goo

一日一句(1453)







まなうらの花に見らるる花見かな






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(1452)







吹上の櫻はほのと三分咲き






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(1450)







四十雀欅の天に触るる場所






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(1449)







一本は天上にあり花見かな




安保関連法すなわち戦争法の施行に反対する






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

蕪村の俳句(122)




■旧暦2月21日、火曜日、春日。

2月の下旬に、浦和で、作家の金石範さんの講演「戦後70年 今、思うこと」(主催:自主講座・埼玉文学学校)を聴く機会があった。そのとき、在日差別の問題について質問をしたのだが、あとで、それをめぐって、在日の友人の友人とちょっとした口論になってしまった。彼にも言い分があり、わたしにも、言い分があるのだが、帰り際、金石範さんに挨拶したとき、金さんは、こう繰り返した。「先人たちは容易ならざる遺産を遺した」この言葉は、もともと、ドイツ敗戦40年にあたる1985年5月8日に、西ドイツ連邦議会で、ヴァイツゼッカー大統領が行った演説「荒れ野の40年」の中の言葉である。正確には、ヴァイツゼッカー大統領は「先人たちは容易ならざる負の遺産を遺した」とドイツ国民に語りかけている。在日最長老の作家、金石範さんは、「負の」という言葉を省略し―それは、目の前の戦後生まれのわたしに対する気遣いである―日本人のわたしに、繰り返し、「先人たちは容易ならざる遺産を遺した」と言った。この意味は何重にも重い。

きょう、戦争体制を前提にした安保関連法が施行された。現代の戦争は、ベトナム戦争が、その起源にあると思う。つまり、住民を巻き込んだ「巨大軍事力対テロの戦争」という形態の戦争である。明確な戦闘の前線がなく、戦闘員と非戦闘員が分かれていない。アフガニスタンやイラクやシリアで、どれだけ、市民が殺戮されただろうか。パリやブリュッセルのように、その戦争の前線は、突如、こちら側の日常の中に現れる。日本人のISIS戦闘員が存在しても、もはや、なんの不思議もない。今後、原発や東京でテロが起きても、なんの不思議もないのである。

いままで、武力で解決した戦争があっただろうか。戦後70年経ったあの戦争も、いまだに、解決しているとは言えないのである。それは、ヴァイツゼッガー大統領の言葉や金石範さんの言葉に明瞭に現れている。そして、なによりの証拠が、沖縄の基地問題であり、在日朝鮮人の問題である。あの愚かな戦争がなければ、いまの辺野古の基地問題は存在しない。朝鮮半島を含む、あの誇大妄想の植民地体制がなければ、「在日朝鮮人」という社会的存在そのものがない、南北朝鮮という冷戦構造そのものがない。安倍政権は、原発問題にしても、戦争法にしても、自分たちの政権を、資金と票で支える国家利権村に資することだけしか考えていない。この法制によって、欧米を含む国際国家利権村に完全に組み込まれるのは、間違いない。それは、アメリカのように、戦争を前提とした社会体制の成立を意味している。この法制の目的は、日米同盟の強化ではなく(あの幼稚園なみのテレビの説明!)、国際国家利権村への参加を法的に正当化することなのである。これ以上、「負の遺産」を、子孫たちに遺してはならない―このことは、はっきりしているのである。



めしつぎの底たたく音やかんこ鳥

句帳ほか 明和7年



■めしつぎは、飯びつのこと。かんこ鳥とは、たいていの歳時記では、郭公のことと説明されている。「閑古鳥が鳴いている」というときの閑古鳥である。このテキスト『蕪村句集』では、古今伝授の秘鳥の呼子鳥(よぶこどり)のことと捉えている。これは、いったい何か、よくわからない。そもそも、古今伝授とはなにか。

古今伝授(伝受)
最初の勅撰集『古今和歌集』は、和歌を学ぶための基本として尊重され、歌道では特別な扱いを受けた。その解釈等は師から弟子に相伝されるようになり、形式が整備されたものを「古今伝授(伝受)」と呼ぶ。一般には、15世紀後半東常縁(とうのつねより)から宗祇への伝授がはじめとされる。後世の形によれば、他言しないという誓紙を提出、師の講義を聴講筆記し、特に重要とされる難語の解釈は切紙に書かれ、ものものしい儀式によって伝授された。最後に師の認可証明を受ける。有名な「三木三鳥(さんぼくさんちょう)」をはじめ、いろいろの秘伝があった。このような伝授は、閉鎖的、荒唐無稽として、江戸時代の国学者に厳しく批判されることになる。『源氏物語』『伊勢物語』など他の古典に関しても、秘説の伝授が行われていた。

*三木三鳥 古今集にある「をがたまの木」「めどにけづり花」「かはなぐさ」の三つの植物名と、「稲おほせ鳥」「呼子鳥」「百千鳥」の三つの鳥名。古今伝授では、例えば三木を三種の神器や正直、慈悲など三つの徳目に当てはめるなどの解釈がなされた。

引用元:国立国会図書館のサイト

古今伝授は、15世紀後半東常縁(とうのつねより)から宗祇への伝授が起源だというところに興味を惹かれる。呼子鳥とは、万葉集にはじめて登場する鳥らしい。人を呼ぶように鳴く鳥を意味した。郭公や時鳥、鶯、鵯などと言われている。たとえば、万葉集には、呼子鳥は、次のように出てくる。


大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる

神なびの石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる

世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ

滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥

我が背子を莫越の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに

春日なる羽がひの山ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰れ呼子鳥

答へぬにな呼び響めそ呼子鳥佐保の山辺を上り下りに

朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ

朝霧の八重山越えて呼子鳥鳴きや汝が来る宿もあらなくに


古代は、鳥の認識が区分されていなかったので、上記の鳥を総称して呼子鳥と言っていたのかもしれない。古今集では、たとえば、次の歌がある。

をちこちのたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな 猿丸大夫

この呼子鳥の正体は、歌人、俳人、国学者を悩ませたらしく、其角は次のような句を作っている。

むつかしや猿にしておけ呼子鳥  其角


■「めしつぎの底たたく音やかんこ鳥」を呼子鳥と見ると、大仰な儀式で伝えられた秘伝の鳥は、確かに、滑稽な感じになる。中の8音という字余りが、調子を外す役目もしていて、滑稽感が余計に増す。だが、この蕪村の句は、其角のような意味の直接性がない分、万葉集の歌や古今集の歌を呼び出す力ももっており、古代の支配層の人々(作者不明の歌も多いが)と自然との多様な交流の場を、一瞬、想像させる。





蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
クリエーター情報なし
角川学芸出版









コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(1448)







春寒や国際国家利権村






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(1447)







春雷や大嘘つきが総理なる






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(1446)







菜の花に夕日は濡れてゐたりけり






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(1445)







春愁のひとつは濡れし光かな






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ウェブ猫




■「ウェブ猫」という猫に特化したサイトを作りました。軽く読めるものにして、猫の本や猫の話題を中心にアップしてゆきます。4月くらいから本格稼働をめざします。猫にご興味のある方の訪問をお待ちします。ここから>>>





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ