駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

よく知らないことには結論を保留

2015年08月21日 | 町医者診言

                      

 まだまだ雲が多いけれども、今朝は日差しがあった。いつもと同じ時間に出掛けたのだが、定時の列車に乗り遅れてしまった。歩くのが僅かに遅かったようだ。四連休で一キロ太ったせいだろうか。今日から間食を控えねばなるまい。

 知人友人と会食をする機会がある。しばしば活発な議論があるのだが、今更ながら気付いたことがある。それは当たり前と言われれば、当たり前なのかもしれないが、殆どの人がどんな話題にも既に結論を持っているということだ。私は医師会では臆面もなくいろいろ質問をしたので、煙たがられた。なぜいろいろ質問したかというと、よくわからないからで「それはどういうことか」とか「どうしてそうなるのか」などと追及して執行部に嫌がられた。

 どうも多くの人はさほどあるいは殆ど知識がないことでも、良い悪いあるいは賛成反対の結論を持っているらしい。しかも、異なる主張を嫌う。まあ大人だから、喧嘩になることは避けるのだが、よく知りもしないのにと思うこともある。結論的なものを持っていても、論理あるいは新知見で考えを変えて行ければよいのだが、以外に難しい。

 世の中というか社会は複雑多様で、並みの頭では知識を得て理解出来る範囲は限られている。よほど優れた脳でも、万遍なく全ては不可能だ。幸い喫緊の課題は少なく、その都度調べたり、聞いたりすれば、当たるとも遠からずの見通しや結論が得られるはずだ。よく知らないことには結論を保留し、柔らかく対応するのが成熟した人間の知恵と思う。中には自分の都合の良いように言い回す策略家も居るから、一昨日と言うことが微妙に違うような人の説明には眉に唾を付けるのをお勧めする。

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社会の医者は無理な相談か

2015年08月20日 | 小考

 

 誤解される恐れがあるので、ちょっと書くのをためらうところもあるが、多くの人の疑問でもあろうと書いてみる。医学医療の進歩がめざましいのだが、医学医療は広範囲で、なかなか一人では全体を把握しきれなくなっている。ご存じのように診療科は十数科に分かれ、その中は更に細分化してきている。。自分が専門とする診療科だけでも最前線の進歩について行くのは容易ではなく、私のような高齢医師も遅れまいと短時間ではあるが毎日勉強している。ただ進歩には偏りがあり、思ったほど進まない分野もあると感じている。

 それは単に私の知識不足や偏見かも知れないが精神医学の方面だ。分裂病も統合失調症と名前が変わり、薬物の使用法なども変化してきて、随分社会復帰も進んでいるようだが、社会の心の病には十分対応できていないと感じる。恐らく精神科医の方は過大あるいは筋違いの期待とお答えになるだろう。肺結核が減ったようには脳出血が減ったようには社会の心の病には対応出来ないようだ。それだけ難しく大きな問題なのかも知れない。

 悪口のように聞こえると困るのだがと、精神科の医師は他の科の医師と少し感じが違う。医師も同業者で会合を開いたり飲み食いする機会が多いのだが、精神科の医師はそうした会に出て来られない。希にお会いする機会があり、お話ししても禅問答というか瓢箪鯰というか、話が噛み合わずとらえどころがなく、なんとなくはぐらかされた感じがすることが多い。勿論、中には我々俗物?とも親しく話をしてくれる精神科医も居られるのだが、社会の心の病への対応は難しいですねとにっこりされて終わりになる。

 そこには一般人の抱きがちな異常な?人達を排除あるいは摘出しようなどという対応の未熟さ危険さを暗に諭す気持ちがあるのかも知れない。最近は極悪非道と言うよりは卑劣陰湿な犯罪が多く、何とか出来ないものかと思うのだが、精神医学に解を求めるのは短絡的に過ぎるのだろうか。私が知らないだけである程度犯罪や犯罪すれすれのことを起こす人間の精神病理解明は出来ているのかも知れない、短兵急な応用、乱暴な適応は控えるのが賢明というのが物事をよく考えられる精神科の判断なのだろう。

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招いていない住人

2015年08月19日 | 自然

  

 この三日間は雨と曇天で、いくらか涼しい。人間は我が儘なもので、三日も続くと暑くても青空が見たくなる。冬曇天が続く北陸の人達はきっと暑くても夏空が好きだろうと、連想が働く。

 以前はよく女房の金切り声が聞こえたが、この頃は慣れたようで大声は出ない。これから二ヶ月ほどは怪しげな住人がしばしば姿を現す時期だ。土地を購入してローンで建てた自宅なので、自分の家と思っていたのだが、いつの間にかヤモリ、ムカデ、蜘蛛・・・ゴキブリなどが無断で我が物顔に住んで?居るらしい。一時、鼠も居たような気がするが幸いこの頃は足音がしない。庭でアオダイショウを見かけたことがあるが、鼠を食べに来たのかも知れない。まあ、毒蛇でなければ歓迎はしないが大目に見たい。

 好きではないがヤモリ、蜘蛛やムカデ(大きいのは困る)は家賃を払わないが許容している。ゴキブリだけはどうしても好きになれず、殺虫剤をかけたり、新聞紙で叩き潰しするのだが、逃げ足が速く、逃げられてしまうことが多い。世に昆虫好きは多いがゴキブリを集めている人は知らない。大の嫌われ者だが、それだけ生命力は強いようで、今も主婦やシェフに目の敵されながら世界中のキッチンを走り回っている。尤もそのゴキブリまでも食べてしまう人達が中国南部には居るらしい。凄い、五十メートルの鉄塔に登れる人と同じように尊敬してしまう。

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難しい癌患者の在宅医療

2015年08月18日 | 医療

              

 毎年五名から十名を在宅で看取っている。死亡診断書の平均年齢は八十代後半だ。九十代の方も多いのだが、末期癌患者さんが二割ぐらい居られ、そうした患者さんには七十代の方も多く、中には六十代の方も居られるので、平均年齢が九十歳を超すことはない。

 厚労省は自宅で最期をという国民の希望?を追い風に、在宅医療に移行する方向で動いているが、実態は複雑で患者さん個々で随分事情は違う。正直なところこの動きの一番の原動力は医療費の削減にあるのだろうと思う。

 確かに住み慣れたところで家族に看取られ眠るように死ぬことが出来れば理想的かも知れないが、それには幾つかの条件が整う必要があり、実感では四、五人に一人が現実だ。

 病気の種類で必要とされる介護力が異なるし、亡くなるまでの期間も異なる。家庭の事情によって介護力に大きな差が出てくる。それに、実際に最期が見えてくると心境も変わることもある。外国の事情には詳しくないが、日本では家族に迷惑を掛けたくないという高齢者も多く、自ら自宅よりも老人施設や老人病院がよいと言い出される方も居られる。家庭の都合で寝たきりになった親を生活保護にして施設に入れられる家族もある。

 病院から本人家族の希望もあり、自宅で最期をと退院される末期癌の患者さんを年に数名受け取るが、最期まで自宅で診ることが出来るのは六割くらいで、四割くらいの患者さんは病院に戻られ最期の一週間を過ごされることになる。末期癌と言っても六七十代の患者さんは生命力が残っていて、眠るようにとは行かないこともあり、家族が耐えられなくなったり異論が出たりするのだ。在宅では家族の介護力がないと何かと難しい事も多い。何とか頑張って最期を家で迎えられたような場合は大抵娘さんかお嫁さんの大きな献身が背後にある。勿論、老夫婦でも介護される方がお元気な場合には、最期まで在宅で過ごせることも多い。

 在宅医療は訪問看護ケアマネ病院診療所の連携・・・が整ってきてはいるが、やはり個々の患者家庭で実態には大きな幅があり、とても一言二言で捉えられるものではない。

 盆休み前に、娘さんが遠隔地に住んで居られ、介護する妻に認知がある末期肺癌のKさんを病院に戻したのだが、14日に亡くなったと病院からFaxが届いていた。

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鰻に聞いても

2015年08月17日 | 旨い物

               

 寿司、蕎麦、鰻は和食の極みで、これを旨いと食べられる幸せを感謝したい。土用の丑の日に鰻を食べ損ねたので、久し振りに噂の名店まで1時間ほどドライブして行ってきた。

 ちょっと分かりにくい場所で、民家を改造したような店ではあったが、噂に違わず美味しかった。予約した時に「鰻重でいいですか」と聞かれたので「はい」と答えてあり、メニューは見なかったのでお値段を知らなかった。食べ終わり先に車で待っていると、支払いを済ませ助手席に座った女房が開口一番「いいお値段よ」という。聞けば二人で八千円と言う。えっと驚いてしまった。時々行く市内の鰻Kが確か二千八百円くらいだったと思う。それでも高いと思っていたのだが、その上を行くお値段でびっくりした。これでは「またどうぞ」と挨拶されたのだが、次は来年になりそうだ。多くても年に二回が良いところだろう。

 この調子では旨いと評判の店ではいずれ鰻重五千円という日が来るだろう。新幹線の中で暴力団の暗躍する養鰻業という記事を見たが、どうも困ったことになってきている。絶滅危惧種だから保護はやむを得ないとしても、稚魚のシラスウナギの漁獲高が闇の中で、取材に行っても一寸それは教えられないどころか取材そのものが出来ない所も多いようで、保護しようとしても実態が不明で管理できないらしい。

 私が子供の頃は鰻丼が二百五十円くらいだったと記憶する。ラーメンは七十円くらいだった。ラーメンも何だか具の種類が増えて高くなったから、値上がり率が飛び抜けているわけではないかも知れないが、このままでは鰻の蒲焼きも絶滅する可能性があると感じた。

 落語でぬるぬる滑る鰻を捕まえきれず、店から出て入ってしまう新米職人が何処へ行くと聞かれて、鰻に聞いてくれというのがあったと記憶するが密漁が横行する現状では、これからどうなるか鰻にも分かるまい。

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