駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

引導の渡し方

2015年05月20日 | 医療

             

 末期癌でなくても不治の病は多い。わかりやすく言うと肝腎心肺の機能不全はある程度進むと元に戻すことが出来なくなる。このうち腎臓に関しては透析という手段があり、人工的にかなりの補助が可能だし、臓器移植という手段もあるが限られた適応でしかも必ず上手くゆく訳ではないし、チャンスのある人は極く一部だ。要するに臓器不全が進行し不可逆的になれば余命は限られてしまう。

 癌ほど恐ろしさが知られていないせいか、肝腎心肺の機能不全の怖さを認識している人は少ないように感ずる。そんな対応で良いのかという批判もあるだろう。しかしそれには現実的な理由もある。末期癌ほど正確には予測が難しい(末期癌でも予測が外れることは時にある)ということの他に、入退院を繰り返す内に自然に難しそうだと理解されてゆくという側面がある。私は総合病院の専門医ではないので、調子が良い時や安定期の守り役をしている。身近で話しやすいせいもあるだろうが、病院の先生よりも柔らかい言葉を期待されて色々訴えられることも多い。時には病院の先生の疑問を口にされる。慰めたり同意したりして出来るだけ耳を傾けているが、入退院を繰り返すという経過を体験されるうちに、厳しさ難しさを理解されるようで病気の話はあまりされなくなる。

 簡単に良くならないあるいはとても良くしてあげられない病態で、色々要求されると医師はつらいというかとても困る。病院の先生の中には直裁に無理治らないと退けられる人も居るようだが、掛かり付け医にはそうした対応は(私は)出来ない。柔軟に対応しながら、経過で分かって戴こうとすることが多い。

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