戦後一号車に乗っている私に戦争の記憶は無いけれども、巡り来る夏空の季節に思うことはある。
戦後七十年の首相談話では深く反省は表明するが謝罪は表明しない模様だ。自分のことは反省できるが相手のことは反省できない。相手に反省するとは言えない。反省だけだと今度は負け戦はやらないということかと、邪推する国も出てくるだろう。
被爆者代表との会見では非核三原則を堅持しつつ恒久平和の実現に努力すると言いながら、原爆死没者慰霊式平和記念式の挨拶では非核三原則に触れなかった。歴代の首相が明言してきたのに、何故今回は触れなかったと問われ、他意はないとかわす。果たして本当だろうか、注視している国は中谷防衛大臣の答弁に符合していると読むだろう。
一連の表現には本音を分かりにくして、表向きは抵抗の少ない形にして批判をかわす狙いがあると読める。これは邪推ではないと思う。安倍首相の魂胆野望と優れた戦略能力は周知のことになってきている。いかに優れた戦略を用いても、繰り返されると慣れて意図が読めるようになってしまうと申し上げねばならない。
戦略や策略は読まれてしまえば逆効果で、警戒され信頼を醸成するのが難しくなる。国内に於いても正直に本音を明かさなければ深まる論議は不可能で、木に竹を繋いだすれ違いの質疑が繰り返されるだけで、最後は数で押し切る形になる。元よりそれが読み込み済みで、録音の繰り返しのような説明でわかって貰えたと自己評価してゆくのが他意でなく本意なのだろう。
安陪首相のやろうとしていることには賛成する部分も多いのだが、そのやり方にはとても賛成できない。