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G.W.F.Hegelノート:Phänomenologie des Geistes, Vorrede(2)


■旧暦2月27日、木曜日、

(写真)無題

昨日は、用事で、白岡へ行く。帰りに、新大久保の韓国料理店おんどるへ。ここは安くて美味いので、たまに行くのである。レモン茶マッコリをもらって、トッポギをつつきながら、しばし、ぼーっとしていると、にぎわいの中で、ふいに、子どもの泣き声が聞こえたような気がした。それは「フジュウ、フジュウ、不自由」と泣いている…。だれでもないだれか、だれでもあるだれかに向けて。

松岡正剛さんが、「千夜千冊」連環篇で、『鎮魂詩四〇四人集』に触れている。このタイミングで、このアンソロジーが紹介されたのは、やはり、大きな意味があると思う。私事になるが、ぼくも、マエストロ、ヴァレリー・アファナシエフが、師エミール・ギレリスを追悼した詩を翻訳して、このアンソロジーに寄せている。すぐに、詩は書けないが、すでに書かれた詩は読むことができる。



ヘーゲルを読むことは、ドイツ語と格闘するのではなく、日本語と格闘することだと思う。ドイツ語の論理は、非常に明快だが、それを日本語で考えようとしたとたん、わけがわからなくなる。参考に、金子武蔵の翻訳した『精神の現象学』と長谷川宏の翻訳した『精神現象学』を参照している。ドイツ文の構造を理解する時には、金子訳を、ドイツ文の意味を理解する時には、長谷川訳を参考にしている。そのうえで、二人とは違う日本語訳を作成し、内容を検討していきたいと考えている。現代で、ヘーゲルを読む意義は、さまざまあると思うが、ヘーゲル自身でさえ、自著について、「いったい何を自分は言ってしまったのか」よくわかっていない面があるのだから、時代と文化を異にした者が、読むのは、面白いことだと思っている。

Denn wie und was von Philosophie in einer Vorrede zu sagen schicklich wäre, - etwa eine historische Angabe der Tendenz und des Standpunkts, des allgemeinen Inhalts und der Resulte, eine Verbindung von hin und her sprechenden Behauptungen ung Versicherungen über das Wäre - kann nicht für die Art und Weise gelten, in der die philosophische Wahrheit darzustellen sei. G.W.F.Hegel Phänomenologie des Geistes(1807) Felix Meiler Verlag 2006 p. 3

というのは、たとえば、前書きでは、自分の思想傾向や立場を哲学史的に位置づけたり、著作の概略的な内容や結論を示したり、真理に関するさまざまな主張や断言を関連づけたりするのが、普通だと考えられているが、そんなやり方では、哲学的真理を叙述するのに不十分だからである。

■哲学の論文を読めばわかることだが、先行研究のレビューは、研究の前提になっている。だれそれが、どういう解釈をしたかが、一大事のように語られている。それに対して、自分は、こう考える、ということで、「新しさ」をアピールするのが、今でも、行われている。それは、確かに必要な条件の一つであると思うが、目的ではないだろうと思う。以前に、ヴィトゲンシュタインについて述べたときに触れたが、その種の研究は、まだ、モダンのレベルの研究なのだと思う。問題は、その哲学者が言っていないことは何か、哲学者自身は気がついていないが、語られたことに現れているものはなにか、を明らかにすることだし、その考え方を使って、現代の問題に切り込むことだと思う。ヘーゲルが、ここで、前書き批判をしていることも、こういうことと無関係ではないとぼくは思っている。






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3月30日(水)のつぶやき

02:58 from goo
Mouvement par Jules Supervielle #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/05f31896c734a8a2a209dd08f2ae5afa
03:04 from web
RT @haikudatabase: Haiku in English Tsunami Special http://mdn.mainichi.jp/features/haiku/etc/archive/tsunami.html #haiku #tsunami
08:08 from web
RT @haiku_shelf: @delfini_ttm please read this and please rt http://www.greenpeace.org/japan/edano3/
08:10 from web
Thank you Angelika for sharing the important information. @haiku_shelf
22:44 from web
RT @INSIGHT_NOW: 東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
/純丘曜彰 教授博士: /寄付口座だけで、東電は東大に5億円も流し込んでいる。一方、長崎大学は、その買収的な本性に気づき、全額を東電に突き返した。水俣病のときも、業界団体は、東大の学者... htt ...
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一日一句(70)






しゃきしゃきと春のキャベツの夜は来る





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一日一句(69)






初花や二万四千年を経て










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Mouvement par Jules Supervielle


■旧暦2月25日、火曜日、

(写真)

朝から、仕事に入る。午後、叔母の施設へ。施設はかなり気に入っているので、良かった、あとは、特養との違いをよく検討してみたいと思っている。出がけに、水を数本調達。帰りに、銀行に寄り、必要な支払いを済ませる。夕方から、兼業。人間も地球も忙しい。

Haiku in English Tsunami Specialだそうである。

福島原発の敷地で、3種類のプルトニウムが検出されたとのことだが、その半減期を知って、考え込んでしまった。プルトニウム239が24,000年である。240が6,600年、238が88年である。これらは、「純社会的物質」である。半減期は、放射能を出す能力Bq/hが、半分になることを意味するから、半減期の10倍の年月になると、(1/2)の10乗で、その能力は約1/1,000になる。これで、やっと「元の自然」(こういう概念が可能なら)に近い状態と言えるかもしれない。ちなみに、半減期の2万4千年という歳月は、現在から、過去を見ると、旧石器時代の後期にあたり、まだ、氷河期である。マンモスが生きていた時代である。かすかに、日本列島に、人の気配がある程度である。今後、2万4千年後は、どうだろうか。

この時間スケールに拮抗できる詩や思想や理論といったものは、あるのだろうか。仏教あるいは折口信夫がかすかに届くのだろうか。ヘーゲルやマルクスはどうだろうか、ヴィトゲンシュタインやベンヤミンは、ニーチェやルカーチは...。そして、詩人たち、俳人たちは。



すぐに、思いつくのは、ジュール・シュペルヴィエルの「Mouvement」(動作)という有名な詩だが、この詩は、現在と200万年前の過去を結んでいる。



動作



その馬はうしろを振り向いて
誰もまだ見たことのないものを見た。
それからユーカリの木の陰で
牧草をまた食べ続けた。

それは人間でも樹でもなく
また雌馬でもなかったのだ。
葉むらの上にざわめいた
風のなごりでもなかったのだ。

それは もう1頭のある馬が
200万年前もの昔のこと、
不意にうしろを振り向いた
ちょうどそのときに見たものだった。

そうしてそれはもはや誰ひとり
人間も 馬も 魚も 昆虫も
二度と見ないに違いないものだった。大地が
腕も 足も 首も欠け落ちた
彫像の残骸にすぎなくなるときまで。


(安藤元雄訳:訳は一部変更した)


Mouvement

Jules Supervielle



Ce cheval qui tourna la tête
Vit ce que nul n'a jamais vu
Puis il continua de paître
A l'ombre des eucalyptus.

Ce n'était ni homme ni arbre
Ce n'était pas une jument
Ni même un souvenir de vent
Qui s'exerçait sur du feuillage.

C'était ce qu'un autre cheval,
Vingt mille siècles avant lui,
Ayant soudain tournè la tête
Aperçut à cette heure-ci.

Et ce que nul ne reverra,
Homme, cheval, poisson, insecte,
Jusquéa ce que le sol ne soit
Que le reste d'une statue
Sans bras, sans jambes et sans tête.


■この詩が怖いのは、過去を歌いながら、人類の未来を歌っているように思えてくるところだ。遠い過去は遠い未来とどこかで通じているのかもしれない。









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一日一句(68)





大蒜を食べて余震に備へたる





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3月27日(日)のつぶやき

02:47 from goo
レベル4の沈黙 #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/eb56e56360195454aee4c0fe259a5001
06:26 from goo
Cioranを読む(27) #goo_delfini2 http://bit.ly/dT5B8M
14:20 from web
Thank you Beth for RTs. @moonflowernco
15:35 from web
RT @nabeteru1Q78: 今回の東電広域被ばく事故の損害賠償金がいったいいくらになるのか知らないが、兆円単位、という話もある。東電が負担しようが、国が負担しようが、これも「原発の発電コスト」だ。
15:35 from web
RT @nabeteru1Q78: この記事で「原発は発電コストが安い」という話も恐らくねつ造であることを知った。スリーマイルは廃炉に790億円かけたそうだ。福島第一は最低でも4倍。:河野太郎公式サイト | 原子力をめぐる不透明さ http://tinyurl.com/4 ...
18:33 from Keitai Web
RT @Artanejp: 原発止めようとする人が知事の中から出て来ると、その知事を身に覚えのない贈収賄事件で検察特捜部が立件して司法が形式的な有罪を出して政治生命を葬り去る…小泉政権以降の自公政権下で実際に起こった事件です(佐藤栄佐久事件)そのような巨像と化したが故に原 ...
21:33 from web
canned beer// sound of wind/ at 0 am #haiku #poetry #fhaiku
21:37 from web
Thank you @Sahrazad528 for RT.
by delfini_ttm on Twitter
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一日一句(67)






楽の音の絶えて穴出る蛇一つ





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Cioranを読む(27)


■旧暦2月23日、日曜日、、利休忌

(写真)道、バーゼル

なんだか、寝そびれたので、シオランを読んだ。これから、ひと眠りである。今日の予定、仕事、水の調達、焼き肉屋。



Il y a du charlatan dans quiconque triomphe en quelque domaine que ce soit. Cioran Aveu et Anathèmes GALLIMARD 1987 p. 21

どんな分野であっても、成功する人間には、どこか、山師的なところがある

■真面目で誠実なのは、美徳と思うが、そういうひとが独創的な仕事をするとは限らない。大胆さに欠けるからである。ここで、山師と訳した「charlatan」は、やぶ医者、詐欺師、いかさま師、ほら吹き、大道薬売り、香具師などという、魅力的な訳語が並んでいる。フランス語圏アフリカでは、「祈祷師」という意味でも使用される。インチキと本物は紙一重という言葉を思い出した。文学者というのは、本来、いかがわしいものであるから、「charlatan」は、文学者にふさわしい言葉のような気がする。







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3月26日(土)のつぶやき

23:37 from web
Thank you for RTs. @msb2005 @Carlolight @motonio
by delfini_ttm on Twitter
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