verse, prose, and translation
Delfini Workshop
フランス語の俳人たち:Daniel Biga(2)
2009-04-29 / 俳句
(写真)藤の鉢
午前中、仕事、午後、買い物など。
計画が遅れている。一か月も遅れてしまった。新規に3つの計画に着手していなければならないのに、まだ、一つも着手できていない。連休は、これに専念するか。今日、スーパーに空豆を買いに行ったら、もうなかった。夏の季語だが、春先から八百屋には出ていたから、品物がスーパーにはもうないのかもしれない。
◇
Daniel Bigaは1940年ニースの生まれ。
je bêche mon jardin
le rouge‐gorge
patiente
わたしは畑を耕す
こまどりは
我慢強い
■le rouge‐gorge(ロビンあるいはこまどり)は男性名詞なのに、どうして形容詞が女性形なのか、わからないが、とにかく訳出してみた。間違っていたら、すまん、である。こまどりは、作者の比喩なのか、ここで切れているのか、わからない。―があるとわかりやすいのだが。
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フランス語の俳人たち:Daniel Biga(1)
2009-04-28 / 俳句
(写真)藤
今日は、天気がいいので、叔母のリハビリを行う。家の周囲をぐるっとカートで一回り。散歩にもいい日和。
実際に話されている言い回しに興味があって、演劇関係の本をぼちぼち集めている。50年代から70年代のペーパーバックの劇作が、神保町へ行けば、店先のラックで一冊200円くらいで投げ売りされている。ちょっと、古いかもしれないが、面白そうである。
このところ、作句から離れてしまっている。今日、家人と話していて、「空豆」が出てこなかった。かなりの危険信号である。夜、冷え込む。
◇
au matin
dans le tonneau un hublot
de glace
夜明け
樽に穿った
丸窓の硝子
■夜明けの光が、樽の丸窓に射してきたのだろう。季節は不明だが、初夏の夜明けの爽快な感じがなんとなくする。
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ドイツ語の俳人たち:Udo Wenzel(9)
2009-04-27 / 俳句
(写真)白藤
藤が咲いた。今日は、午前中、仕事。午後、打ち合わせ。夜、仕事。
◇
Septembermorgen.
Der Schatten einer Krähe
huscht an mir vorbei.
9月の朝
鴉の影が
過る
■具体的な事物が描かれていないので、じゃっかん、弱い感じがあるが、初秋の朝と飛び去る鴉の影は、透明感を増した空気の中で、コントラストがはっきりしていて惹かれた。ただ、この理解は、日本の初秋であるから、ドイツの9月は印象がまた違うのかもしれない。
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Jack Kerouacの俳句(11)
2009-04-25 / 俳句
(写真)木香薔薇(桜と入れ違いに咲く)
朝から、子どもを病院へ。午後、掃除、仕事。雨で湿気が多くて調子が悪い。
◇
A bottle of wine,
a bishop―
Everything is God
ワインが一本
司祭が一人
すべては神
■“Everything is God”という考え方が面白く惹かれた。ケルアックはビートニク詩人なので、禅や老荘思想は読んでいたと思う。一瞬、ここに、アニミズムのような多神教的感覚を感じたのだが、やはり西欧人である。この部分は“Everything is gods”ではない。唯一神が前提なのである。ネイティブは、この俳句に強い信仰心を感じるらしい。ワインから、「最後の晩餐」を連想することもできようが、ぼくは、もっと世俗的な感じを受けた。それは“A bottle of wine”という言い回しによる。
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蕪村の俳句(22)
2009-04-23 / 俳句
(写真)桃の花
なんだか、バタバタしていうちに日が暮れた。隣の子どもは風邪を引き、ぼくは歯痛だが、キリスト教徒は「永遠」の観念が恐ろしいと言う。
今日は一年前に、意味不明ということで没になった英詩雑誌にリベンジを果たすべく、二篇詩を送った。一篇は、自分の日本語詩を英訳したもの、もう一篇は書き下ろしたもの。と言っても、一年前に書いたものに手を加えたのであるが。今度は、行くだろうと思っている。ネイティブチェックを受けて万全を期したのである。
◇
遅き日のつもりて遠きむかし哉 「自筆句帖」安永四年
■蕪村は、時間を詠むことが多かった俳人ではないだろうか。まなざしは、必ず過去へと向かっている。今はすでに昔なのだという感覚は惹かれるものがある。
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蕪村の俳句(21)
2009-04-19 / 俳句
(写真)花の空
昨日は、哲学塾だった。I先生大いに語る。本場欧州の哲学者たちと共同研究を長く行ってきた人なので、話が面白い。昨日のテーマは、現存資本主義の崩壊、または、「共同体と個人」だった。ぼくは、根っから議論好きなので、こういう機会はとても貴重である。また、参加者のみなさんも極めて意識が高く、興味は尽きない。
今日は、アファナシエフ詩集の校正と掃除、雑用。星野之宣の『妖女伝説』1、2読了。詩と語りの融合が見事に果たされている。
◇
ちるはさくら落るは花のゆふべ哉 自筆句帖(天明二年)
■桜はさくらとも花とも言うけれど、蕪村はさくらは散ると感じ、花は落ると感じると言っている。「さくら」は、桜の自然科学的な物的な側面に光が当たり、「花」では人と花の一体化した境地が見えてくる。また、桜は近景であり、花は遠景である。散る、落る。さくら、花。同じ意味でも、言葉によって違った情感が醸し出されて惹かれた。
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蕪村の俳句(20)
2009-04-17 / 俳句
(写真)花の昼
金曜か。早いな。桜も葉桜となりにけり、か。今、新規の翻訳企画書を書いている。これも、かなり先鋭的な本なので、出ればインパクトは相当あるだろう。今年から、英語俳句に挑戦する計画で、「耕 Ko」という英文俳句結社にコンタクトを取った。年2回発行で2000円である。10句まで投句できる。エッセイもOKみたいなので、ゆくゆく投稿してみたいと考えている。今日は、訪問リハビリの会社に電話して、来てもらって、打ち合わせをした。真面目なお兄ちゃんで、今、訪問リハビリのほとんどが、圧迫骨折と脳梗塞の後遺症だという。一割負担で来てくれて、マッサージとリハビリをしてくれるのだから、助かるサービスである。
◇
風に散り風吹きたえて落花哉 「月並発句帖」(安永五年)
■一読惹かれた。風に散るさくら。風が止んでも、そのまま、音もなく散るさくら。情景が目に見えるようで、しかも、動きがある。いいですね。
◇
Sound and Vision
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蕪村の俳句(19)
2009-04-13 / 俳句
(写真)落花
昨日、掃除しているときに、石油ストーブを持ちあげたら、ぎっくり腰になった。参った。歩くのも難儀である。今日は、午後から、病院へ。軽度らしいが、痛み止めと湿布が出た。予防法は? と聞くと、ストレッチが有効だという。ストレッチと言っても、ドクターの言うのは、ごく簡単なもので、一時間に一度、立ち上がって、伸びをしながら体を左右にひねるだけである。タクシードライバーも腰痛にやられるので、この方法を教えたら、かなり効果があったという。長時間座る仕事は、ストレッチが欠かせない。ま、その前に、恒常的な運動不足をなんとかせねばならんが。
◇
みよし野に花盗人はなかりけり 自筆句帖(天明二年)
■花盗人。花の枝を折り取る人。風流な所業とみなされた。吉野の花は、まだ、見たことがないが、圧倒的な花の前に、風流な所業も無意味になると蕪村は言っている。その圧倒的な感じに惹かれた。吉野の花の圧倒的な様子も見てみたいが、一本桜の古木にも惹かれる。
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一茶を読む:七番日記(5)
2009-04-11 / 俳句
(写真)ヨーカ堂にて。不況の深刻さを思わせる。人間の屑、いやゴキブリ未満の自称総理の愚策。
今日は、朝から激怒してしまった。訪問販売が叔母に50万円の浄水器を巧妙に売りつけたのである。会社名を出しておこう。「株式会社日本クリエイト」がその会社である。当社は、ご老人なので、お断りしたのですが、どうしても、と言われるので設置しました。予め電話でアポを取ってから、お伺いしましたので、訪問販売ではございません。これが、この会社の口上である。即、メールで呼び出して、契約解除した。高齢者は、浄水器の相場がわからないし、訪問販売で、優しく、いかにも良心的に言い募られれば、判断力も気力も弱まっているから断るのが難しい。しかも、自ら、もう老い先が短い事を知っているので、自分のためにお金を使うことに躊躇はない。そうした高齢者の心理と社会的条件に巧みに付け込んでくる。いわば、創価学会など、新興宗教の勧誘の手口と同じである。この浄水器、実際に試してみたが、ブリタの簡易浄水器の方が遥かに性能がいい。今後、再び当集合住宅で姿を見かけたら、警察・消費者センター・マスコミ・市議会に通報して、営業できなくするからそう思え! と言って追い返した。商売は、どんなものでも厳しい。だからと言って、道義心を失くしてしまったら、人間終わりではなかろうか。
◇
春の日のつるヽ辷る樒かな
■樒(しきみ)。「春の日のつるつる辷る」という措辞に惹かれた。春の日の楽しげなありようと樒の葉の様子を擬態語で的確に捉えている。
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飴山實を読む(102)
2009-04-06 / 俳句
(写真)無題
午前中、叔母を美容院へ。カートを使ったリハビリを兼ねる。坂道は上りはいいが下りが難しい。しかし、カートは、杖よりもはるかに安定するらしい。午後、療養中の友人に電話。息子が中二になったという。月日は早い。手紙を一本、いつもの喫茶店で。もうアイス珈琲の気分である。夜、夕食を手伝う。茄子とピーマンを焼く。人生は夢のまた夢。桜を見ているとそんな気がしてくる。
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群青や淵あればすぐ花筏 「花浴び」
■山桜の花筏だろう。一度見てみたいものである。人知れず咲き人知れず散る花。
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Sound and Vision
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