1989年4月、大学に入って一年次必修の法学概論の講義は日本法史の杉山晴康先生がご担当だった。先生のきっぷの良い江戸っ子べらんめぇ調の名調子が時折耳奥に蘇る。
杉山 晴康氏(すぎやま・はるやす=早稲田大名誉教授、日本法史)2015年10月12日14時50分、老衰のため神奈川県横浜市内の病院で死去、94歳。東京都出身。通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日午前11時から東京都大田区南雪谷2の1の7、公益社雪谷会館で。喪主は次男幸隆(ゆきたか)氏。 東京新聞
新聞の訃音記事から当時の先生のご年齢を推察すると、68歳ぐらいでいらしたということに少々驚く。先生は、法律は守ろうとする意識がなければそもそも存在する意味を発揮できないというお話しの時、あれは私が法学部長の頃でしたが、ラグビー部出身の某政治家が私に面会を求めて来ましてね、息子を早稲田に入れたいのだが、というお話でした。それでしたら御子息が試験を受けられて正々堂々と合格されたら入れます、ときっぱりお答えしました。カッカッカッ。先生のそのお声が、時折耳奥に懐かしく蘇る。
杉山 晴康氏(すぎやま・はるやす=早稲田大名誉教授、日本法史)2015年10月12日14時50分、老衰のため神奈川県横浜市内の病院で死去、94歳。東京都出身。通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日午前11時から東京都大田区南雪谷2の1の7、公益社雪谷会館で。喪主は次男幸隆(ゆきたか)氏。 東京新聞
新聞の訃音記事から当時の先生のご年齢を推察すると、68歳ぐらいでいらしたということに少々驚く。先生は、法律は守ろうとする意識がなければそもそも存在する意味を発揮できないというお話しの時、あれは私が法学部長の頃でしたが、ラグビー部出身の某政治家が私に面会を求めて来ましてね、息子を早稲田に入れたいのだが、というお話でした。それでしたら御子息が試験を受けられて正々堂々と合格されたら入れます、ときっぱりお答えしました。カッカッカッ。先生のそのお声が、時折耳奥に懐かしく蘇る。