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飴山實を読む(176)

■旧暦3月17日、金曜日、

(写真)無題

重い荷物を持って病院を往復したら、腰痛が出てきた。ヘルニアはやっかいだ。昨日・今日は、天気がいいので、気分がいい。昨日、病院の帰りに、石釜でパンを焼く店に寄って、しばらく、外のテーブルでパンを食べていた。すると、雀たちが近くまで寄ってきて、チュンチュン可愛いではないか。公園で鳩がやって来ることはよくあるが、雀が来たのはめづらしい。この頃、まとまって雀を観ないので、パン屑を投げてやった。よく観察すると、性格がいろいろで面白い。終日、仕事。



ものぐさなたつきといはん蝸牛   「俳句研究」平成九年十月

■ユーモアに惹かれた。小動物を観るまなざしの豊かさを感じる。目線が同じ次元にある。
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飴山實を読む(175)

■旧暦3月16日、木曜日、 昭和の日

(写真)無題

昨日は、夕方、気になって叔母の様子を見に行ったら、圧迫骨折の痛みで全身の身動きが取れなくなっていた。トイレにも行けず、食欲もなく、眠れない。往診の医師やケアマネと相談して、緊急入院することにした。生憎、時間的に病院はどこも当直の体制に入っているので、医師の紹介が効かない。しかも、今日は祝日なので、紹介可能になるのは、金曜日である。痛みのひどさを考えて救急車を呼んで、搬送先を救急にお願いすることにした。近くの病院から聴いていくが、どこも満床。M病院の名前が挙がったので、即座に否定して、C病院にかけあってもらい、受け入れてもらった。このMという病院は、以前入院したが、ビタミン投与だけの措置しかせず、看護師の態度も、上から目線できわめて悪く、雰囲気全体が暗いのである。C病院では、手術をした患者を優先するというので、短期の入院になるが、医師と看護師から、現状や治療プラン、入院について丁寧な説明があった。問題は、退院してからで、リハビリも病院でやってくれるというが、回復の状況次第では、施設を紹介される可能性もある。これを当人は一番避けたがっている。しばらく、病院との往復が続きそうである。



風鈴に荒ぶる神ののりうつり   「俳句研究」平成九年十月

■一読印象に残った。たしかにこんな感じで風鈴が鳴っているのをよく聞く。しかし、こういうふうに表現されて、ストンと腑に落ちた。だれもが感じているものが言葉になったという気がする。



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飴山實を読む(174)

■旧暦3月14日、火曜日、

(写真)枝垂れ柳

ハマコーなどの自民系、旧守派の連中は、たいてい、企業がもうからないと、国民の生活がよくならないから、景気対策を最優先にせよ、と言っている。いっけん、もっともらしいけれど、企業にもうけさせるという発想の行きついた先が世界的な詐欺であるゴールドマンサックスとヘッジファンドだろう。結局、苦しむのは、経済弱者である。国民の生活が第一という民主党のスローガンは、人間の人生全体が経済に支配されている現実を告発する側面を持っている。生活から経済システムや法システムを再構築していく方向性は、基本的に正しいと思う。問題は、具体的なプランだが、これは相当な難問だろう。これはダメだという批判的行動を具体的な領域で積み重ねていって、ある形がおぼろげに見えてくるのではなかろうか。マスコミや評論家は、安易に全体ビジョンを要求し、それを煽るが、それが物象化して抑圧装置に転化した旧社会主義国のケースを忘れるべきではないだろう。改革的な革命は、革命的な改革を含んでいる。



兵曹の墓から蜥蜴あらはれし   「俳句研究」(平成九年九月)

■兵士の魂が蜥蜴という形になって現れたかのようで惹かれた。墓の冷たさと日差し匂いも感じられてくる。



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飴山實を読む(173)

■旧暦3月13日、月曜日、

(写真)午後の陽

家人が、ベランダの植物を増やしはじめたので、ぼくの仕事部屋にも、一鉢、回って来ることになった。本や資料に埋もれるようにして暮らしている身としては、緑は貴重である。介護や仕事や雑用で一日終わり。俳句を何句か作る。夕方、ウォーキングへ出かける。風がじゃっかん冷たかったが、気分良かった。ウォーキングをやると言うと、その間何を考えているか、という質問が多い。言いかえれば、退屈じゃないの? ということだが、いっこうに退屈しない。一つには、歩く喜びというものが確かにあるからである。この喜びは、実は、靴に左右されている。普段穿くスニーカーでも、天気の良い日に見晴らしのいい場所を歩けば、気分はいいだろうが、歩く喜びまではいかない。専門のランニングシューズでないと駄目である。喜びもテクノロジーに規定される。



陶枕の呉須の長江下りかな   「俳句研究」平成九年九月

■涼しげな風情に惹かれた。この枕なら、気分良く昼寝ができそうだ。枕のデザインが長江(長い流れの川)とも取れるが、昼寝の夢が長江と想像しても楽しい。



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飴山實を読む(172)

■旧暦3月12日、日曜日、

(写真)無題

今日は、とくに何もせず。掃除して、蒲団を干して、取りこんで、その蒲団にくるまって本を読んでいたら、しばし寝てしまった。つげ義春の『新版 貧困旅行記』。この本に出てくる子どもは、まさに、時期的に、自分自身。とても懐かしい。娘が夕食を用意してくれたので、それを食す。夜、ウィスキーを飲んでぼーっとする。




而して散りたる風の柿の花
   「俳句研究」(平成九年九月)

■余韻があって惹かれた。「而して」に現れた世界は、自然と人が相互に浸透した世界と感じられる。自然の物語であり人の物語でもある。



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飴山實を読む(171)

■旧暦3月11日、土曜日、

(写真)上野にて

パリのマエストロに定期的に、英語俳句とドイツ語俳句を送信しているのだが、昨日、返信があって、この数カ月エジプトなど数カ国に演奏旅行だったという。エジプトと聞いて、どうも、アファナシエフの演奏と結びつかなかったのだが、アレキサンドリアなどの古代からの国際都市を持つ土地なのだから、聴衆もいい耳を持っているのかもしれない。

嬉しかったのは、ぼくの俳句を選句してくれたことで、通常、俳句の選句は、俳句そのものを選ぶ。ところが、マエストロの選び方は、面白く、気に行ったフレーズを選び出してくる。なので、一行だったり、二行だったりが、選ばれている。これは面白い。たぶん、俳句を詩と捉えて、詩の中の気に行ったフレーズを引用する感覚なのだろう。この選句に刺激されて、短い欧文の詩も書いてみようかという気になった。

マエストロは、この一ヶ月、相当数の詩を書いたらしく、その一部を送ってくれると言う。ロシア語になると思うが、できれば、ここで、日本語に直してみたいと考えている。



音楽の話で言うと、最近、新鮮な体験をした。クセナキス(1922-2001)の音楽を始めて生で聴いたのである。クセナキスは、20世紀初頭に生まれた欧州人の一つの典型的な人生行路を示している。ルーマニア生まれのギリシャ人。おそらくユダヤ系。1940年、ギリシャに戻り、アテネ工科大学入学。建築と数学専攻。この年、ムッソリーニのイタリア軍がギリシャに侵攻、44年にヒットラーのドイツ軍が侵攻、続いて、イギリス軍が侵攻。中道右派政権が樹立するが、ギリシャ人民解放軍との間に対立が起き内戦状態になる。このとき、クセナキスは、人民解放軍の学生大隊の指揮官として戦闘に従事。45年、ビル防衛中にイギリス軍の流れ弾を被弾。左目失明、顎に大怪我。47年、アテネに潜伏後、パリ経由でアメリカへの亡命を試みる。ギリシャでは、欠席裁判で、政治的テロの罪で死刑判決を受ける。ギリシャで父と兄弟が強制収容所に収監。パリでは、建築家、ル・コルビュジエのアシスタントとして働く。同時に、オネゲル、ミヨーに作曲を師事。51年、オリヴィエ・メシアンに師事。このとき、クセナキスは、メシアンから、こんな助言を受けている。自分(クセナキス)は対位法や和声、楽曲分析などの作曲の基礎教育を体系的に学んでいないので、勉強した方がいいでしょうか、とメシアンに聞くと、クセナキスの作曲の才能を認めたメシアンは「きみは、建築と数学を学んでいるから、これを生かして作曲した方がいい」と助言したという。クセナキスは、16歳のときに、アリストテレス・クンドゥロフから作曲の基礎教育は受けている。建築家としても、54年にラ・トゥレット修道院プロジェクトに参加。58年にはブリュッセル万博でフィリップス館の設計を行っている。

現代音楽は、嫌いではないが、積極的なリスナーではなかった。ときたま、CDでジョン・ケージやルイージ・ノーノ、細川俊夫などを聴く程度で、演奏会に行く気にはなれなかった。CDで聴くと、あまり面白くないのだ。しかし、先日のクセナキスは違った。現代音楽こそ、ライブで聴くべき音楽なのかもしれない。最初に演奏された「ピソプラクタ」では、いきなり、すべての弦楽器奏者が、楽器のボディを手のひらで叩きだしたのには唖然とした。ポアソン分布やブーリアン代数などの確率理論やゲーム理論を取り入れて緻密な作曲を行うのに、できあがった曲はどれも、どこかユーモアが底に流れていて、思わず笑ってしまう。現代音楽は、笑いの要素が極端に少ないというのが、ぼくの印象だが、クセナキスはちょっと違う印象を持った。ただ、音の建築家の異名を持つだけあって、音で空間すべてを埋め尽くそうという意志を感じる。曲の中にポーズがなく、音は間断なく何かを形成し続け、突然、終わる。



現代音楽の話を書いていて、思ったのは、吉本隆明が、親鸞を論じる中でよく使っていた「往路」、「還路」という概念である。これは、親鸞論を読んでいるときには、正直、よくわからなかった。最近、吉本の「近代日本文学の名作」という文庫を読んで、わかりやすい例にぶつかり、ああ、そういうことかと思った。吉本によると、芸術には実験を繰り返し、民衆の意識から離れてゆく「往路」と民衆の意識に戻って来る「還路」があるという。還路の典型的な例を中原中也の詩に見ている。平明でありながらいくらでも深く読みこめるからだ。現代音楽では、新実徳英とアルヴォ・ペルトの音楽が、じゃっかん、「還路」の響きを持っていると思う。大方の現代音楽は、往路の途上にあって、還路の存在を忘れている。文学では、先日亡くなった井上ひさしが、あのモットーを読む限り、還路に自覚的な作家だったように思う。ぼくの感じでは、俳句の偉大さは、大いなる還路を行くところにあるように思う。還路の中での実験が、俳句の俳句たるゆえんで、往路を突き進むと、(現代)詩の領域へ入るのだと思う。




大雨のあとの明るさ桐咲けり
   「俳句研究」平成九年八月

■雨上がりの明るい空に桐の花が咲いている。それだけだが、幸福な気分になる。紫の花が雨に洗われてしずくが見えてくるようだ。



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飴山實を読む(170)

■旧暦3月8日、水曜日、、空海忌

(写真)花の田

健康診断の結果を病院に聞きに行く。曰く、太りすぎ、メタボ予備軍。悪玉コレステロール過剰。ま、こんなとこだろう。とんかつが大好物なのである。




吊鐘の下は田植の昼餉かな
   「俳句研究」平成九年八月

■風景に惹かれた。こういう風景は、どこかで見たことがあるような懐かしさを覚える。



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飴山實を読む(169)

■旧暦3月7日、火曜日、、穀雨

(写真)無題

朝から病院。今年は寒いので、まだ桜が散りきらずに残っている。河岸では、釣り人が何人も糸を垂れていた。曇りであった。もろもろ、元気が出ず。

T.S Eliot(1888.9.26 - 1965.1.4)の「荒地」を読み返している。Eliotは、モダニズムの詩人とされているが、それは、日本への受容の仕方が、モダニズムの文脈だっただけであって、Eliot自身は、モダニズムの詩人ではない。モダニズムへの批判・疑問を内包した反モダニズムの詩人である。パリ留学時代に早くもルカーチ(1885.4.13 - 1971.6.4)の「魂と諸形式」を読み、大戦中はイギリスでマンハイム(1893.3.27 - 1947.1.9)とキリスト教系の社会改革運動に参加している。ルカーチ、マンハイムと問題意識を共有する反近代的な感性を持っていたのは間違いないだろう。戦後、日本へは、「荒地」派がEliotを紹介するが、Eliotの「荒地」の響きは、大戦後の空虚な精神風土と感覚的に響きあい、のちに、戦争の原因を日本の近代化の遅れた精神風土に帰する文脈に回収されたのだろう。詩「荒地」を読むと、伝統は否定されず、「引用」されている。Eliotは、マンハイムやルカーチとならんで、実は、今、読まれるべきポストモダンの詩人なのだと思う。Eliot自身の置かれた状況は、現在とかなり近いからである。

こう考えたとき、Jackson Pollock(1912.1.28 - 1956.8.11)という画家も、アメリカモダニズムの元祖とされているが、疑わしくなってくる。モダニズムは、伝統を否定してはじまるが、アメリカ絵画にそもそも伝統はない。アメリカという国家も、いきなり近代からはじまっている。Pollockの画業は、制作の仕方も含めて、近代的な絵画そのものの否定ではなかったか。ぼくには、Pollockは、自分の置かれた社会への抗議として絵画を制作したように思われて仕方がない。いや、その人生そのものが、近代への反抗だったように思える。その意味で、Pollockは近代批判の画家と思えるのである。




緑陰にひろひ読みして涅槃経
   「俳句研究」平成九年七月

■涅槃経。読んだことはないけれど、惹かれる。原始仏典の一つらしい。緑陰で仏典を読む休み。実現したいものである。



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飴山實を読む(168)

■旧暦3月6日、月曜日、

(写真)椿

珈琲の代用だからだろうか、アッサムが好きになってきた。今日は、マッサージさんからの電話で起きる。昨日、天気が良かったので、叔母のリハビリに周囲を回ったのだが、なんと、それだけで、足首を捻挫してしまったのである。マッサージしていて、明らかに怪我をして熱を持った部位があるとの電話だった。あらましを説明してから、駆けつける。両足に浮腫が出たので、運動をさせるべく、キャリーを押しながら、20分くらい歩いてもらったのだが、体重が増えたので、足にかかる負担が増え、捻挫の一つの原因になったと思える。運動不足は、いろいろな意味で障害を引き起こす。午後は、叔母の湿布や衣類などの買い物で終了。疲れた。このところ、介護関係で、仕事ができない。弱ったものだ。



土曜は、哲学塾。かなり面白かった。I先生の本の出版記念講演だった。二つ感じた。一つは、ある理論や説が「世界化」するときには、その主唱者の所属する集団の政治性が影響すること。たとえば、社会学の出自について、これまで、政治経済学から生まれたという説が優勢だった(言いかえれば、社会学の哲学的出自とその批判的な含意が忘却された)が、これは、戦後、パーソンズの社会学が「世界化」したことと関係がある。この裏には、パーソンズの所属するアメリカの第二次大戦での勝利とその資本主義文明の世界化がある(確か、旧社会主義圏では、社会学はブルジョア科学の典型とみなされていたと記憶する)。面白いのは、「世界化」には「反世界化」とでも言える対抗の流れが伏流水のように常に存在することで、これが、ある政治的な条件下で顕在化する。その典型がルカーチ、マンハイム、マリノフスキー、エリアス、ズナニェツキなどの東欧の社会学で、その出自を哲学に持ち、反近代を共通の感性基盤としている。これらの社会学者たちが、「世界化」するには、68年の五月革命をきっかけにした世界的な体制批判運動の出現という政治的な条件が必要だったと思われる。このとき、パーソンズ社会学は、アメリカ内部からも、その体制擁護的で静態的な分析アプローチをミルズやグールドナーから批判される。

もう一つ感じたのは、老人は理論構築するのか、といういささか変わった問題意識である。これは、ぼくの個人的な関心から、先生の話を聞いて思ったにすぎないのだが、理論を含む文明を形成する主体の年齢に注目したとき、たとえば、キリスト教文明は、若者の文明とは言えまいか。どういうことかというと、社会的世界・文化的世界と自然的世界とが明確に区別して把握されているからである。そこにある感覚は、人間は自然とは異なり、自然の推移は、社会的世界・文化的世界とは共振しない、というものだろう。これは、身体が若いから感受できる世界像ではなかろうか。年齢を平均寿命から逆算して、若者/老人と考えたとき、肉体が衰えると、心身と自然との共振関係は深くなる。外部自然の移ろいに無関心ではいられなくなるのだ。日本的な感性は、この意味では、老人的な感性と言えるかもしれない。俳句や短歌、近代詩によくそれが現れている。ただ、これは、世界史的に見てspecialなものだったとも言えないように思う。キリスト教以前のケルト文化や、アフリカ、北米インディアン、中南米インディオ、アジアの文化などは、自然と人間が相互に浸透したところに成り立っているとも言えるのではなかろうか。

ルカーチ、マンハイム、マリノフスキー、エリアス、ズナニェツキの晩年の理論構築に興味を覚える。




湯豆腐やあをぞらながら松の声
   「俳句」平成九年一月

■「松の声」という言葉を知った。松風の音。松籟、松韻とも。この湯豆腐は、どこかの料亭で食しているのであろうか。この俳句からは、どことなく、命の根源的な寂しさのようなものを感じて惹かれた。



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飴山實を読む(167)

■旧暦3月4日、土曜日、、土用の入り

(写真)無題

朝、起きたら雪が降っていた。びっくりした。今日は立夏の18日前の「春の土用の入り」である! 雪。先日、英語俳句をある雑誌に投稿したのだが、すべて没だった。いささか、めげた。そして、にわかに腹が立ってきた。




寒卵影あるごとくなきごとく
  俳句平成九年一月

■寒卵の把握として、見事というほかはない。卵の周りの時間の経過まで見えてくる。



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