駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

Never say never

2015年05月15日 | 政治経済

           

 これは007の題名ではない。あるいはジェームスボンドもそう思っていたかも知れないが。

 アメリカ帰りのF先生は臨床講義を英語の箴言を散りばめながら、わかりやすく展開された。お陰で四十五年経っても良く憶えている。九分九厘安全な手術でも逡巡する家族や患者さんが居る。つい説得したくて絶対大丈夫ですなどと言いたくなるものだが、決して絶対とは言うなとF先生は教えてくれた。それで何度も救われた。

 絶対に巻き込まれないなどと言い切っている人が居る。結論ありきの人なので後はどうやって説得しようかと作戦を練ったのだろうが、反論を封じ込めるためか安心感を与えるためか絶対と言うことにしたようだ。たとえ総理であっても、絶対を保証することも補償することもできない。説得するための意地悪な見方をすれば言いくるめる為の表現だろう。

 正直に二十回に一回くらいはあるいは百回に一回くらいはあるいは五百回に一回くらいはと説明するのが正確誠実だろう。そうすると百回に一回を言い募る何でも安陪反対の人達が居るのを意識したのだろうと思う。

 相手のあること、声を荒げても大声を張り上げても絶対は遠のくばかりだ。ここは集団的自衛権なしの危険性の方が何倍も大きいと訴えるのが筋だろう。

 安陪首相は優れた役者だから見得を切るのが得意で、国民にも見とれてしまう人が多いようだからこうした文言がまかり通ってゆくと観測する。

 問答無用と碌に情報も集めず自ら考えもしないで、気に入らぬ他者をなぎ倒して突っ走る人が増えればまさかということが起きてしまう

コメント
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