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飴山實を読む(32)

■旧暦7月24日、水曜日、今にも降りだしそうで、朝から蒸し暑い。

先日、ジュンク堂の俳句コーナーでRICHARD WRIGHTの句集『HAIKU この別世界』を立ち読みした。二人の大学の先生が訳出している。原文、三行詩での日本語訳、一行の5・7・5での翻訳という形で、翻訳されていた。翻訳は、二人で意見交換しながら進めたらしく、かなり自然な日本語になっている。ただ、ぼくは、5・7・5に変換されたライトのハイクは、どこか、違うように感じた。英語の韻律やリズムについては、不勉強なので、ライトの三行詩が5・7・5に合わせて作られているのかどうか、ぼくには判断できない。けれど、訳された一行の俳句は、多くを詰め込みすぎている。ちょうど、これまで詩を書いていた人が始めて俳句を書いたときと同じように、饒舌すぎるし説明的すぎる。これを現代俳句に近いと見なすことも、ある意味では、できるとは思うが、率直に言って、俳句としてはいい俳句じゃない。英語などの欧米の言語のもつ本質的な散文性が、日本語韻文の極地である俳句の器とかなりの緊張関係を生んでいる。そこが面白いとも言えるが、ぼくは、5・7・5にあえて直さす、三行詩のままでいいような感じがしたのである。HAIKUと俳句は、やはり異なるものという気がしている。むしろ、HAIKUは放哉や山頭火などの自由律俳句に近い何かを持っている。この本の翻訳自体はいい仕事だと思うが、こんな印象を持った。




らつきようの花どきといふ因幡入り
   『次の花』

■らっきょうの花で秋。庶民的ならっきょうの花がいい。とくに「花どき」という日本語の美しさに惹かれた。因幡は、古代からの神話的世界であり、「らっきょう」は楽境に通じ、楽土、楽地が遠くに響いてくる。そういう国にこれから入るという。幸福な予感がしてくる。
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