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蕪村の俳句(45)

■旧暦12月17日、日曜日、

(写真)紅梅

今日は、疲れてしまって、一日、ぼーっと過ごす。一月も終わったか。長い月であった。さて、二月。翻訳に邁進せねば。




無縁寺の日をなつかしみ梅花
    年次未詳

■無縁寺の春の日を懐かしそうにしているところに惹かれた。ここは、切れがあるので、蕪村自身が懐かしんでいると考えられるが、この懐かしさはなんだろう。無縁仏の地蔵を見たときにも、確かに、こんな感じがする。無縁ということは、すべての存在と有縁ということでもあるからだろうか。
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蕪村の俳句(44)

■旧暦12月16日、土曜日、、満月

(写真)無題

久しぶりにウォーキング30分。2月、3月くらいまで、ウォーキングでじっくり足腰を鍛え、暖かくなったら、背泳と筋トレを入れれば、ヘルニア対策は万全だろう。先日も少し、体をひねったら、すぐに腰に来たので、油断がならない。



twitterを初めてちょうど2週間になる。黙って座っていてもfollowしてあれば、いろいろな情報が集まってくるし、キーワード検索をかければ、twitter上のtweetばかりか、リンク先のページまで表示されるので、ある意味で、一つの情報センターみたいな役割を担っていると思う。とくに、リアルタイムの人物や事象を検索するには便利だろう。

twitterで特徴的なのは、やはり時間だろう。時間は直線的に「今からほんの少しの過去」まで流れる。その前後左右に時間は存在しない。情報は、絶えず生まれては、一瞬を生きて、また無に帰る。ブログやホームページと違うのは、多数の情報が生成消滅する現場に立ち会うという感覚かもしれない。「今」が肥大化しているのは、現代消費社会の時間のありようが反映されているものと思う。「今」過剰は、裏返すと、歴史意識の欠如であるが、これは、現代詩や現代俳句のありようとも重なってくるのではなかろうか。

情報化は、非常に利便性が高いが、情報化に載らないものの重要性に気づかせてくれる一面も持っている。twitterを初めて、ますます、日常生活の中で、情報化に載らないものに意識的になろうと思うようになった。



草庵
二もとの梅に遅速を愛す哉
   安永三年

■梅には早咲きと遅咲きがあるが(普通は白梅が早いが、日当たりによっては逆になることもある)、その両方とも愛するという蕪村の気分は、なんだか、よくわかる。早く咲いてくれた梅にありがとう、遅く咲いてくれた梅にありがとう、という気分になるのは、春一番に咲く花だからだろうか。
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蕪村の俳句(43)

■旧暦12月15日、金曜日、

(写真)無題

近くの坂の白梅が咲いた。毎年、この花を見ると、春が来た思いがする。ヴァレリーの墓碑には、こんな詩句が刻まれている。

Patience, patience,
Patience dans l’azur !
Chaque atome de silence
Est la chance d’un fruit mûr !

Paul Valéry Palme

耐へよ、耐へよ、
碧空のもとに耐へよ!
沈黙の粒の一つ一つが
熟れた実となる機会である!

中井久夫訳

詠まれた対象は「棕櫚」で梅ではないが、なんとなく、梅と共通するものがあるように思う。

さっき、毎日新聞の英語俳句欄を見たら、どうやら、ぼくのらしい英語俳句が掲載されている。相当前に送ったものであるから、ほとんど忘れていたのだが、日本語ではなく英語で書かれていると、時間が経てば経つほど、自分が書いたように思えなくなる。奇妙な感覚である。




乾鮭の骨にひゞくや五夜のかね
   「夜半叟」安永六年

■五夜のかね=後夜のかね、夜明けの勤行の鐘。鐘の音が骨に響く、という発想は体感的によくわかる。乾鮭の骨ばかりか、自分の骨のことでもあるだろう。始めから自分を乾鮭に喩えたとすると、諧謔の味わいがあってなお面白い。


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句集『合歓』

(写真)無題

いただいた句集から。「古志」同人、野田翠句集『合歓』より。


読みかけの蕪村に若葉栞りけり

ぬか床の天地を返す暑さかな

一枚の板戸に並べ梨を売る

梱包の何運びゆく冬木立

托鉢僧鉢を捧げて氷りけり

草萌や奥は闇なる土地の牢

江の電の突つこんでくる祭かな

妙義山鬼も昼寝をしてゐるか

鶏頭の真昼の影の濃かりけり

青虫は青きもの食ひ盆の月

稲刈つて黄金まみれといふべしや

地獄絵のちらと見えたる紅葉かな

凩やどさとうどんに花がつを

はや厭きて放つたらかしや籐の椅子

くさめしてさもたのしがる赤子かな

虫けらのもつとも嘆く涅槃かな

アネモネや昼からは風吹きすさび

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蕪村の俳句(42)

■旧暦12月13日、水曜日、

(写真)無題

風の吹き方がそよそよと春みたいだが、風の匂いは冬である。仕事が難航。座礁に次ぐ座礁である。なかなか1章が突破できない。




早梅や御室の里の売やしき
   安永四年

■この近くに住んでいたが、早梅は気がつかなかった。御室桜は何回か観たが。梅が観たい気分で惹かれた。誰も住んでいない「売屋敷」というのが、鄙びた雰囲気でいい。
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蕪村の俳句(41)

■旧暦12月11日、月曜日、、初天神

(写真)無題

今日は、空気の中に湿り気があって、春隣を実感する一日だった。叔母の様子を見てきて、少し話をする。掃除して、クリーニングを取って来る。

芭蕉(1644-1694)とバッハ(1685-1750)、バッハと蕪村の人生が、重なっていることを知って、なんだか、嬉しい。バッハは、晩年10年の芭蕉と同時代を生きた。言いかえると、芭蕉が芭蕉になった時期にバッハもいた。芭蕉が死んだとき、バッハは9歳だった。バッハが生まれたとき、芭蕉は、41歳だった。蕪村(1716-1784)はどうか。バッハが死んだとき、蕪村は、34歳だった。この方が重なっている。蕪村が生まれたとき、バッハは31歳だった。一茶(1763-1828)になると、バッハの生涯とは重ならない。バッハ没後10年少しして一茶が誕生。どうでもいいようなことに見えて、実は、そうでもないこともある、と思う。




寒月や開山堂の木の間より
   年次未詳

■開山堂とは寺院の開祖を祀る堂のこと。周囲の森の深さ静けさが感じられて惹かれた。冬の寺院の夜は、今とは比較にならない暗がりだったのだろう。
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蕪村の俳句(40)

■旧暦12月10日、日曜日、

(写真)無題

諸般の事情で元気が出ない。こういうときには、運動や音楽が効く。朝、ウォーキング、40分。快晴だった。暖かいのだろう、遠くの河岸の土手に陽炎が見えた。昨日、掛け時計を買いに行く。10年ほど使った時計が、20分遅れるようになって、オブジェと化したからである。そう言えば、目覚ましも腕時計も使わなくなった。みな携帯で代用している。情報通信技術の進展は、時計産業にどういう影響をもたらしているのだろうか。




寒月や衆徒の群議の過て後
   年次未詳

■歴史に題材を取った句で、目の前のものを詠む、という近現代俳句とは発想が違うので興味を惹かれた。たしかに、想像力で、歴史の現場に立ち会っていると言えるかもしれない。だが、同じように歴史を詠んだ句でも、たとえば、芭蕉の夏草の句と比べると、何かが弱い気がする。それは、己が欠如しているからだろう。

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蕪村の俳句(39)

■旧暦12月8日、金曜日、

(写真)低気圧通過

はやくも金曜日である。1月は時間が経つのが早い。その割には、アウトプットがほとんど出ていない。ポロックは、面白いが、スイスイ訳せる代物じゃない。

最近の政治の動きは、まさに、反革命の動きなんだろう。検察が単独で動いているとは到底思えない。反革命・反動勢力のネットワークが背後にあると見るのが自然ではなかろうか。このネットワークは、アメリカのネオコンのように、国家主義的でありながら、同時に、国境を越えて、異常に貪欲なところが特徴だろう。権威に弱く頭も弱いマスコミを巧みに操縦している。




寒月や僧に行合ふ橋の上
   「落日庵」明和五年

■清々しい景で惹かれた。僧侶は冬が似合う。「橋の上」という措辞が、空間の広がりを感じさせる。
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蕪村の俳句(38)

■旧暦12月5日、火曜日、

(写真)無題

twitterにはまっている。ニュースに交じって、これでもか、これでもか、と子規と放哉、山頭火がつぶやいてくれるので、なんだか、非常に可笑しい。botによる投稿なんだから、当然なのだが、この3人、情報の洪水の中でもけっして埋もれないのである。俳句は、twitterにどんぴしゃりの文芸だと思うが、余白を十分に取った句集をしづかにめくる喜びも捨てがたい。




寒月や門なき寺の天高し
    明和五年

■門のない荒廃した寺の天の高さ、しかも、夜の天の高さを感じ取る感受性に惹かれた。



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蕪村の俳句(37)

■旧暦12月3日、日曜日、、土用の入り、阪神大震災忌

(写真)無題

昨日、ウォーキングに出たら、いつの間にか、鍵を失くしていた。自分のところの鍵だけじゃないので慌てたのである。歩いたコースを二回辿りなおした。結局見つからず、諦めかけていたときに、警察にダメ元で電話してみたら、それらしきものが遺失物で届いているという。やはり、善意の人は依然多いのである。駅前の交番まで取りに行って、確認。

記憶というのは、あいまいなもので、いつも使っているキーホルダーのブランド名も、付けていた鍵の本数も、いざ、思い出そうとすると、正確な名前も数も出てこない。ブランドは、日本人の職人の名前、しかもローマ字であり、覚えようという気が始めからなかった。また、すべての鍵を普段から、使用しているわけではないので、日常使っている鍵の本数以上としか言えない。それが、自分のものであると証明するのが、意外に難しいのである。決め手は、鍵に付けていたシールと紛失した時間だった(タイムを計る関係上、時間はほぼ正確に言えるのである)。しかし、ここで、己の身分を証明せよ、という。これには、驚いた。鍵の持ち主ということが証明できたのだから、それ以上、身分を示す必要があるのか。ここで、上司らしい人の言う「手続き上の必要性」とぼくの言う「証明の終了」の間で、押し問答となる。見かねた若いおまわりさんが、バイクで、自宅まで来てくれて、ぼくの身分証明書を確認して、一件落着となった。「手続き上の必要性」とは、警察の責任を限りなく0にするための保身的な措置だと思うが、「官僚体質」と言い換えてもいいものではなかろうか(法的規定があったとしてもで同じである)。



twitterのアカウントを取得してみた。はじめ、このツールには、あまりいい印象がなかった。有名人の自己顕示的なつぶやきとそれに群がる野次馬・ミーハーという構図が見えて、つぶやきの内容も「寒い」などというくだらないものが多かったからである。ここへきて、新聞・雑誌などの情報産業が速報などの情報をtwitterに流すようになり、有用性が高まってきたように思う(インディメディアなどのプロテスト組織もある)。俳句などをつぶやいているbotもある。twitterを活用している企業は、英語圏が優勢で、フランス語圏やドイツ語圏の主要メディアは、まだうまくtwitterを使いこなしているようには見えない。また、個人的に、どういうふうにアウトプットとして使っていいのか、まだ、よく見えない。当面は、フォローだけの使い方になるかもしれないが、少し遊んでみようと思っている。



雪折や雪を湯に焚釜の下   明和八年

■ユ音の頭韻になっている。雪を湯に焚く、というのも風情があって惹かれるが、雪で折れた枝で焚いているというのもいい。戸外の風呂なんだろう。一面の雪景色なのだろうか。
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