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一日一句(1299)



(桶川市若宮 2015年4月28日)






道草の空は大空春の道






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石塚省二著『ポストモダン状況論』追悼書評文(埼玉新聞2015年3月30日)



(桶川市若宮一丁目 2015年4月28日)



3月30日付埼玉新聞の文化面に石塚先生の『ポストモダン状況論』の追悼書評が掲載されました。

石塚省二著「ポストモダン状況論」を読む/社会的存在の根源問う/所有、領土、権力を切り口に/P2枚
ハンガリーの哲学者ルカーチの研究で知られ、公開講座「ルカーチの存在論」を24年間主宰してきた社会哲学者の石塚省二さんが昨年5月に63歳で亡くなった。公開講座のついては本紙文化面(2011年5月23日付)でも紹介した。メディアに登場することはなかったが、現代を高度情報化と高度消費化を核とした新たな時代であるという「ポストモダン状況論」を早くから提唱し現代の在り方を鋭く問うてきた。昨年4月に刊行し遺作となった著書「ポストモダン状況論」(礫川)を題材に、石塚さんの考えていたことついて、講座受講生でさいたま市在住の詩人・翻訳家の尾内達也さんに寄稿してもらった。

優れた哲学者と詩人には、共通点がある。危険であることだ。世界的な社会哲学者の石塚省二は危険な哲学者だった。所有・領土・権力といったわれわれの生きている近代世界を構成する概念の非原理性(その存在をそれ自体から根拠づけることはできない)を暴きだすことによって、現存社会体制を支配する者たち、その利権に与る者たちにとって、危険でありつづけたのである。

それは68年パリ五月革命や現存社会主義の崩壊、現存資本主義の崩壊(2008年9月15日のリーマンショック)、福島原発事故といった近代の終焉を告げる社会的現実と格闘する理論的実践の中で行われた。

理論的実践とは、社会的存在をその起源にさかのぼって思索し、その再生産と最新形態を理論的に明らかにすることである。この社会的存在の最新形態を読み解く「理論装置」が、遺作となった「ポストモダン状況論」である。本書の副題は、「現代社会(2008・9・15リーマンショック 2011・3・11福島以降)の基礎理論」である。

現代社会を理論化する上で、リーマンショックと福島原発事故が、メルクマールになると考えていたことがわかる。実際、昨年7月、横浜で開催された世界社会学会議では、石塚は2つの特別セッション「フクシマ以降の社会学理論と調査」と「近・現代社会学の起源」を予定していた。惜しくも、石塚急逝のため、「フクシマ以降の社会学理論と調査」は中止になった。このセッションで石塚は「フクシマ」の声を世界へ届けることを意図したのである。

本書のテーマは、近代の終焉でありポストモダン状況である。ポストモダン状況論は、20年来、石塚が展開してきたもので、19世紀産業革命期のヨーロッパに起源をもつ近代的世界像が、全面的に崩壊したという問題意識に端を発している。

全面的崩壊は、<意味喪失><自由喪失>という2つのパラドックスの中に読みとれるが、石塚は、福島原発事故の分析に基づき、このパラドックスの根底には、「放射線被曝」に代表されるような、<自然喪失>が存在すると洞察する。

石塚の理論的実践は原理的批判と一体である。原理的批判とは「社会的存在の原理的根拠を問題にする」ということである。石塚は、権力・所有・領土の解明を社会哲学の実践的な課題としてきた。権力も所有も領土も、原理的に根拠づけることはできない。だからこそ「所有」には、力を用いた防衛が伴う。所有の主体が国家である「領土問題」に、それは端的に現われている。

石塚は、近代社会の「人類が自然を征服し制御する」という理想には、権力・所有・領土の概念が前提されていると指摘し、3・11の世界史的意義は、近代資本主義社会が、非原理のまま、科学技術文明社会を発展させ、人々がその奴隷と化したことを、明らかにしたことだと述べている。 したがって、原理的批判の目的は、所有、領土、権力といった人為的秩序の非原理性を明らかにし、これらを自然的秩序へ理論的に還元することだとしている。

石塚の社会実践の柱が、24年続いた公開講座「ルカーチの存在論」である。昨年5月の石塚の急逝後も新しい装いの下、受講生を中心に、25周年を迎えることになった。長い間、無償で種を蒔き続けた石塚の実践を見て、「何も起こらないということはありえないし、あってはならないだろう」との思いが、受講者たちに芽生えたからである。

(埼玉新聞2015年3月30日)
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第2回銀河朗読会



(柏市旭町一丁目 2015年4月28日)


第2回銀河朗読会を開催します。連休のひとときを詩とともに。


5月2日(土)4:00pm-5:00pm

会費:1500円(珈琲・紅茶付き)

会場:恵比寿カルフールCルーム

アクセス>>>

テーマ:近代の終焉を生きる

尾内達也(詩人・俳人)亜久津歩(詩人)
長尾高弘(詩人)

パート1
自作詩朗読
亜久津歩
尾内達也
作品感想

休憩 5分

パート2
杉本真維子さんを読む
尾内達也
亜久津歩

パート3
追悼 渡辺洋さん
長尾高弘:渡辺洋さんを語る
messages from his friends
渡辺さんの詩の朗読
尾内達也
長尾高弘

休憩5分

最後の朗読
ロミー・リーの最新詩集から
尾内達也

オープンマイクおよび全体作品感想
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一日一句(1298)



(さいたま市見沼区堀崎町 2015年4月12日)






鉄棒は鉄の匂ひや春の暮






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一日一句(1297)



(板橋区成増 2015年3月30日)






春の灯に寂しきものはいのちかな






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一日一句(1296)



(さいたま市見沼区 2015年4月12日)






蜆汁俺より底に生くるやつ






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一日一句(1295)



(板橋区成増 2015年3月30日)






春色の街やかすかな胃の重み






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講演会のお知らせ




公開講座「ルカーチの存在論」25周年では、
春の恒例キックオフ集会を行います。

気軽にご参加ください。
(キックオフ集会(4 月 18 日土曜日 午後 2 時-5 時
かつしかシンフォニーヒルズ 会議室「メヌエット」)

「問われるジャーナリズムのこれから―市民活動がメディアを支える」

講演者:鈴木賀津彦(東京新聞読者応答室室長)

※ 参加費無料

※ 講演のあと、自由な意見交換を行います

※ 5時すぎからは青砥のイタリアン「ノンナ」にて、懇親会(参加自由)

※ アクセス
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一日一句(1294)



(我孫子市我孫子一丁目 2015年4月14日)






春雨は子ども心をゆらしけり






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一日一句(1293)



(さいたま市見沼区 2015年4月12日)






殺さるる夢見のあとの櫻かな






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