verse, prose, and translation
Delfini Workshop
往還日誌(229)
■10月29日、火曜日、曇りのち雨。
日曜日は、午前中、ニコの仕事を行って、午後、ウトロの平和祈念館で、ジャーナリストの中村一成さんの『今日に抗う 過ぎ去らぬ人々』(三一書房)出版記念講演会へ参加。
民族差別の問題は、世界の植民地主義-体制の問題と、直結している。
中村さんは、日本に於いて、連帯を含む個人のレベルでの、多様な抵抗のあり方を、その個人の生き方として、提示している。
我々の目に見えない、あるいは、見過ごされてしまう抵抗のあり方と、その社会的な成果を、伝えてくれる。その意味で、たいへん勉強になる。ここには、その意義を過小評価、あるいは、ネグレクトする社会操作が絶えず入るからだ。
我々が、社会批判を行う場合、多くの場合、社会システムの巧妙な悪を抉ることのみに専念しがちだが、それでだけは、足りないことを教えてくれる。
つまり、たくましく、したたかに、戦っている、そして、戦ってきた主体を、絶えずフォーカスし、自らのアンチ植民地主義-体制の主体形成に活かしてゆく、その契機にするという視点が欠けてしまうからだ。
同時に、国家レベルでは、帝国主義、植民地主義-体制に、アンチを唱えている国家連合のBRICSと、リンクさせて考える必要があるとも感じている。BRICS内部には、インドのように、レイシスト国家も、あるにしても。
朝鮮の人々の戦い方に謙虚に学ぶことは、理論的にも実践的にも、大きな恵みをもたらしてくれるだろうと予感している。
私の第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』も、ウトロ平和祈念館のライブラリーに置いていただいた。
日曜日は、その後、新幹線で、若宮へ帰還。
月曜は、終日、仕事。
火曜のきょうは、清水さんの夢を見た。清水さんに道案内をしてもらう夢。途中ではぐれてふたたび追いつくが、坂の上のガードレールで、見ず知らずの男性と話していて、ふたたび、見失う。その後、清水さんとは会えなかった。
場所は、京都のようでもあり、滋賀のようでもあり、吉祥寺のようでもあった。
その後、門 variation 8と9をほぼ完成させる。
書き下した順番がベストとは限らないので、しばらく寝かせて、詩の順番を考える作業に入る。
これによって、新しいシリーズに入れる条件は整った。
11月は、TB-LB theory 2.0を、矢倉さんのところで発表する予定だったが、準備の時間が作れず、発表は断念した。その代わり、テクスト化して、発表することになった。一回で、全部、一気に書き下すのではなく、連載のような形式で、深めていくのがベターかもしれない。
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往還日誌(228)
■10月24日、木曜日、曇り。
早くも、みずうみから京都へ戻って、一週間になる。
近江舞子とマキノで、旅の目的の一つである、瞑想を試みたが、上手く行かなかった。
岸辺に寄せる波の音が思いのほか大きく、瞑想にならないのである。
瞑想は内語によるサティを伴うが、波の音が大きすぎて、足の感覚に集中できなくなる。
新旭の旅館では、上手くいき、何度か繰り返した。
旅館の庭も、ビーチも、金木犀の花が満開で、みずうみに花の香りがあるかのようだった。
旅館の御主人は、今年は金木犀の開花が遅い、今頃咲いていると言っていた。
マキノで地元の人と話したとき、マキノは、櫻の開花が、ちょうど京都の円山公園の一週間後になると言っていた。
マキノは雪解け水が入るため、開花が遅れるのだという。
今朝は、6時半に起きて、詩「門」のVariation8と9を推敲した。
これができれば、新しいシリーズに着手する。
このため、年内か年明けに、冬のみずうみを見に行くのも、いいかもしれない。
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