校庭の桜は半分ほど散り、若葉とない交ぜになっていた。五分咲きは美しいが五分散りはあんまり美しくない。肌寒い日もあり割と長く持ったが、桜満開の入学式とはまいらなかったようだ。
大正十一年生まれだから、散るに何の不足もない年齢かも知れないが、今朝医院に出てきたらKさんが亡くなったというファックスが入っていた。未だ二回しか往診に行っていない。消化器系の癌で治療を拒否し自宅療養中だった。他医院に通院中だったが、歩けなくなったというので頼まれて往診に行き始めた矢先だった。血便が大量に出て、家族が驚き救急車で入院されたようだが半日ほどで亡くなられたとケアマネからの報告だった。年齢と病態からはあり得ることで驚くことはないのだが、四日前に往診に行った時は声に張りがあり元気だったので、急変という感じもして少し驚いた。声はともかくるいそうが著明で弱っておられたので、苦しみがさほどでなければと思ったことだ。
癌に限らず衰弱された末期の患者さんの予後は、それこそ五感を使って予測するのだが、時々声にだまされるというか予測を違えさせられる。あと数日のように見えても、声に張りがあると未だ頑張られそうな気がしてしまうのだ。帰りがけ「また来ますから」の返事「ありがとう」の声に力があるとまだ大丈夫と思ってしまう。
謦咳に接すると言うが、声の持つ力は姿形に劣らず奥深いものがある。