日曜日になると狭くなった狭い書斎で、積み上げった書籍や書類を見回して小一時間腕組みをして唸るようになった。昔は逡巡することなく、自然に手や身体が動いてそれなりに整理出来たものだが、この頃はどうしたものかと考えが巡るばかりで、いつの間にか時間が過ぎてしまう。
二十年ほど前、もう論文を書くこともないし学生時代の教科書など陳腐化しているからと大量の文献と教科書を捨てたことがあった。これは一部大失敗で、文献はなくなっても良かったのだが何度も読んだ教科書を捨てたのは馬鹿だった。アンダーラインや本の背表紙からさえ思い起こされる数多い貴重な記憶の縁を失ってしまった。
そうした苦い経験はあるが、もう二度と開くことのない雑誌など捨てて惜しくないが、折角購入したがもはや食指が動かなくなった文庫本や新書は捨てるには勿体ないし、趣味のがらくたも捨ててもいいのだけれどと、手放すのは惜しい気もすると堂々巡りになる。手を動かし始めれば、物には記憶がこびりついているから、つい手を止めて矯めす眇めつしたり、ページをめくったりし始めて作業は停滞してしまう。
いつ頃だったか断捨離という言葉をよく耳にした。そうだ断捨離ねと思いながら、遂には行く末のことに考えが及んだりする。勿論、明るい未来や将来があるわけではなく、どうやって店じまいするかということだ。
と言うわけで好天の日曜日、スパゲッティを食べに出掛けちょいと庭仕事をし、録画したNHK杯戦を鑑賞した後は、書斎で沈思黙考していた。本は居場所を変えただけで、今回はお払い箱にはならなかった。