キップリングは東は東西は西と謳った。鶴屋南北がどんな芝居をしたか知らない。北北西に進路を取れという映画があった。君知るや南の国を私は知らない。
方位には前後左右と異なり、前後左右も無彩平板ではないかも知れないが、何某かの感興を引き起こすものがある。自分は中部地方で育ったせいか、関東関西北陸をそのまま受け入れることが出来る。人口に膾炙するこうした表現を、方位を味わいながら抵抗なく使える。東北や九州の人には方位と地域が合わないので、方位感覚抜きで関東や関西を捉えられるのであろうか。
東南アジア、西部劇、西域、極東・・の語感も元々の発生の地と他国とでは感覚が異なりそうだ。我々日本人には方位の感覚は変容しひとまとめの名前として受け入れられていると思う。
初めて訪れた東南アジアベトナムは私には東南ではなく南の国と感じられた。方位は微妙に様々な思いを引き出してくれる。北半球三十五六度の緯度に暮らす日本人には北は寒く南は暖かい感じがする。では東には西にはどんな感じがするだろう。なんとなく関東関西の地域差を東西には感じる人が多いように思う。大陸の西の端アイルランドで、大西洋に沈む夕日を見て何処か西の果て辺境を感じたのは気のせいだっただろうか。自分が住んでいるせいか、極東の日本には辺境の感じはしない。尤も、何処か世界とは隔絶された国の感じはある。方位の持つ感覚については、まだまだ様々なことが書ける気がする。北を好みながら南を嗜好する妙な自分に気が付いて、少し書いてみた。