goo

一茶を読む:七番日記(56)


■旧暦7月1日、、新月

(写真)ランチョン

今日は、朝の4時ごろ大きな地震があった。たまたま起きていたが、朝から疲れた。午前中、頭が働かず、ぼーっとする。午後、掃除してから、いつもの喫茶店に出かける。翻訳詩の原稿を推敲する。まあまあ、日本語らしくなってきたが、まだ、不満が残る。隣のカップルが煙草を吸い始めたので早々に退散する。



門先や掌程の田も青む   文化十年

■「掌程」という比喩も面白いが、上5の取合せで、家のすぐ前の田の情景が描がかれて、視線が門からすぐ先の田へと移るようになっている。この点、参考になるが、今なら、どういう上5をつけるだろうか。意外に難しく工夫の余地があるように思えた。



Sound and Vision

もう一度貼り付けておく。多くの人に観ていただきたい。Youtubeの画像が削除されたら、次の衆議院テレビのビデオライブラリーで観ることができる。

開会日:2011年7月27日~2011年7月27日、会議名:厚生労働委員会、発言者名:児玉龍彦














コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一茶を読む:七番日記(55)


■旧暦6月30日、土曜日、

(写真)夜の街の向日葵

今日は、増俳15周年の記念句会だった。ウェブでは知っていてもリアルでは初めての人や、お久しぶりの人々と会う。清水哲男さんとは2年ぶり。哲男さんと昶さんの兄弟からは、ウェブ等を通じてさまざまな恩恵をこうむっているが、一番、勉強になるのは、二人の「リベラル」さである。神保町も久しぶりだった。二次会に行きがてら、古本のラックをのぞいていたら、面白そうな本が目について困った。今度、ゆっくり古本屋巡りをしよう。

『孤独のグルメ』(久住昌之原作谷口ジロー作画)読了。さすがに面白い。いい味出しているのである。巻末の久住昌之氏自身による長いあとがきも笑わせながらも読ませる。2000年に出て、2009年には29刷! である。だが、2011年の3.11以降、このコミックを読むと、まるで、失われたユートピアを見るような気分になってくる。食の放射能汚染。魚も肉も野菜も水も!

対訳詩歌集『百葉集』(竹林館)が出た。これは外国語と日本語を対照させた18人のアンソロジーだが、ぼくも、ロミーとの対話の中で作ったドイツ語の詩と英語の詩で参加させてもらっている。ご興味のある方は、ご一読を。



かくれ家やあなた任せの稲の花   文化十年

■「あなた任せ」はよく知られているように、熱心な浄土真宗門徒だった一茶にとっては、阿弥陀仏だが、晩年になるほど、他力本願志向が強くなる。この句に惹かれたのは、「かくれ家や」という上5の取合せが、面白かったのである。「かくれ家」は、自分のすまいと関連があるのではなかろうか。



Sound and Vision

まだの方もいるかもしれないので、この映像を貼っておきたい。政治家の鈍感さと科学者の奢りは、どこかで、通じている。ここに出てくる児玉先生は、内科医。弱い人に寄り添ってきたことがよくわかる。











コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(184)






底抜けて朝顔の空昇りゆく





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(183)






軽トラのドア開け放つ三尺寝





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アンソロジー詩集『命が危ない 311人集』


■旧暦6月28日、水曜日、

(写真)廃墟の空

東日本大震災、原発問題。いまだに、問題は収束の兆しを見せない。直接的な被災者に加え、「潜在被災者」の数は膨大な数に上るだろう。詩人は、いつも時代も、カナリアだった。時代の危機に己の危機を共鳴させて、詩を書いてきた。だが、3.11はあまりにも大きく、あまりにも深い。まるで、ブラックホールのように。言葉は、なにを書いても、届かない。沈黙だけが、唯一の詩であるかのように。真白な紙を、これが己の詩だと言って叩きつけたい衝動にも駆られるではないか。われわれは、どこにいるのか。どこまで来てしまったのか。われわれとは、そもそも、どんな存在なのか。沈黙のこちら側は、いつも大雪である。311人の詩人が、真夏の雪を歌う。ご一読あれ。

アンソロジー詩集『命が危ない 311人集』(コールサック社)7月28日発売。2,100円




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(182)






太陽の子らが食みたる西瓜かな





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(181)






蜩や腰痛うづくみその坂





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一茶を読む:七番日記(54)


■旧暦6月25日、月曜日、

(写真)夏の門

今日は休日だったが、腰痛でなにもできなかった。そもそも、机に座ることが苦痛である。ベッドに横になっていると、起きる時に激痛が走る。骨に異常はないことはわかっているから、安静にしていれば、良くなるはずだが、座りっぱなし、立ちっぱなしの仕事が、その条件を作らせない。一週間も、締め切りをすぎた原稿があるのだが、腰痛で、考えがまとまらない。明日にしよう。谷口ジローを読んで寝るのである。



蚊いぶしもなぐさみなるひとり哉   文化十年

■「ひとり哉」の響きが痛切で惹かれる。こうした句は、しみったれているといって、とんちんかんな嫌い方をする向きもあるけれど、孤独の深さは、救済の深さなのである。文学の本質的なところに、自己救済、一人宗教があり、それはそのまま、ひとが類的存在であるがゆえに他者を救済する可能性を開く。だが、こうした孤独な人は、現実に相手にしたときには、なかなか、大変だろうなとは思う。他者との距離感が狂っている場合が多いし、相互認識に大きな開きがあることが多いから。これは、まさに、自戒を込めて言うのであるが...。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(180)






河童忌や腰痛うづく昼下がり





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一茶を読む:七番日記(53)


■旧暦6月24日、日曜日、、河童忌

(写真)立ち葵

外出から戻ると、うちの女性軍がはじけている。聞くと、今日はうち居酒屋なのだという。沖縄のオリオンビールが決め手になったようである。オリオンビールは、沖縄で生産しているものと、アサヒビールがOEM生産しているものの2種類ある。近くに沖縄物産店があり、沖縄オリジナルが入手できるのである。やはり、OEMより美味い。ビールは、硝子のジョッキから、陶器のグラスに替えて、いっそう美味になった。陶器で飲む方が美味しい。注ぐと、すぐに冷える。陶器は、旨みを上手く引き出すのだろうか。

谷口ジローを読み始める。面白そうなコミックばかりで、何から読むべきか、迷うのだが、ブックオフで、店員のお兄さんが見つけ出してくれた『孤独のグルメ』(久住昌之原作)から、読んでいる。やはり、食いしん坊なのだろうな、自分W。店の名前が安易に載っていないところがいいところなのだろう。創作でもいいのだし。



寝ぼけたかばか時鳥ばか烏   文化十年

■一読笑った。子どもが友だちに悪口を言っているみたいで、笑える。このとき、時鳥も烏も、親しみ深い存在として、われわれの前に現れる。こういう感覚は、惹かれる。いくら、こざかしい事を言ってみても、所詮、人間も馬鹿なのである。原発問題を見れば明らかである。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ