verse, prose, and translation
Delfini Workshop
野村喜和夫さんによる詩集『二〇の物と五つの場の言葉』の書評(『東国』169号より)

■現在、私は、詩壇には3人の理解者しかいない(というべきか、3人もいるというべきかわからない)。その3人のうちの1人、詩人の野村喜和夫さんが、詩誌『東国』169号に、拙詩集『二〇の物と五つの場の言葉』の書評を書いてくださった。感謝である。
以下転載する。
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尾内達也『二〇の物と五つの場の言葉』書評
野村喜和夫
尾内達也は私が主宰する合評会「午後2時の会@さいたま文学館」のメンバーで、本詩集収録作品の多くを私はその合評会で読んでいる。そのときの第一印象的な感想は、「これはポンジュではないか、フランシス・ポンジュの再来だ!」
そこでまず、ポンジュについて紹介しておくと、フランシス・ポンジュ(1899〜1988)は20世紀フランスを代表する詩人のひとりで、その名を高らしめた散文詩集『物の味方』は、蠟燭とか雨とか小石とか、日常的事象や事物を人間中心的な比喩的表現から解き放ち、物の側から、つまり「物の味方」をするように言語化した作品として、詩的言語の新たな地平を拓いたとされる。
たとえば「牡蠣」という作品はこんなふうだ──
『牡蠣は、普通の小石ぐらいの大きさだが、外観はもっとざらざらしており、色はそれほど一様ではなく、輝かしくも白っぽい。こ れは、頑固に閉ざされた一世界だ。けれどもそれを開けることはできる──その時はふきんのくぼみに牡蠣をつかんで、ぎざぎざのついた狡猾なナイフを使って、何度も繰り返し試みなければならない。そこでもの好きな指が切れたり、爪が割れたりする──これは荒仕事だ。牡蠣に加えられる打撃は、その殻に、暈みたいな、白い輪をつける。
内部に見出すものは、飲み物と食べ物との一壺天だ──真珠母の蒼穹(文字通りの意味での)の下で、上部の天が下部の天の上に垂れ落ちて、ただ一つのぬるぬるして緑っぽい小袋をなしていて、それは、へりを黒っぽいレースに縁どられて、匂いにも見た目にも、潮のように満ち引きしているのだ。
時たま稀に彼らの真珠母の喉に小さな形が珠と結ばれ、そこでたちまちわれわれは身を飾るすべを見出す』。
(阿部良雄訳)
実は戦後のある時期、日本の現代詩にもかなりの影響を与え、たとえば谷川俊太郎の『定義』は、私見によれば明らかにポンジュの方法を意識し参照している。
もうおわかりだろう。私が尾内作品に接して「ポンジュの再来だ!」と叫んだ理由は。尾内もまた、事物を事物として見つめる眼差しから出発し、そこから、安易な抒情を排した精妙な言語空間を構築する。
さらに言えば、事物への眼差しは真名指し、すなわち事物を名づけ直すことでもあるだろう。谷川の『定義』以来といってもよい尾内のこの果敢な実験的姿勢を、私はまず注目し、讃えたいのである。
しかし、ここからが肝心だが、尾内はたんに「ポンジュの再来」にとどまるのではなく、その先をめざそうとしている。
どういうことか。
尾内が本詩集収録の作品群を連作として合評会に提出していたときは、たしか「時間と運動」という副題がついていた。ポンジュがどちらかと言えば事物をその静態において捉えるのに対して、尾内は事物を「時間と運動」の相において捉え、そこでの変化をこそ書き留めようとする。
そしてその変化に、見つめる側の想像力を自由に大胆に添わせようとするのだ。冒頭に置かれた「回転」の全文を引こう。
『六本木の工事現場から出てきたダンプのよく回る車輪。その車輪に朝の翳ができている。車輪が回ると薄い翳も回り、外苑通りを走り去るダンプの後ろ姿はすぐに遠くなる。だが、あの薄い翳は逆にだんだん近くなってくる。タイヤの回転はだんだん激しくなってくる。ダンプの姿は消えて後輪の二つ並んだタイヤの加速する回転だけが残る。灰色のタイヤのボルトが八つ回転している。それぞれの八つの薄い翳も回転している。色が回転している。沈黙が回転している。波が砂浜に描かれた文字をさらうように、日常が回転をさらう。やがてボルトも翳も消える。だが、失われたわけではない。海も砂浜も回転も』。
事物への「時間と運動」の介入は、このように、時空あるいは「場」の感覚をもたらす。詩集後半の連作が「場の言葉」となっているのは、当然の成り行きといえるかもしれない。しかしまた、時間は記憶のはたらきとも切り離せないから、「場」は具体的な土地の喚起となる。
「夜の三つの橋」は本詩集中のとびきりの秀作だと思うが、その「橋」はたんなる抽象的な「場」のメタファーなのではなく、作者の生活の場でもあるらしい京都に実在する橋でもあるのだ。
もはやポンジュはいない。
代わりに、土地の神秘が、「時の襞」と「水の聲」が呼び出され、尾内という個のうちに、個を超えた「歴史」の、しかし「歴史の単純化にあらがう」未生の身体が立ち上がる。
こうして、京都のつぎには「GAZA」があらわれ、人によってはそれが唐突かつ安易な時況の反映のようにみえるかもしれないが、そうではなく、歴史を呼び込んだ「場」の変容の、ひとつの危機的なあらわれなのである。まさに「今ここに「ある」ことでGAZAにつながる」のだ。
その証拠に、GAZAの「止むことのない瓦礫の崩落」という石のイメージは、詩集掉尾でふたたび京都という場の「石庭、あるいは秋の劇」に戻る。この往還をもたらすのも、尾内の想像力が寄り添う「時間と運動」それ自体なのである。
※詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂)
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尾内達也『二〇の物と五つの場の言葉』を読む 蓮沼刻舟

■以下の書評は、同人誌『理念』第175号より編集者の許可を得て転載するものです。
尾内達也『二〇の物と五つの場の言葉』を読む
蓮沼刻舟
詩集である。題の通り、「二十の物と五つの場」についての25編からなる。詩の大部分は一ないし二頁の長さだ。
定型は使わない。措辞やリズムの音楽性を求めているようでないという点でも散文的と言えそうだ。作者が得ようとしているのはそういうところではない。
叙情詩でもない。少なくとも直接には作者の喜怒哀楽を詠うことはない。では何か。
題の通り、作者は「物」と「場」の「言葉」を聞こうとしているようだ。
もとより、それは作者の心に触れ、あるいは作者がその言葉を伝えようとした「物」や「場」ではあるが。
前半の「物」のほうは、物そのものというより「時」に作者は目をとめているようにみえる。(ということはこの詩集は一種の時間・空間論だ。)といっても作者はなにか理屈を立てようとはしていない。
ありきたりの物ども(ダンプの車輪、砂時計、鍵など)なかからかいまみせられる時間というものの不思議さを、感じ取るままに言葉として伝えようとしている。
その言葉はどちらかと言えば古典的であり、ポリ袋やトイレットペーパーのような「俗」な「物」を扱うときにも、卑近なおもしろさでなく世界の広さや深さへと向かっていく。
これらの「物」の世界はあまり鮮やかではない。白と黒のモノトーンが基調であり、「翳」「影」も好んで使われる。やや異色なのがユーモラスな「茄子」である。
「茄子――それは天地に満ちた大いなる笑いなのである。」という結論は納得であり、なす好きの小生としては嬉しくなる。この詩だけなら「なす」または「ナス」の表記がふさわしかろうが、詩集全体の意匠にかなう「茄子」の表記が、結果的にとりあわせの妙のおもしろさもよんでいる。
「五つの場」のうち四つは京都である。ここでも作者は空間よりも時間の声を聞いているようである。人もまた物としてその無常が感じ取られているようだ。
ただ一つ京都でない「場」が「GAZA」である。
それを納得させるのが、京都のなかでも一つが「ウトロ」にあてられていることである。
ここには明らかに、ジャーナリズムをなりわいとしている者でもある作者の関心が表れている。しかしどちらも直接に政治的なコメントやメッセジはなく、「場」そのものの「聲」を聞きかつ伝えようとしているかのようである。
これは、「詩」というものに対する作者の理念によるのか、あるいは作者の存在の、社会派ジャーナリストであるということよりも深い層からの促しなのか、小生にはわからないが。
全体として、「現代詩」にありがちな難解な語や奇妙な言い回しはほとんどない。
「ユニーク」や「オリジナル」を目的化することによる一人合点もみられず、大方の読者はだいたいは「わかる」ものであろう。
ただ文芸のなかでも特に詩は、「相性」が強く働く。
「わかる」けどそれが何? という場合も少なくなく、それは作者が悪いわけでも読者の責任でもない。
よってこの詩集が多くの読者に「おもしろい」「共鳴する」「ささる」ものであるかどうかは、小生はうけがえない。
ただ「それがどうした」「だからなんだ」という読者にとっても、こうした「物」と「場」の世界に触れたこと、その世界を自分にとって意味深い世界としてうけとっている者がいることを知るのは、無意味なことではないであろう。
☆(七月堂、2024、89頁、2000円)
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モノからコトへ。モノの語りを感受し研ぎ澄ました意識無意識をあげ、ガザやウトロなど戦争というコトの悲惨さへ、詩で立ち向かう。

新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』にいただいた読者の方よりのご感想9
■以下に、読者の方よりいただいたご感想を転載していきます。どうぞ、御覧ください。
■河津聖恵様(詩人)
「この詩集に挑み挑まれている。尾内達也『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂)。モノからコトへ。モノの語りを感受し研ぎ澄ました意識無意識をあげ、ガザやウトロなど戦争というコトの悲惨さへ、詩で立ち向かう。『この大きな暴力に対抗できる「詩的領域」』を拓かんとする意欲作。新たなるポンジュ。#尾内達也」。
※「もの」から「こと」への移行という、変化の相で見ていただき、ありがとうございます。本質的な点です。
■9校を経て第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂、2024年5月25日)が発刊されました!
・ぜひ、お読みください。
・定価2200円(税込み)
帯文:野村喜和夫
「ポンジュの再来、というだけではない。詩篇の発表当初は『運動と時間』という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の<誕生>と<名づけ>をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ」。
装画:Romie Lie
購入方法は次のとおりです。
1)注文メール(delfini800@gmail.com)を著者宛に送る
2)七月堂のHPから購入する。(2編読むことができます)
3)書店で購入する
次の書店で入手できます。
東京
・新宿紀伊国屋本店
・池袋ジュンク堂
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・丸善京都本店
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・大垣書店堀川新文化ビルヂング店
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・恵文社(近日中に入荷)
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物の表面的な姿から余計なものを削ぎ落として仏を掘り出していくような、厳粛で静謐で優しい言葉のテクスチャ。

新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』にいただいた読者の方よりのご感想8
■以下に、読者の方よりいただいたご感想を転載していきます。どうぞ、御覧ください。
■辻部亮子様(中世フランス文学、九州大学非常勤講師)
「物も情報も溢れかえる程に生み出され続けるのと同時に、『存在』の神秘と意味が耐え難いほどに軽くなっていく現代ですが、ご詩集を拝読しながら、挙げられるひとつひとつの事物のアルファからオメガを追体験しているような感覚ーーまさに物の『立場parti』ーーに捉われました。
高度・厳格にコード化され、個性を消す方向にこそ美学を見出す中世フランス抒情詩を研究してきた私にとって、尾内さんの豊かで研ぎ澄まされた感性が誘う詩的世界に自由に遊びながら、何か『つまづきの石』を取り除いていただいたような気持ちがいたしました。
物の表面的な姿から余計なものを削ぎ落として仏を掘り出していくような、厳粛で静謐で優しい言葉のテクスチャ。
素晴らしい詩をお届けくださいまして、本当に有難うございました」。
※たいへん美しい感想をありがとうございます。
■9校を経て第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂、2024年5月25日)が発刊されました!
・ぜひ、お読みください。
・定価2200円(税込み)
帯文:野村喜和夫
「ポンジュの再来、というだけではない。詩篇の発表当初は『運動と時間』という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の<誕生>と<名づけ>をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ」。
装画:Romie Lie
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Poems of "the words as 20 things and the words as 5 places" into haikus(1):

No.1 Turning
The autumn shadow
Onto
The turning wheel
No.2 Sandglass
One day in autumn--
Listening to the sounds of sand
From the sandglass
No.3 Key
The autumn key
Which doesn't match anywhere--
oblivion
No.4 Pill
White sleep
Of the pill--
Noon Moon
No.5 Paper
The cortege of words--
The galaxy overflows
From a piece of paper
TBCL
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#詩集『二○の物と五つの場の言葉』を俳句に翻訳する試み 5
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御詩集は日本で今までに見たことのない好著です。そして、特に『物』の部は理屈ではないからこそ、何度も再読して楽しめるのです。

新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』にいただいた読者の方よりのご感想7
■以下に、読者の方よりいただいたご感想を転載していきます。どうぞ、御覧ください。
■マブソン青眼様(俳人、小説家、比較文学者、一茶研究家)
「読み始める瞬間から、『このような詩は、日本の”自由律詩人”が書いているものとは違う。見たことがない。秋元不死男が言っていた『俳句「物」説』に徹しているような感じだけど、詩なんだ。この方は、日本のFrancis Pongeだね』と、衝撃を受けました。
たいへん細かな観察力(芭蕉の言う「細み」でしょうか?)が『物』ごとにひとつの掌中小説のように繰り広げられて、よい意味で“癖”になるのです。特に俳句をやっている者として、いつも、日本の高踏派ぶりの俳人の抽象的な表現に不満を抱きますが、尾内様の詩は違います。
そして、『場』の部に移ると、ガザなどの社会性が猛烈に燃えて、”思想的”にも親近感を覚えるのです(ウクライナ戦争は単にアメリカとロシアの”代理戦争”とは言えないところがあると思いますー 特に最初の頃は、、、) とにかく、御詩集は日本で今までに見たことのない好著です。そして、特に『物』の部は理屈ではないからこそ、何度も再読して楽しめるのです」。
※たいへんお褒めいただき、恐縮です。
■9校を経て第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂、2024年5月25日)が発刊されました!
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「ポンジュの再来、というだけではない。詩篇の発表当初は『運動と時間』という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の<誕生>と<名づけ>をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ」。
装画:Romie Lie
購入方法は次のとおりです。
1)注文メール(delfini800@gmail.com)を著者宛に送る
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ウトロとガザを繋ぐ、『詩的領域』をつくりだしたという成果。

新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』にいただいた読者の方よりのご感想6
■以下に、読者の方よりいただいたご感想を転載していきます。どうぞ、御覧ください。
■作家、黄英治様
「『二〇の物と五つの場の言葉』を、まずは、一読いたしました。
献辞として『妻と娘に』を見たとき、『往還生活』をするという決断にいたる断片を、詩人から聞いていた者として、深く感じるものがありました。どうか、この愛の詩集が、お二人の琴線に触れ、揺さぶるように、と。それは、詩人の願いであると思われました。
『往還生活』なくして、『二〇の物』の詩=言葉が生まれなかったのでしょう。(あえて)孤独であることは、自己と物の位置と関係を否応なく再考察させるはずです。京都・真如堂前のアパートの一室という場で、物を再定義し、思考の錘を、言葉の海に沈めて、言葉を手繰り寄せる。そうして物たちをめぐる、新たな物語=詩が生まれ、既知の言葉や認識が、更新され、意味と存在をさらに深めて、私にやってくる。私の暮しのなかにある物が、詩によって、また活き活きと動き出しています。
京都という場所に暮らすことなくして、『五つの場』の詩=言葉は、詩人にやってこなかったのではないか。『三つの橋』『DELTA』『ウトロ』『石庭』、そして『GAZA』も。関東・東京あたり、埼玉とは違う、京都の夜。盆地、寺社の群れ、鴨川。(インバウンドに溢れかえるいまの京都は知らないが)四十年ほど前、京都で民族青年運動をかの地でやっていた者として、かの地の夜の濃密さは、わかるつもりでいます。京都の深々とした夜。川辺を歩き、デルタに架かる橋を渡り、晴れた空のもとにある竜安寺の石庭の影を見る、詩人。
『書くこと、それは予見することだ』『現代詩はアクチュアルであることが最重要である』ために、詩集の構成が更新されたことを知り、敬意を抱いたものです。
ウトロとガザを繋ぐ、『詩的領域』をつくりだしたという成果。同時に、パレスチナで進行中の第二のナクバを、詩集のあとがきとしては異例に、詳細に記さずにはいられなかった、(なにもできない)恥としての発熱が、ずっと微熱として継続する。
冷笑に対する怒りを、私も微熱として持ち続けたいと思っています。
アーティフ・アブー・サイフの『ガザ日記 : ジェノサイドの記録』と、『現代詩手帖 2024年5月号 パレスチナ詩アンソロジー』を、この詩集とともに、読んでおりました。三つの本は、強い磁場をつくり出して、私を捉えて離しません」。
素晴らしい感想をいただき、作者冥利に尽きます。
■9校を経て第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』(七月堂、2024年5月25日)が発刊されました!
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「ポンジュの再来、というだけではない。詩篇の発表当初は『運動と時間』という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の<誕生>と<名づけ>をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ」。
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