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ドイツ語の俳人たち:Alexis Margret Dossler(2)

■10月3日、金曜日、

(写真)山頂

山頂に至るまでの山道で、山梨の実を取って食してみた。直径3、4センチの実なのだが、香りは梨そのもの。ただし、味は渋い。




Der Bilderrahmen,
der still am Weg wartet,
zeigt heute das Meer.


道の端で
しづかな時を待つ額
今日の絵は海だ


■なんとも不思議な感覚の俳句で惹かれた。少し意訳した。これも写真と一緒に見てもらうといっそう面白い。こういう表現は、どこか、子どもの表現に通じるところがあるように感じた。絵で言えば、幼稚園児の描いた絵に。



Sound and Vision

Gulda plays Schubert impromptus no.90/4
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Richard Wrightの俳句(69)

■旧暦10月1日、水曜日、のち

(写真)芒

山の芒は、さすがに、セイタカアワダチソウと共演していないので、気分が良かった。なかなか平地ではソロで芒のなびく姿が見られない。

今日は夜風が冷たかった。湯豆腐で一息。




A wounded sparrow
Sinks in clear cold lake water,
Its eyes still open.


傷ついた雀が
冷たく澄んだ湖に沈んでいく
眼を開いたまま



(放哉)
雀が来る木が切られてしまつた


■ライトの句、Its eyes still open(目を開いたまま)に惹かれた。情景が目に浮かぶようである。自然界の非情さと、自然のものは自然へ還る掟の清々しさを感じた。放哉の句、残念がっている放歳の姿がどこかおかしい。人間は自然なのだろうか、不自然なのだろうか。その両方なのだろうか。二人の句を読んで、そんなことを思った。




Sound and Vision


Nirvana - Rape Me live


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Marxを読む:「経済学哲学草稿」(4)

■旧暦9月30日、九月尽、火曜日、

(写真)秋の花

午後、少し、運動。自分で考えた筋トレメニューを軽くこなす。これに太極拳かヨガを組み合わせることが目下の目標。ぼくの運動の目的はストレス解消とよく死ぬためであるから、気楽なもんである。

先日、YouTubeでジャック・ケルアックJack Kerouac)が俳句を作っていたのを知った。少し検討してみようと、アマゾンで2冊オーダー。そう言えば、ビート作家たちは、俳句にみな関心を持っていたんだっけ。



マルクスの『経済学哲学草稿』の第三草稿を読んでいて、ちょっと、びっくりした個所があった。


女にたいして共同体的な肉欲の餌食や下女というかたちでしか関係しないということのうちには、人間がおのれ自身にたいしてかぎりなく堕落している事態が言い表わされている。というのも、この(人間のおのれ自身にたいする)関係の秘密があいまいの余地なく、決定的に、公然と、あらわに表現されるのは、男の女にたいしする関係においてであり、この直接的で自然的な類関係が理解されるしかたにおいてだからである。人間の人間にたいする直接的で自然的で必然的な関係とは、男の女にたいする関係である。この自然的な類関係においては、人間の自然にたいする関係がそのまま人間の人間にたいする関係でもあれば、人間の人間にたいする関係がそのまま人間の自然にたいする関係、つまり、人間の自然的な規定でもある。したがって、この関係においては、人間にとって人間的本質がどの程度まで自然になっているか、あるいは、自然がその程度まで人間の人間的本質になっているかが、感性的なかたちで、つまり、ひとつの直観可能な事実にまで還元されたかたちであらわれてくる。そうだとすれば、この関係にもとづいて、人間の文化段階全体を判断することができる。
 (『マルクス・コレクション』Ⅰpp.347-348 筑摩書房 2005年)

■なににびっくりしたかと言うと、1843年~1845年のマルクスのパリ時代に、すでに、フェミニズムの先駆的な思想が現れていることである。マルクス以前にも、フェミニズムの萌芽はあったのかもしれないが、これだけ、明晰に、人間の自然との関係と男女関係、文化段階を関連づけて展開したものはそうそうはないんじゃないだろうか。男女関係がどんな関係かで、文化レベルがわかるというのは、実に、男にとって痛い話じゃないだろうか。ぼくは、フェミニストではないが、男が威張っている社会や時代は、けっして健康じゃないという直観はある。典型的なのが先の戦時体制である。

一方で、この話と矛盾するようだが、男女関係は、その共同体の外部の者が観察者の立場で、女性が「肉欲の餌食」や「下女」だと簡単に決められるものだろうか、という疑問がある。文化に段階やレベルがあるというマルクスの前提は、なお、掘り下げてみる余地はあるように思う。



Sound and Vision

John Lennon stand by me
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飴山實を読む(85)

■旧暦9月29日、月曜日、のち

(写真)山林

体脂肪を測れる体重計で測ったところ、標準値を大きく上回った。体が重く感じるし、ストレスも抱えているので、思い切ったスケジュールの見直しをすることにした。仕事は午前中に済ませてしまって、午後は、心身関連に時間を使うというスケジュールである。早寝早起きが前提になるが、睡眠薬を常用する身としては、これがなかなか厳しい。




細道は犬がつけたる草の花
  『花浴び』

■記憶の中の野良犬の姿や秋の山道が思い出されて惹かれた。人と自然の関係の歴史の痕跡を感じる。野良犬は今はいないし、標高1300メーターの飯盛山にも、小型犬を散歩させるハイカーがいる時代だから、こうした句は、現実を表していない、という人々もいるだろう。だが、こうした人々に支持されている句を読むと、前頭葉だけで作られた都市型の俳句であることが多い。新しさを強迫的に追い求め、価値とする意識は、社会全体の市場化・情報化と密接な関係がある。優れた俳句は、背中から未来に入っていく俳句の中にあるのではないだろうか。



Sound and Vision

Bruce Springsteen - The River (on a street in Copenhagen)
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芭蕉の俳句(202)

■旧暦9月28日、日曜日、

(写真)山肌

朝、モスにパソコンを持ち込んで仕事をしようとしたら、テキストを忘れる。しかたがないので、別の作業をする。パソコンの電池というのは、充電して放っておくと、放電してしまうらしい。1時間半しかもたず慌てた。



戴いた句集から。


寺の下駄借りて筍見てまはる
とんばうを目で追ふ猫とぬれ縁に
渋柿と勝手にきめて通りけり
いまのこともう忘れけり雪柳
蚊を打つてむかし話を続けけり
そこつ妻その命日が二日とは
起きて寝て寝て起きてまた年の暮


新倉一光句集『不老』から

新倉さんは、今年米寿。飄逸なユーモアの背後に深い喪失感と諦観が漂う。重い軽さ。


梅を見るみな慎ましき顔したる

再びは遥かとなりし初音かな

子育ての頃の秋刀魚を思ひけり


同句集から

■一句目。梅を見る人をこれだけ的確に詠んだ句をほかに知らない。二句目。作者の越えてきた困難な時の流れを感じさせる。戦争や病を越えて遥かに振り返る年月。三句目。秋刀魚という季語がいきいきと定まっている。季語の確かさに惹かれた。



秋近き心の寄りや四畳半  (蕉翁句集)

■元禄7年作。心を通わせながら連衆が四畳半に坐している様子に惹かれた。「秋近き心の寄り」がすんなり納得される。「秋深き隣は何をする人ぞ」を思い浮かべた。季語の使い方は同じだが、双方、交換できない必然性を感じる。楸邨によれば、この句は、寿貞の訃報に接した直後の歌仙の席の発句。



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Bob Dylan Blowin' In the Wind


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ドイツ語の俳人たち:Alexis Margret Dossler(1)

■旧暦9月27日、土曜日、

(写真)落ち葉

今日は、朝から、モスに籠って仕事。買い物。掃除。家人が撮った山の写真を見ながら、俳句を考える。また、仕事。



ベアテ・コンラートさんは一区切りつけて、Alexis Margret Dosslerさんの俳句を検討してみたい。アレクシスさんのホームページは、写真が非常に美しく、俳句と写真のコラボレーションが見事である。写真がいいので、逆に、俳句が写真を前提にしたものになっているきらいもあるが、それはそれで、楽しめる。今日、検討する俳句は、ホームページの写真といっしょに見てもらった方がいい。


Eine Welt besteht
manchmal nur aus drei Farben;
und ist groß genug.



ひとつの世界が
たった三色のこともある
大いなる充足


■観念を俳句にするのは、なかなか、難しい。「もの」に託して観念を伝えるのが、日本語の俳句の方法であり、「もの」の存在の確かさに、ある意味で、賭けているところがある。これに対して、この句は、言葉の指す「対象」が希薄である。言語には対象、すなわち意味はない、あるのは言語ゲームだけである、とはヴィトゲンシュタインの言葉だが、俳句の言語ゲームは、「意味の周辺」に味わいがある。アレクシスさんの句は、欧州の散文あるいは詩の伝統の中にあるように感じた。これはこれで、魅力的だとは思うけれど。




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Bob Dylan - Mr Tambourine Man
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Richard Wrightの俳句(68)

■旧暦9月23日、火曜日、

(写真)もみじして

山登りやトレッキングというのは、今まで、ほとんど興味がなかったが、実際歩いてみると、自然は変化に富んでいて、非常に面白い。都市だけで暮らしていると、人間、どこか歪むな、と実感するこの頃。




That road is empty,
The one leading into hills
In autumn twilight.



その道は行く人なく
一本道の丘また丘
秋の暮



(放哉)
道いつぱいになつて来る牛と出逢つた


■ライトの句、芭蕉の「この道や行く人なしに秋の暮」を思い出させる。丘がどこまでも連なっている景を想像した。道行く人が誰もいない静けさに惹かれた。放哉の句は、人ではなく牛が道いっぱいに広がっていてユーモラス。



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Jack Kerouac - American Haiku
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飴山實を読む(84)

■旧暦9月21日、日曜日、

(写真)八ヶ岳の朝の月

野辺山高原に八ヶ岳を見に行ってきた。標高が1500メートルを超えると、紅葉が始まっていた。朝の月、芒、紅葉、浮雲。八ヶ岳は晴れていた。行き帰りのバスは、ずっとiPodに入れた志ん朝を聴いていた。一人で笑っていたので、変な人になってしまった。

今度の一連の金融問題は、ブッシュや小泉などが進めてきたグローバリゼーションのひとつの帰結のように思う。市場に何らかの形で倫理を組み込むべきなんじゃないか。「市場原理主義者」(イスラム原理主義となんら変わらない)は、市場が本質的に、地上で貧困を生むばかりか自尊心も損なう装置だという点に鈍感すぎると思う。




大ローマ帝国の遺跡西瓜売る
   「花浴び」

■西瓜で秋。ローマ帝国の領土の広大さが、西瓜という果物に集約されていて惹かれた。



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泉谷しげる・春のからっ風(embedding disabled by request)

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芭蕉の俳句(201)

■旧暦9月20日、土曜日、

(写真)ハロウィーン

朝、江戸川散歩。雀の群れ。芒とセイタカアワダチソウ。朝の月。いつもの喫茶店で、俳句の推敲と読書。

アファナシエフの翻訳がすこし動きそうだ。日本側の窓口が、プッシュしてくれることになったので、年内に、新作詩を数篇送ってくれるように頼んでもらった。やれやれである。





皿鉢もほのかに闇の宵涼み
  (其便)

■元禄7年作。皿鉢の白さが闇にほのかに浮かんでいる。そのほの白さに納涼を感じている微妙さに惹かれた。



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Aimard - Schumann Symphonic Etudes (5/5)
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ドイツ語の俳人たち:Beate Conrad(4)

■旧暦9月15日、月曜日、

(写真)新米

掃除して、今日は暮れた。蕪村の絵が見たくなって、夕方、図書館に借りに行く。夜、ゴミを出しながら月を見る。




Mit der Zeit:
Sonnenerhellte Blätter,
wandernde Schatten.


Something of time:
Sunlit leaves
traveling shadows.


時の流れ
光と影を
散る紅葉


■たぶん、こんな感じだろうと思って訳した。良寛の「うらをみせおもてをみせて散るもみじ」を思い出した。



Sound and Vision

Aimard - Schumann Symphonic Etudes (4/5)

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