているような、個人が市民社会において、何らかの主張を行うための知識というモデルは、ギリシャ時代のポリスがモデルになっているように思う。そこには「市場化の進展」という観点が弱い。確かに、テーマ3)にあるような「知識格差」という知識の配分問題は、社会の市場化によって結果されるものであるが、知識の形式や内容に対する市場の意味や市場志向の知識という本質的な問題が探究されていないように感じるのである。

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第3回鳴海英吉研究会

火曜日、。旧暦、8月19日。

二ヶ月ぶりで床屋に行く。さすがに、髪がぼさぼさで収拾がつかなくなったのである。昨夜は、鳩虐殺事件があった。当集合住宅の理事会顧問という立場のため、夜、おばさんたちに呼び出されて、現場に急行した。鳩の首の部分だけ食いちぎられ、何かでつついたように凹んでいる。羽根が非常階段に散乱している。近くに、割り箸が二本放置されている。おばさんたちは、割り箸と殺害との因果関係を疑い、気味悪がっていたが、管理人や理事と検分した結果、猫と鳩あるいは烏と鳩の動物同士の殺し合いとの見方に落ち着いたのであった。連続殺鳩事件でなければ、人の関与はまずないだろう。殺しの時刻は、管理人の証言によれば、午後5時半。その時間、天から牡丹雪のように羽根が舞ったという。割り箸に血痕はなかったのである。



詩人の鈴木比佐雄さんが主催する「鳴海英吉研究会」が以下のように開かれます。ご興味のある方は、鈴木さんまでご連絡ください。ぼくも、朗読を行うことになっています。

鳴海英吉が亡くなり6年が過ぎ、今年も彼の詩的精神を後世に伝えるため、「鳴海英吉研究会」を下記の内容で開催いたします。今回は詩集刊行時に記念講演をして下さった宗左近さんを偲ぶ会を兼ねたいと計画しています。

第三回 鳴海英吉研究会・宗左近さんを偲ぶ会 
 
主催/鳴海英吉研究会
日時/2006年11月18日(土)午後1時〜5時 
場所/市川・山崎パン企業年金基金会館6F第2会議室(JR市川駅北口下車2分)
   市川市市川1-3-14 ℡047-321-3600
   開場:12時30分  開演:午後1時
定員/50名 
会費/1.500円(資料代とお茶代)
司会/朝倉宏哉、鈴木比佐雄、大掛史子

第一部 研究・講演/講演者4名、1時〜2時50分
 講演者/佐藤文夫 … 鳴海英吉節について
     石村柳三 … 鳴海英吉と石橋湛山
     芳賀章内 … 宗左近の詩的精神と縄文の精神性
     井上 綾 … 宗左近先生からの伝言

第二部/スピーチと鳴海英吉の詩を朗読/2時55分〜3時50分
  玉川侑香、李美子、葛原りょう、尾内達也、遠山信男、柴田三吉、
  田上悦子、 岡山晴彦、水崎野里子

第三部/シンポジウム/鳴海英吉の詩作における女性像
           4時〜5時
  コーディネータ/大掛史子
  パネラー/岸本マチ子、山本聖子、鈴木文子

* 二次会 松花堂(近くの料亭)5時半より(会費2000円程度)

○ 鳴海英吉研究会実行委員:芳賀章内、佐藤文夫、大掛史子、鈴木比佐雄
  問い合わせ事務局:鈴木比佐雄 電話/FAX:04-7163-9622 
                E-mail coalsack@d7.dion.ne.jp

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刑務所の中

月曜日、。旧暦、8月18日。

どうも風邪らしい。めったに引かないのだが、昨日は悪寒がひどく、今日は体が重い。熱はないが、予定していた作業は中止して、ぼーっとすごす。



映画「刑務所の中」(崔洋一監督、山崎努、香川照之他、2002年)を観た。この映画の原作は、花輪和一の同名のコミックである。数年前に読んで、面白かったので、映画化されたと聞いて、楽しみにしていた。封切りは観られなかったので、前からTSUTAYAで探していた。

銃刀法違反で懲役3年の刑を受けた花輪さん自身の旭川刑務所での体験がそのまま描かれている。体験自体が特異なので、映像はどこを取っても驚くようなことばかりである。それでいて、暗くない。むしろ、コミカルである。そのコミカルさは、現実のある面が極端化され、それを大真面目に行うところにあるように思う。房の外では、歩き方や歩数まで決められており、トイレは許可を得なければならない。作業中にトイレに行くときには、手を上げて「ねがいまーす」と大声で刑務官に願い出るのである。刑務官は、教壇のような高いところにいて、作業を監視し、手を上げた受刑者に応えて、指差すのであるが、その指し方が意識的で大仰で実におかしい。何かを指差すときには、いきなり指すのが普通だが、刑務官は、いったん、指先を背中側にもってきてから相手を指差す。腕の動きは180度を動くことになるので、実に派手な指差し方なのである。

この映画で印象的だったのは、受刑者・刑務官の体の動きである。とりわけ、監視される受刑者の体の動きは面白い。房(5人一部屋)の中は別として、いったん外に出て作業場に向かったり運動場に向かったりするときには、指先まで監視が行き届き、管理されている。集団で行進するときなどは、ある種の美しささえある。まさに、刑務所は極限の管理社会である。

面白いのは、反抗する人間がほとんどいないことだ。むしろ、支配されることに喜びを見出し、進んで服従しているふしがある。花輪さん自身、房内で「不正連絡」をしたかどで、懲罰独房に入れられるのであるが、ここの居心地が集団房よりいい。個室で、風呂も一番風呂。作業は独房内で行い、薬局で使用する紙袋の作成作業という軽作業(花輪さんは自発的に、一日200個作成に挑戦して実現している。ノルマはなさそうだった)。ただし、トイレは個室内に設置されているが、自由に使用できない。ここでも許可を受けなければならない。その他は、実に良さそうなのだ。花輪さん自身、ここで一生すごせと言われたら、3日泣くけれど、諦めがつくだろうな、と回想している。刑務所生活で一番の思い出になったところらしい。

刑務所の食事は、意外にいい。普段は米7割麦3割の飯を主体に、少量のおかずが3品くらい、汁物が1品。中でも、正月三が日は、娑婆以上かもしれない。2、3キロ太るという冗談が出るくらいである。24時間監視され、刑務官にしょっちゅう「たるんでいるぞ」と大声でどなられたり注意されたりするものの、作業は週休2日で、休日には映画鑑賞もある。

日本の「刑務所文化」の起源・モデルは、たぶん、日本帝国軍隊にあるのだろう。刑務官はいわば、上官で受刑者は初年兵である。映画では、刑務官の暴力はなかったが、数年前に刑務所内の暴力が社会問題化したことがあった。刑務官の絶対的な権力を見ていると、そこから物理的な暴力までは近いなという気はした。

極限の管理社会にプライバシーはない。どこまでも刑務所内の空間は明るく透明で、「個人」はない、「内面」はない。食欲・性欲・睡眠欲は、ミニマムに抑えられている。種々の欲望が抑制されているという点で、刑務所は、おそらく、日本でもっとも非資本主義的な社会圏の一つだろう(刑務所の画面を見ていて美しく感じるのは、こっち側の欲望まみれの現実がそう感じさせるに違いない)。けれど、人間である。欲望はあるはずだ。抑えられればそれだけ溜まる。一説では、北朝鮮の兵士は、若い女性が笑っただけで、射精してしまうとも言われている。食欲・睡眠欲は統制できるとしても、性欲はどうしているのだろう。その辺の現実も描かれていると、コミカルを超えたディープでブラックな味わいが出たかもしれない。


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