駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

患者に教えられる

2015年08月11日 | 診療

           

  A氏は77才の後期高齢者で悠々自適、あれこれ趣味に忙しい人だ。東北の宮城と山形の県境に別荘を持っておられる。なんでそんな遠い所にと思うのだが、理由は聞いていない。あんまり暑いので七月末に避暑に出かけられたのだが、出かける前からなんとなく体調に不具合を感じておられたようだ。別荘に着いた翌日悪寒がして夜38Cの熱が出てきた。次の日から少し咳が出て、食事がまずくなった。風邪かなと薬局で風邪薬を求め様子を見るのが普通なのだが、肺炎のような気がするとわざわざ町に出て地元の医者に掛かった。風邪でしょうと薬が出そうになったが、胸の写真を希望して撮って貰うと五百円玉くらいの影が左上肺野に認められ、確かに肺炎の始まりかも知れませんねと解熱剤と抗菌剤を処方してくれたそうだ。

「そいでね、解熱剤を飲むと熱は下がるんだが、半日もすると又熱が出てくるんだよ。ちっとも良くなった感じがしない。こいつはおかしいと先生に診て貰おうと予定を切り上げて新幹線で帰ってきたよ」、と言われる。どんなものかなと診察をすると背中の左下に小さい断続音が聞こえるが、肺炎の音とはちょっと違うようだ。今は熱も36.8Cと下がっており元気そうだが、確かに風邪の経過には合わない、ご本人も肺炎だと言っておられることだしと胸部写真を撮ると、左上肺野が真っ白だ。あれあれこれは大葉性肺炎だと、直ぐ信頼するN病院呼吸器科部長のM先生に紹介状を書いたことだ。「なんで、肺炎だとわかりましたか?」。と聞くと「何だかおかしいんだよ。胸が重いような気がした」と言われる。そうかなあ、よく八日も前から肺炎とわかったものだと、感心してしまった。

 A氏は一流大学の工学部を出た技術者で、そうした素養から観察分析して医者顔負けの診断ができたのだろうか。まじめな話、肺炎だと喩え元気そうでも77才だとちょっとした手違いで命を落とすこともある。今なら入院すれば95%大丈夫だ。

 こうして患者さんに教えられることも希ならずある。勿論、惑わされることも多く臨床は難しい。

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世論に力あり

2015年08月10日 | 小考

       

 一昨日昨日は布団を借りるほどの忙しさ賑やかさで、残念ながらテニスもサッカーも試合を見ることが出来なかった。錦織は実力を証明したようだし、ハリルジャパンは課題を浮き彫りにしたようだ。錦織にもハリルホジッチにも等しく、心からの声援を送りたい。錦織には勢いを付けながらも冷静沈着に全米オープンに対して欲しい。ハリルホジッチにはめげることなく立ち上がって次の一歩を踏み出して欲しい。

 ハリルジャパンの躓きには複数の要因が絡んでおり、監督に責任はあるとしても大きなものではない。課題を分析し、梃子入れをしていけると見ている。セルジオとか言う悪口しか言えない批評家の言葉など全く気にすることはない。

 目先への対応と策略を重視する安倍政権は、安保法案が成立するまでは息を潜め、世論を刺激しないように棚上げ音無し作戦を取るようだ。暴言議員には言いたいことは法案が成立してから言えばいいと失言常連幹部から指導がされている。

 たとえ目くらましとしても言質を得ることは大きい。世論に力ありと感じる。あまりにも辛く語り得なかった言葉をなかったことのようにやり過ごすことは、平和を享受する人間に許されないと思う。自分の都合で解釈などできない。失われた命の数を数えて、過去の歴史を受け止めることが今を生きる自分の努めと感じている。

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立秋を感じさせる日射し

2015年08月09日 | 身辺記

               

 昨日は立秋だった。気のせいでもないと思うが陽が陰るとどことなく涼しくなった気がする。ジリジリと暑い日中の日射しにも秋の気配を微かにではあるが感じた。

 私は移ろう季節の中で夏に一番過ぎゆく時を感じる。恐らくそれは盛りを過ぎるという感じを伴うからだと思う。お盆で墓参りに行くことも関係があるかもしれない。

 私は活字中毒だと思っていたが、上には上が数多あり、どうも世間の標準からは重症とは言えないようだ。購入する本の数は、軽症ではなく中等症のようだ。購入した本の四、五冊に一冊も読めていない。本当に読了と言えるのは十冊に一冊程度で、筍のように積み上がって背丈を伸ばす本を時折横目で睨んで仕舞ったと思うことも多い。

 なぜ分かったのか出版社から新潮、集英社、小学館、出版ニュース・・・から毎月、こんな面白い本が「出来ましたと小冊子を送ってくる。様々な批評、読後感想文、著者の解説文・・・が載っており、あれも読みたいこれも読みたい気持ちになるのだが、都合の良いことに題名や著者名を直ぐ忘れるので、実際に購入に及ぶのは気になった十冊の内一冊程度だ。もう一つ本を購入する時参考にするのはよく読むブログでの書評だ。こちらの方が外れが少ないと思う。

 視力も落ち根気もなくなったが読書を楽しむことはできる。あと何冊くらいかと限りが見えるのでかえって、楽しみのが深まったような気もする。「忘れられた巨人」を手にするか思案中。

 

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取り繕いに聞こえてしまう言葉

2015年08月08日 | 世の中

          

 言うまいと思えど今年の夏の暑さかな。患者A氏の挨拶。

 踏襲するというのはやはり目くらましだったのが明らかになるようだ。反対が出にくいように間際まで概ね踏襲とまやかすいつもの策略だった。わかってはいたが、なぜ反対する人の方が多いのに安陪さんの野望を食い止めることが出来ないのだろう。策略を巡らす権力者と追随する一部大手マスコミは、口先の言葉で何とでもできると思っているのだろうか。非核三原則、ああそれは長崎の方に入れるから、そんなことは120%あり得ない・・言葉だけに聞こえてしまう。

 憎しみが憎しみを生む。俺は悪くない、悪いのは奴らだという人はどの国にも居る。その敵対の巻き添えを食うのはお断りしたい。中国もアメリカも安倍政権の行方を警戒しているのは明らかで、安陪さんの手の内を最もよく読んでいるのは米中ソかもしれない。

 安陪談話の英訳が直ぐ出るそうだが、米中ソのインテリジェンスは勿論日本語の方を手に取り紙背の意図を読もうとするだろう。尤も、その前に盗聴で筒抜けらしいが。

 戦後七十年の様々な思いに冷や水を浴びせる自画自賛の人、一体どういうこと。平和というのはお題目に過ぎないのだろうか。

 策略で得られる目的は歪んでしまう。

 

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他意はないなら何意があるのだろうか

2015年08月07日 | 人生

              

 戦後一号車に乗っている私に戦争の記憶は無いけれども、巡り来る夏空の季節に思うことはある。

 戦後七十年の首相談話では深く反省は表明するが謝罪は表明しない模様だ。自分のことは反省できるが相手のことは反省できない。相手に反省するとは言えない。反省だけだと今度は負け戦はやらないということかと、邪推する国も出てくるだろう。

 被爆者代表との会見では非核三原則を堅持しつつ恒久平和の実現に努力すると言いながら、原爆死没者慰霊式平和記念式の挨拶では非核三原則に触れなかった。歴代の首相が明言してきたのに、何故今回は触れなかったと問われ、他意はないとかわす。果たして本当だろうか、注視している国は中谷防衛大臣の答弁に符合していると読むだろう。

 一連の表現には本音を分かりにくして、表向きは抵抗の少ない形にして批判をかわす狙いがあると読める。これは邪推ではないと思う。安倍首相の魂胆野望と優れた戦略能力は周知のことになってきている。いかに優れた戦略を用いても、繰り返されると慣れて意図が読めるようになってしまうと申し上げねばならない。

 戦略や策略は読まれてしまえば逆効果で、警戒され信頼を醸成するのが難しくなる。国内に於いても正直に本音を明かさなければ深まる論議は不可能で、木に竹を繋いだすれ違いの質疑が繰り返されるだけで、最後は数で押し切る形になる。元よりそれが読み込み済みで、録音の繰り返しのような説明でわかって貰えたと自己評価してゆくのが他意でなく本意なのだろう。

 安陪首相のやろうとしていることには賛成する部分も多いのだが、そのやり方にはとても賛成できない。

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