Tomixの73系南武線、目玉のクモハ73600もモハ72500も南ヒナにいたし、103系が投入開始された昭和49年以前ならほぼそのまま横浜線に流用できるかな、と思っていたのですが、当時の記録を調べると、基本的に4連はMc+T+T+M’c、あるいはMc+T+M+T’c、付属3連はMc+T+M’c、あるいはMc+M+T'cとなるので、クハ79の奇数車は極端に少なく、よってクモハ73偶数車が入る4連はMc+T+T+M’cになるので、別途もう1輌ずつクモハ73とサハ78を調達する必要が出てきます。サハ78はスカ色旧製品の組み換えで正調御殿場線にする際に余ったのを塗り替えれば、と思ったのですが、クモハは鶴見線のモハ72970(103系車体の試作アコモ車)組み込み3連をやろうかと用意していた全金車の単品を引っ張ってくると、今度はクハ79920が余るので、今回は素直に南武線として少し弄って遊ぼうかな、と。
因みに昭和49年の横浜線103系一部置き換え後は、他線区への転用を視野に入れて車齢の若い状態の良い車から捻出したので、ここでクハ79920やモハ72500とかは大半が運用離脱し、横浜線には相対的に旧いサハ78が多く残されたので、中間モハの編成は僅かになってしまいました。で、捻出された車輛はと言うと、皆さんご存じの通り、一旦久里浜に集められましたが、不幸なことに留置中に集中豪雨が襲い、冠水したため、転用は叶うことなく全車廃車となりました。まあ、仮に初期車が多かった可部線や仙石線あたりに転属したとしても、国鉄民営化までは持たなかったと思うので、当時の国鉄が費用対効果を考え修理するのは無駄と判断したのも仕方ない事でしょう。その代わりに残されたボロ車で我慢しなくてはならなかった横浜線沿線民にとっては迷惑な話でしたけど。
で、御殿場線はノーマルのサハ78の代わりにこれを組んで入れるつもりで何年も前に材料は集めてあるのですが、未着手のまま。元広島のWC付サハ78、末期の旧国の常で、1輌として客扉が全部揃った車輛が無いので、どこかで差し替えが必要になります。なので、今回交換用ドアセットも用意。さて、いつ着手するのか…