verse, prose, and translation
Delfini Workshop
「ふと目にした日常の光景、一瞬の事柄にも、これほど深い洞察力で、ご自身の世界観、哲学、感覚を詩という形で表現されていて、本当にすごい」!
新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』にいただいた読者の方よりのご感想2
■以下に、読者の方よりいただいたご感想を転載していきます。どうぞ、御覧ください。
■A.I様(元大学講師)
「時間の河に押し流されて、心の余裕がなくなっている自分にとって、ふと目にした日常の光景、一瞬の事柄にも、これほど深い洞察力で、ご自身の世界観、哲学、感覚を詩という形で表現されていて、本当にすごいと思いました。
同時に自分自身の時間との向き合い方や日常を観る目が、静かに落ち着いて行くように感じました。何回も読み返したくなる詩集になると思います」。
■9校を経て第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂、2024年5月25日)が発刊されました!
・ぜひ、お読みください。
・定価2200円(税込み)
帯文:野村喜和夫
「ポンジュの再来、というだけではない。詩篇の発表当初は『運動と時間』という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の<誕生>と<名づけ>をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ」。
装画:Romie Lie
購入方法は次のとおりです。
1)注文メール(delfini800@gmail.com)を著者宛に送る
2)七月堂のHPから購入する。(2編読むことができます)
3)書店で購入する
3)の1 新宿紀伊国屋本店および池袋ジュンク堂には入っています。
3)の2 最寄りの書店に発注する
・よろしくお願いします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「言葉と言うものがこれほど、静かに、それなのになぜか心に響いてくるとは思いませんでした」!
新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』にいただいた読者の方よりのご感想
■以下に、読者の方よりいただいたご感想を転載していきます。どうぞ、御覧ください。
■加藤恵子様(キューバ文学者・アナーキスト)
「お返事が大変遅くなりまして申し訳ありません。てっきり句集が来ると思っていてちょっとびっくりしました。私は詩にはあまり詳しくなく、今日1日読ませていただきましたが、言葉と言うものがこれほど、静かに、それなのになぜか心に響いてくるとは思いませんでした。改めて丁寧に拝読させていただきます」。
■9校を経て第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂、2024年5月25日)が発刊されました!
・ぜひ、お読みください。
・定価2200円(税込み)
帯文:野村喜和夫
「ポンジュの再来、というだけではない。詩篇の発表当初は『運動と時間』という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の<誕生>と<名づけ>をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ」。
装画:Romie Lie
購入方法は次のとおりです。
1)注文メール(delfini800@gmail.com)を著者宛に送る
2)七月堂のHPから購入する。(2編読むことができます)
3)書店で購入する
3)の1 新宿紀伊国屋本店および池袋ジュンク堂には入っています。
3)の2 最寄りの書店に発注する
・よろしくお願いします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』発刊!
■9校を経て第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂、2024年5月25日)が発刊されました!
・ぜひ、お読みください。
・定価2200円(税込み)
帯文:野村喜和夫
「ポンジュの再来、というだけではない。詩篇の発表当初は『運動と時間』という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の<誕生>と<名づけ>をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ」。
装画:Romie Lie
購入方法は次のとおりです。
1)注文メール(delfini800@gmail.com)を著者宛に送る
2)七月堂のHPから購入する。(2編読むことができます)
3)書店で購入する
3)の1 新宿紀伊国屋本店および池袋ジュンク堂には入っています。
3)の2 最寄りの書店に発注する
・よろしくお願いします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
往還日誌(158)
■5月26日、日曜日、晴れ。
きょうは、朝から、ルソー読書会だったが、体調不良で、お休み。
ハトコのHの家が、パンとケーキの店になっている夢。なんと、6000円もパンとをイチゴタルト買ってしまい、カードで払っている。家族が旅行中なので、自分ひとりで食べるしかないな、と思いながら目が覚める。
朝から、4人に、第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』を送付。詩集の販売というのは、たいへんで、買ってくれる奇特な人はそうそうはいない。
第5詩集のためのテーマは、すでに複数出ており、それらを統合する上位のテーマあるいはモチーフをきょうは思いついた。だが、具体的にどういう詩群になるのか見当がつかない。また、それだけでは、つまらないとも思っている。
まだ、助走に時間がかかるだろう。
ライフワークの一つである、ルカーチの『社会的存在の存在論に向けて』の翻訳に、明日から取り組む予定。
締め切りは過ぎている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
往還日誌(157)
■5月25日、土曜日、素晴らしい天気だった。風も湿度がなく軽くて心地いい。
今週は、午前中から仕事以外が予定の入っている日が多く、しかも毎日、午後から夜は、六本木の激務だった。
先週末は、土曜の公開講座に次いで日曜も予定があり、3時間睡眠だった。
日曜日の夜は、家族に新たまねぎの無水カレーも作っている。これは、材料を切るだけで、あとはほとんど世話なしなので、できたのだが。
今週は、朝は、比較的調子がいいのだが、夕方から夜は、全身疲労に見舞われて、ダウン気味。
こういうときは、胃腸もやられて、珈琲はぜんぜん受け付けなくなってしまう。
もっぱら、深蒸しの新茶のみ。
きょうは、仕事はせず、ひたすら休んだ。
新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』、ぼちぼち、友人知人から注文が入り始めている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
往還日誌(156)
■5月23日、木曜日、曇り
必要なものは与えられる――なんだか、還暦をすぎて、そんな心境に至った。
気功も、呼吸法も、Vipassana meditationも、あるいはフロイトやラカンとの出会い・再会も、今の私に、「必要なもの」として与えられたように感じる。
与えられるものは、いつもつつましい。
それでいいのだろう。
日誌を書くのに長く、30年くらい愛用してきた100枚のノート「コクヨ ノ-90A」が、2022年に生産終了していたことを、つい先日知った。
コクヨに後継ノートを問い合わせたところ、「ノ-10AN」(ピンク表紙)があることを教えてくれた。
アマゾンで、2ヵ月の周期で購入する定期便を発注。約2ヵ月で100枚を書ききってしまうのである。
日誌と言っても、単なる日々の記録ではなく、俳句や詩の習作、思索のスケッチなど、さまざまな、ものを書き込んでいるせいもあるが、filoFaxと連携して、毎日の作業を項目ごとに書き出し、それをチェックしたリフィルを2枚、ノートに貼り付けているので、ノートの頁の消費の進みが速くなる。
この習慣は、会社を35歳で辞めてから、仕事の工程を自己管理をせざるを得なくなって始めたもので、毎日ではないが、30年くらい続いている。日誌を書くというのも、自分のメンタルを対象化したり、人生や生き方の方針・方向性を定める上で、有用なために始めたものである。
昨年から、月の半分を京都でひとりで過ごすようになり、日誌を書く分量が一時期急激に増えた。要は、孤独になったためだが、その内容は大半が妄念や妄想に近いもので、Vipassana meditationを行うようになり、それはほとんど消えた。
詩を書いていると、アイディアが文字通り降ってくることがあり、仕事中でも降って来るので、一時期、それを書き留めるのに、大変難儀したが、Vipassana meditationを行うようになり、それはほぼなくなった。アイディアが消えたのではなく、それが、アナーキーに降ってくるということがなくなったのである。
きょうの午後、私の第4詩集『二十の物と五つの場の言葉』が、七月堂より届いた。
これで、終わりではなく、これが始まりで、販売促進という大仕事が始まる。
後日、この詩集の案内を書きます。ぜひ、お読みいただきたいと思います。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ |