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RICHARD WRIGHTの俳句(30)

■このごろ、つとに旅に出たい。ぼくは、どっちかと言えば、出不精で、あまり旅行はしてこなかったが、俳句を書くようになって、しきりに旅に誘われるようになった。

そう言えば、イーグルスがスタジオ録音を10月29日に出すらしい。二枚組み。新譜は何年ぶりだろうか。高校生のときに深夜放送から流れてきた「ホテルカリフォルニア」の衝撃はいまだによく覚えている。メンバーは還暦を迎えるはずだが、グレン・フライやドン・ヘンリーの歌声は健在のようだ。どんなアルバムなんだろうか。今から楽しみにしている。



(Original version)
A bloody knife blade
Is being licked by a cat
At hog-killing time.


(Japanese version)
豚を屠る
血のついたナイフの刃を
猫が舐めている


(放哉)
拭くあとから猫が泥足つけてくれる


■猫の怖さと憎めないところが、期せずして、二人に出ている。どっちも好きだな。
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飴山實を読む(31)

■旧暦7月20日、土曜日、

数年前に展覧会で買ったマチスのB1のポスターをパネルに入れて、部屋に飾ったら、空気が変わったのでびっくりしている。海と空をモチーフにした絵なんだが、狭い部屋が急に広くなり、きれいな風が吹いてくるようだ。

携帯を機種変更した。機能的には、メールと電話だけでよく、薄くて軽くないとダメ、という条件を出した。なんせ、これまでの携帯はカメラに特化した重く厚い機種で、とても不便だったからだ。この条件を満たす携帯は、結局一つもないことがわかった。薄くて軽いけれど、カメラとウェブ機能はついている。だから、却って、機種変更が高いものについてしまったのである。メーカー各社は機能つけすぎだろう。



子も毬もはづめる露の浄土かな   『次の花』

■ここ数日、寝る前に、『般若心経』を読んでいる。薄いテキストなので、もう10回くらいは読んだか。わかったようなわからんような。そこで、いくつか現代語訳になっている本も探して読み比べてみた。ぼくが読んだ中では、柳澤桂子さんの『生きて死ぬ智恵』(小学館)が分りやすかった。

實のこの句、般若心経を思い出させるのだ。柳澤さんの訳の中にこんな行がある。


真理を求める人は
まちがった考えや無理な要求をもちません
無常のなかで暮らしながら 楽園を発見し
永遠の命に目覚めているのです
永遠の命に目覚めた人は
苦のなかにいて 苦のままで
幸せに生きることができるのです
  『同書』p.26

實の句、子ども毬も「露の浄土」で弾んでいるというのだ。「露の浄土」は露のようにはかないが浄土であり、浄土であっても無常であるという二重の意味が込められているように思う。遊んでいる子は、旅するわれわれ自身であり、毬も無常かつ永遠にそこに存在する。

『般若心経』は、苦しむ魂を、存在の原点に連れて行き、そこで、清冽な風にあてて再生させるような清々しさがある。一方、この「空」の思想を本当に体得すれば、人はなにも世界に働きかけなくなるであろう。世界のゆがみはそのままに、「無常のなかで暮らしながら 楽園を発見し」「苦のなかにいて 苦のままで 幸せに生きることができる」ようになりかねない。般若心経のもつ、物理学や生物学の最先端のような真理に共感しながらも、こうした「空」の思想をどうしたら、具体的な政治的表現に媒介できるのか、といった問題意識を手放さずにいることの重要性を思う。なんだか、句と離れてしまったけれど。
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