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ディラン・トマスの詩

月曜日、 旧暦、6月1日。

今日は、循環器に強い病院で終日検査をしてきた。4種類の検査をして結果は異常なし。8,000円も取られた。貧乏人にはキツイがスッキリした。安静にしているときの徐脈が問題なのではなく、活動しているときの徐脈が問題なのだと親切な女医さんが、イラスト付きで説明してくれた。どうやら、ぼくの心臓はスポーツ心臓に近いらしい。それほど、定期的に運動をしているわけじゃないのだが。

朝、10時に受け付けに行って、病院を出たのが午後3時だった。初めての病院だったので、ものめずらしく、それほど退屈はしなかったが、さすがにそれでも本を読むしかなかった。今はなき小沢書店から出た『ディラン・トマス詩集』をずっと読んでいた。不思議なもので、この詩集も12年前に読んでいるのだが、初期の作品を除き、あまりピンと来なかった。そのときは、キリスト教のメタファーがどうも鼻についたのだった。それに加えて、生活に精神的な余裕がまったくなかった。文学、中でも詩歌は、読むことがそのまま経験であり、出会いでもあるのだろう。経験や出会いが生じるには条件が必要なのだ。


ディラン・トマス(1914-1953)

塔のなかの耳

塔のなかの耳は聞く、
手がドアでぶつぶついうのを、
切妻のなかの眼は見る、
錠に触れる指を。
ぼくは閂をはずそうか それともひとり
死ぬ日までじっとここにいようか、
よそびとの眼に見られることなく
この白い家のなかに?
手よ おまえのもっているのは毒か 葡萄か?

薄い肉の海と
骨の海岸で区切られた
この島のむこう
音も聞こえぬところに大地は横たわり
思いも及ばぬところに丘は横たわる。
小鳥たちも飛魚たちも
この島の平安を乱さない。

この島のなかの耳は聞く、
風が火のように過ぎてゆくのを、
この島のなかの眼は見る、
船が湾の外に錨を降ろすのを。
髪に風を孕んで
ぼくは船に駈けていこうか
それとも死ぬまでここにいて
船員を歓迎しないことにしようか?
船よ おまえのもっているのは毒か 葡萄か?

手はドアでぶつぶついう、
船は湾の外に錨を降ろす、
雨は砂とストレートを打つ。
よそびとを入れてやろうか、
船員を歓迎してやろうか、
それとも死ぬ日までここにいようか?

よそびとの手と船の船倉よ、
おまえの持っているのは毒か 葡萄か?

(松田幸雄訳)


■子宮の中の胎児を歌った、あるいはファシズムが荒れ狂う大陸に無関心の30年代英国を歌ったとも言われている。何度も読み返していると、ある種のメッセージを感じるのはぼくだけではないだろう。この詩が自分に向けられていると感じるのがぼくだけではないように。

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Feel like going home

日曜日、。旧暦、5月30日。

一日、ボーっとする。新聞を読んで、掃除して、ゴミを捨てて、DVDでFeel like going homeを観て終った。

マーチン・スコセッシ監督のブルース関連のドキュメンタリー映画である。たまにCDを聴くくらいで、ほとんど、その歴史やミュージシャンは知らないが、ブルースはロックのルーツの一つであり、奴隷制という出自やメロディとリズムの面白さに、興味はある。ブルースでよく歌われる、「悪い女」は実は綿花のプランテーションの農場主(ボス)のことだと、映画の中であるブルースマンは語っている。直接、ボスを非難すれば、翌朝にはあの木に首からぶら下がっているさ、ということらしい。アメリカのブルースの歴史をたどる中で、徐々に、隠れたプロテストソングだったブルースが、現実の「悪い女」を歌うようになっていく。つまり、ラブソングに変質していく。それと同時に、ブルースマンの意識も「俺は結婚は5回もしたぜ。その意味じゃ、経験者さ」というふうに女性が関心の中心になっていく。もちろん、仕事の辛さや差別の辛さも歌っているはずだが、ブルースがラブソングに変わっていくプロセスも確かにあり、それを一番喜んだのは、収奪する側の白人だったろう。

このドキュメンタリーでは、後半、現役ブルースマンのコリー・ハリスが「自分を知ることは自分の過去を知ることだ」という言葉に導かれて、西アフリカのマリまで、ブルースの起源をたどっていく。マリの文化は口承文化であり、マリでは音楽と歴史が結びついている。歌うことがそのまま己を知ることになる。マリの音楽は、一部、イスラム教の影響からか、メロディに中近東系の響があるように感じた。

このドキュメンタリーではじめて知ったのだが、奴隷として米国に連れてこられた黒人たちは、民族楽器として太鼓も持ち込んだが、白人達は、これで意思の伝達を行うと警戒して禁止してしまった。使用すると死刑になった(確かそう言っていた)。ブルースのギター奏法にリズムを取るような奏法があるのは、ドラムが禁止された名残なのかもしれない。今、思い立って、バディ・ガイの「A Man & The Blues」を聴いている。やはり、曲によっては、ドラムは使用されていても前面に出てこない(クリームやヤードバーズのようなホワイトブルースが遠慮なくドラムを鳴らしているのと対照的である)。ブルースもジャズもロックに比べれば、ドラムの使い方は控えめではないだろうか。

考えてみると、奴隷として米国に連れてこられた黒人たちは、母なるアフリカの大地から暴力的に引き離され、米国社会の最下層に暴力的に組み込まれたという意味で二重に収奪されている。マリの黒人が、自国の伝統に誇りを持ちそこに己のアイデンティティを見出して、植民地独立の根拠にできたのに対し、米国の黒人は、己のアイデンティティに否定的にしか関われない。ブルーなアイデンティティとして。そのせいか、マリのミュージシャンたちのフランス語は、その内容も含めて確信的に響くのに対して、コリー・ハリスの英語は、いかにも自信なさそうで、村から出て行ってよその町で傷心した若者が故郷に帰ってきた、という感じなのだ。二重の収奪は、米国の黒人たちに奥深いところで、「恥辱」に近いものを与えてきたのではないだろうか。


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芭蕉の俳句(98)

■旧暦、5月29日。土曜日、

今日は洗濯日和だった。シーツ等、大量に干した。子どもの体調もようやく安定し、今日は、ゆっくりした。7月にあるドイツ映画際で、バッハのロ短調ミサを映像化した作品を観る予定にしている。その予習をかねて、レオンハルトの指揮したCDを寝る前に聴いている。いったい、この音楽をどう映像化しているのか、興味が尽きない。27本の短編で構成されているらしい。



塚も動け我が泣く声は秋の風    (奥の細道)

■これほど深く激しい悲しみの表現を他に知らない。塚は土を盛った墓の意。「塚も動け」という強烈な措辞。秋の風が慟哭の声そのものだという詩的な表現。芭蕉にこれほどの追悼句を書かせたのは、いったいどんな人だったのだろうか。36歳で早世した加賀蕉門の重鎮一笑がその人だった。

キーンはどう英訳したろうか。


Shake your tomb, reply!
My voice that weeps for you
Is the autumn wind.


(日本語訳)

墓を震わせて、応えろ!
お前のために泣く俺の声は
秋の風だ。

■原句の「塚も動け」は、芭蕉の慟哭の声の激しさを表現している。声に対応して動くのは塚そのものである。キーンの英訳では、芭蕉の慟哭に応えて墓を動かすのは、一笑である。この微妙な差は、かなり大きいのではないか。慟哭の強烈さがキーンでは弱められてしまうように感じる。
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芭蕉の俳句(97)

■旧暦、5月27日。木曜日、

今日は、急ぎの仕事に専念した。他は何もできず。お昼に、ぶっかけうどんを作って子どもに食べさせてみたら、なかなか評判が良かった。



あかあかと日はつれなくも秋の風   (奥の細道)
 
■夏から秋に移る季節の変わり目が捉えられていて惹かれた。確かに、残暑の中を吹く一陣の風が秋の匂いや冷たさを運ぶことがある。とくに夕方。楸邨によれば、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今集:藤原敏行)を踏まえる。この歌は、風の音がそれまでと違うと感じているが、芭蕉の感じた風は、残暑と対比していると思われるので、風に爽やかさや軽さを感じたのではないだろうか。面白い伝説がある。初めに芭蕉は「秋の山」と置いて、北枝が「秋の風」がよいと言ったので、芭蕉が褒めてそれに従ったという。この伝説が本当なら、初めから念頭にあったのではなく、結果的に、敏行の歌を踏まえたことになるだろう。

キーンはどう訳しているだろうか。


Redly, redly
The sun shines heartlessly, but
The wind is autumnal.


(日本語訳)
あかあかと
太陽は無情に輝く。だが
風は秋のものだ。

■現代詩あるいは物語の冒頭三行のよう。
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芭蕉の俳句(96)

■旧暦、5月25日。火曜日、

疲れて、午前中寝てしまった。子どもの体調が回復せず、今朝も発熱。昨日、病院に連れて行き、血液検査をした。もうかれこれ、20日も微熱が続いている。当人が一番辛いが、周囲も疲れる。もともと、免疫システムが弱いので、いったん風邪を引くと、なかなか直らない。



日曜日は、久しぶりに句会に出た。いくつか収穫があった。一つは、芭蕉の「かるみ」についてで、これは、俳句の基本的な性格を規定する考え方のように思えた。「奥の細道」の金沢以降に、この思想に到達するとのことなので、今後、じっくり探究していきたい。もう一つは、題材の具体性について。ぼくは、どちらかというと、普遍的なことを詠みたいという志向が強くて、句が抽象的・観念的になりがちであるが、連衆のみなさんの句を見ていると、きわめて具体性に富んでいる。普遍性と具体性の関連について、もっと深く考えてみるべきではないか。そんな気がした。具体を深く詠むことで普遍に通じる場合もあるだろうし、具体を具体のまま詠むことで、何かが深まることもあるだろう。句の普遍性や具体性について考えるとき、導かれていくのは、具体的な一つ一つの季語なのだろう。



早稲の香や分け入る右は有磯海    (奥の細道)

■この句は、一つの材料を詠んでいるので、一物仕立ての句であろう。意味的には、「早稲の香を分け入る右は有磯海」と同じである。景の雄大なところに惹かれた。芭蕉は、「もし、大国に入りて句をいふ時は、その心得あり」(三冊子)と述べている。この句は、そうした心得の現れたものの一つだろう。楸邨によると、有磯海は越中の歌枕で、元来、荒磯海という波の荒い浜辺の意味の普通名詞。大伴家持が国府に在任して歌を詠んで以来、富山県高岡市伏木港あたりから北方の海岸を指しての呼称になった。「荒磯(原文は安利蘇)はもともと「荒い磯」でなく、現石(アライソ)の意で、海中や海岸に露頭している岩のことをいう」(岩波古語辞典)というもある。

また、この句の解釈には、二通りあって、楸邨のように、海を実際には望見していないで想像しているとする説と、『新編古典文学全集 松尾芭蕉』のように、倶利伽羅峠から実際に右手の有磯海を望見したという説がある。ぼくは、楸邨の説に共感を覚える。「早稲の香」を強調し、その真只中(平地)で、右手に遠方にあるはずの海を想像しているように思えるからだ。

キーンの理解はどうだろうか。

Sweet-smelling rice field!
To our right as we push through,
The Ariso Sea.


(日本語訳)

甘い香りの稲田よ!
ぼくらが分け入る右手は
有磯海だ。

■望見しているともしていないとも受け取れる。面白いのは、主語にweを使っている点で、同行の曾良も意識しているのだろうか。

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芭蕉の俳句(95)

■旧暦、5月20日。木曜日、曇りのち雨。

今日は、忙しかった。午前中は健康診断の結果を聞きに駅前の病院に行き、午後は、子どもの熱が下がらないので、少し離れた病院まで行く。健康診断は、なんと! 3つも引っかかったのである。循環器、血液、腎臓。循環器は、脈拍が1分間に49しかない! 詳しくは、再検査の結果を見るしかないが、体に送られる血流量が通常よりも少ないということは言えそうだ。



一家に遊女も寝たり萩と月

■この句だけを見ると、遊女は一人という感じがする。ぼくも長い間そう思ってきた。ところが、「奥の細道」の前書きを読むと二人の遊女と隣り合わせの部屋に泊まったことがわかる。

長くなるが、前書きの現代語訳を引用する(出典『新編日本古典文学全集 松尾芭蕉②』小学館)。ここには、一つの物語がある。

今日は、親しらず子しらずとか、犬もどり・駒返しなどという北国一番の難所を越えて疲れていたので、枕を引き寄せて早く寝たところが、襖一枚隔てた向こうの表側の部屋に、若い女の声が聞こえる。二人ほどらしい。女の声に年寄りの男の声も交じって話をしているのを聞くと、越後国の新潟という所の遊女であった。女が、伊勢に参宮しようとして、この関まで男が送って来て、あすはその男を故郷新潟へ帰すについて、手紙を認め、ちょっとした言づてなどをしているところである。『白浪のよするなぎさに世をつくすあまの子なれば宿もさだめず』という古歌のとおり、おちぶれて、浅ましい身の上になり、夜ごと変わった客と契りをかわすのですが、前世の所行がどんなにか悪かったのでしょう」と話すのを聞きながら寝入ってしまった。その翌朝、宿を立とうとすると、遊女たちはわれわれに向かって、「これから伊勢までどう行ったらよいかもわからない道中の憂さが、なんとも不安で悲しゅうございますので、あなた様のお跡を見え隠れにでも、ついて参ろうと存じます。人を助ける御出家のお情けで、仏様のお恵みを私どもにも分けて、仏道にはいる縁を結ばせてくださいませ」と涙を流して頼むのであった。かわいそうなことであったが、「われわれは所々で滞在することが多いから、とても同行はできまい。ただ同じ方向に行く人々の跡について行きなさい。きっと伊勢の大神宮がお守りくださって、無事に着けるでしょう」と言うばかりで出立してしまったが、かわいそうなことをしたという気がしばらく収まらないことであった。

■まるで、ロードムービーのようである。遊女二人が、「奥の細道」に同行していたらどうなっていただろうか。この二人は伊勢まで女だけで辿り着けたのだろうか。遊女二人のその後の人生は? こうした己をみつめ自省できる人格と教養をもった女性たちに、prostitutesは、やはり、ふさわしくないように感じる。

萩については、今、研究社の和英大辞典をひいてみたら、a Japanese bush cloverとなっている。植物学的に見て、萩とクローバーは近いのか。外見的に見て似ているのか。その辺は分からない。しかし、少なくともcloverで済ませることはできないだろう。
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芭蕉の俳句(94)

■旧暦、5月19日。水曜日、曇りのち晴れ。

朝から、終日、仕事。今日から、朝一番で、「知恵袋」に命題をインプットすることにした。しばらくは、ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』を入れる予定。昼、突然クロワッサンが食べたくなって、街のパン屋で買って、公園で蟻を見ながら食す。スーパーでピーナツバターを買って帰る。今日は、湿気が多くて、疲れた。



一家に遊女も寝たり萩と月    (奥の細道)

■この句はいいですね。どこがいいのか、考えてみると、1つは「遊女」と「萩と月」の取り合わせが、なんとも言えない味わいがある。月に照らされた萩の花の情趣は、可憐で儚げ。月の光は夜の光であり、影を許容する光。「萩と月」という措辞で、「遊女」に対する芭蕉の優しい視線が感じられるだけでなく、「女性的なるもの」の一面を言い止めているようにも感じられる。

キーンはどう英訳しただろうか。

Under the same roof
Prostitutes were sleeping―
The moon and clover.


(日本語訳)
同じ屋根の下に
遊女たちが寝ていた―
月とクローバー。

■いくつか、注目点がある。一つは遊女=prostitutesと複数である点。第二に、どうもprostitutesという言葉は、売春婦、売笑婦などという訳語があって嫌である。遊女という言葉に感じられる色香や粋な感じがない。第三に、これは調べていないのだが、萩=clover? これはどういうわけだろう。今日は疲れたので、続きは明日。





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芭蕉の俳句(93)

■旧暦、5月18日。火曜日、

昨日のオーストラリア戦は、悪夢を見ているようで、寝つきが悪かった。1点を死守して初戦突破というパターンも多いので、前半の1点を死守できなかったとも言えると思うが、見ていると、決定力がなさすぎる。得点しなければならないところで、ゴールできない。動きが光っていたのは、俊介、サントス、川口、宮本で、中田はパッとしない。中田はいない方がやりやすいのではないか。

午前中、図書館から2度目の返却催促の電話。大急ぎで、アーレントのチェックしたところまで、ファイルメーカーにインプットする。何度か、クラッシュして、データ喪失という憂き目にあったが、読書しながら、重要と思う命題をデータベース化している。現在までのところ、エントリ数は95である。まだ、実際に参考資料として役に立つレベルにはない。当初目標は、エントリ数1,000である。

午後から、サイバーの翻訳に専念。今日はまだ、子どもの体調が悪く、家内も疲労しているので、雑用でであった。



曙や霧に渦巻く鐘の声    (続句空日記)

■「霧に渦巻く」という措辞に惹かれた。霧に鐘の音が篭っている感じがよく表されている。取り合わせの句であろう。この取り合わせは、リアリズムの取り合わせだろう。霧も曙も実際に芭蕉の眼前にある。曙は心の中の景ではないだろう。霧に渦巻く鐘の声を聞いて、曙の感じがいっそう深まったという楸邨の解釈で、この句の魅力は言い表せられていると思う。

楸邨によれば、この句は真偽が疑われている。芭蕉の作とすれば、元禄2年の秋、『奥の細道』の旅の途次のもの。
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芭蕉の俳句(92)

■旧暦、5月15日。日曜日、雨。一年弱利用したライブドアからgooにブログを変えた。まだ、よく使い方がわからない。ブログの作り方は、こっちの方が楽だった。

ようやくサイバープロテストの翻訳に戻った。エクセルで訳語の管理を行い、ファイルメーカーで翻訳上の諸問題の管理をすることにした。



荒海や佐渡に横たふ天の河   (奥の細道)

■この句も有名であるが、よくわからない。第一に「佐渡に横たふ天の河」とはどういう状態を言っているのか。

1)楸邨の理解は、「眼を放てば荒海で、渺茫と波うちかさねる彼方に、流人の島佐渡は哀史を秘めてくろぐろと横たわっている。二星の年に一度相逢うというこの七夕の夜の天の川が暗いその波の上に横たわり、半天に冴えかえってひとしお旅愁をそそってやまないことだ」

2)久富哲雄の『おくのほそ道』は「眼前の日本海には荒波が立ち騒ぎ、黄金の島でありながら、流人の島としても名高い佐渡島と本土を隔てている。仰ぎ見る七夕の夜空には、今宵二星が相逢うという天の川が、白く輝きながら、佐渡島の方に流れている。家郷を離れ、荒海の彼方の島にある人々は、どんな思いで天の川をながめていることだろうか。わたしも長旅を続けていて、親しい人々のことがしきりに懐かしく思われてくる」

3)新編日本古典文学全集 松尾芭蕉①は「出雲崎から日本海の荒海の彼方に佐渡島がある。そこは古来、多くの人々が流罪にあって悲運を嘆いたところであり、一方、黄金が掘られて、人間の喜怒哀楽が渦巻いてきた島である。しかし、いま、夜空を仰ぎ見ると、そんな人間の些事とは無関係に、広々と澄んだ秋の夜空をかぎって、天の川が佐渡島にかけて大きく横たわっている」

この3者の理解を見ると、眼前に大きく見えたのは、天の川であり、佐渡島はほとんど見えていなかったように思える。夜間であり、距離的にも遠いはずなので、見えてもかすかだったのではないか。佐渡の方角を見ながら、この景を詠んだのだろう。「佐渡に横たふ天の河」の措辞は、海と天の川の位置が比較的近いような印象を受ける。天文学的に見て、どうなのか、よくわからないが、夜間、海と天が繋がっているような一色の空間に見えたのかもしれない。

この3者の理解で面白いのは、佐渡島の捉え方である。流人の島であり、同時に黄金の島―人間の喜怒哀楽が凝縮された島という捉え方は、びっくりした。1)2)が、流人と七夕の二星を重ね合わせて、いくぶん感傷的に、この句を鑑賞しているのに対し、3)は、七夕には触れずに、右往左往する人間の歴史とは無関係な天の川の非情を捉えている。俳文脈から見れば、七夕を解釈に入れる方が自然な気はするが、3)の非情な解釈は捨てがたい魅力がある。

ドナルド・キーンはどう英訳しているだろうか。

Turbulent the sea―
Across to
Sado stretches
The Milky Way.


(日本語訳)

荒海―
佐渡まで
天の川が伸びている。

■across toは、同一平面上を横切るイメージが強いのではないか。Milky Wayとなっているので、上空にあることはわかるが、Sadoもまた空にあるように感じられないだろうか。あるいは、その逆に、acrossとseaとのつながりに着目すれば、天の川が海と同一平面上にあることになる。across toの感覚は、ネイティブにはどう受け止められるのか、よくわからない。
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