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往還日誌(185)







■7月26日、金曜日、晴れ。

掃除、呼吸法の3類型と筋トレなど。

午後、ホットケーキを焼く。16時間くらい断食しているので、胃腸の調子はいい。

お金の問題を解決し、現局面の課題を整理。主に、5つほどあがってきた。

北海道の俳人の西川徹郎さんより、詩集贈呈のお礼と『西川徹郎研究』第三集を恵送していたく。

丁寧な葉書が入っていて恐縮する。

『はたらく細胞』第3話観る――国家有機体説の真逆で、有機体国家説。

面白いのは面白いんだが、体内細胞がみな人間キャラなので、自然権や市民権などへ思いが飛んでいき、血の多い暴力シーンに、少々、戸惑う。

これと真逆のベクトルが、強い国家有機体説で、自然権や市民権などを主張すると国家維持に差し障るとして弾圧する全体主義的な思考やメンタリティーだろう。

これは、時代錯誤のように響くけれども、そうでもなく、たとえば、企業体を見るとよくわかる。

これを正当化するのが、「国際競争の激化」であり、国家の場合は、今盛んに喧伝されている「安全保障環境の変化」である。





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一日一句(5313)







きちかうに風出てさらにしづかなる






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往還日誌(184)







■7月25日、木曜日、晴れ。

8時起床。企業にいた頃の哀しい夢あり。 

呼吸法や瞑想など。

井川さんより、私の新詩集、面白くないとの葉書あり。そうかもしれない。

俳句の盟友、浅生田氏より、芭蕉の「奥の細道」論『芭蕉の萩と月』が送られてくる。これまでの「奥の細道」論とは、異なった視点から書かれている評論。期待できる。

午前中、ニコの仕事。午後から六本木の仕事。

「現代的な隠棲(あるいは出家)の形態」を、京都で、どのように開発・発展・深化させていくか――今、漠然と考えていることである。

西行が出家に及ぶとき、取りすがる娘を蹴落として出てゆく場面の絵が残っている(「西行物語絵巻」鎌倉中期)。

そうまでして出家した彼が詠んだ歌は、仏教の悟りに程遠く、執着にまみれている。

人間の感情的なつながり、つまり、愛情を破壊した先に、なにが残るのだろうか――たとえ、それが「苦」の元であっても。

花への執着は、愛情の代替行為ではなかったのか。


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一日一句(5312)







なにもなき一条通の暑さかな






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往還日誌(183)






■7月24日、水曜日、河童忌。

朝から黒雲が空にかかって、午後から、激しい雷雨に。そのまま、断続的に降ったりやんだりを繰り返し、最後は、夕立のようになった。

朝から、人間ドックを受診。京都で初めて受診した。ここから歩いて行ける距離の愛寿会同仁病院。受診の人数が、上尾中央病院などと比較するとごく少ないので――一緒に受診したのはたった3人で、最後は、私一人になった――、その分、よく診てもらえた。

同仁病院は、案内してくれた事務の方も、検査技師の方も、検査医師の方も、女性で、みなさん、丁寧で優しく真面目であった。

胃カメラは、まったく問題がなく、内科の診察でも問題はなかった。種々の検査結果は、2週間後に郵送されてくる。

今回は、骨密度を、最新の機器で測定するオプションをつけた。

これらの検査結果を踏まえて、運動と食事のあり方を調整する。

検査中は、待ち時間が断片的にあった。

検査着に着替え、本はロッカーに入れてきたので、すべて、「座る瞑想」を行った。

帰りは、御所のカフェ「笹屋伊織」で一休み。

外で桔梗が風に揺れているのが、ガラス越しに席からよく見えた。

その後は、終日、仕事。胃カメラなど、検査の後の仕事は少々きつかった。




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一日一句(5311)







どの道も命かかはる日傘かな






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一日一句(5310)







幾たびの京の炎上百日紅







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一日一句(5309)







ひまはりの笑ひのごとき女人あり






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往還日誌(182)






■7月21日、日曜日、6時起床。

4時間半睡眠だったが、呼吸法を自覚的に繰り返したことで、大きな失敗もせず、一日、もった。

睡眠不足は、何をしてもだめで、寝るしかないと思ってきたが、呼吸法だけは、脳に送る酸素量を増やすため、一定の効果があるようだ。これは、デモに出た夜、大声を出して脳が興奮して眠れなくなった翌日も、これで、ある程度、もったことを思い出した。

朝、詩に手を入れる。

その後、J.J.Rousseau読書会。

モダンの代表的な思考形態が経済学だとすれば、ポストモダンのそれは社会学だろう。マルクスが経済学批判を行うことで、市民社会に関する新しい学問を構築したように、社会学批判は、後期大衆社会(高度消費社会、高度情報化社会)に関する新しい学問構築の可能性をもたらすだろう、というような議論。

大衆社会批判者としてのニーチェの意義など。古いところでは、キルケゴールも『現代の批判』で前期大衆社会批判を行っていると知った。この本は読んだ記憶はあるが、内容は忘れている。

昼食後、京都へ向かう。のぞみの中で、短時間、眠り込む。

いつもの時間に一定庵到着。荷解き後、ライオンキッチンへ。

買い物して帰宅。

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一日一句(5308)






ひまはりに疚しきところあるやなし






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