駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

同病相吠え合う

2015年04月23日 | 政治経済

                        

 午前四時ラジオ深夜便を聞きながらTさん最後の往診に行ってきた。表に出ると未明というか東の空がほんの僅かに明るくなっており、鳥の鳴き声が聞こえた。


 寝ぼけているわけではなく、申し上げたいことがある。いつまでも謝れ、何も謝ることはないとご近所同士でいがみ合いが続いている。殆ど病気ではないかと思う。困るのはこの病気にはとばっちりがあることだ。時には、とばっちり程度で済まない恐れもある。

 はっきり申し上げて、謝れと言う人達と何で謝らなきゃならんのだと言う人達は同じ性向の人達だと思う。失礼な表現かも知れないが同類なのだ。立場を変えれば、謝れという人達は何で謝らなきゃならんのだと言うだろう。なんで謝らなきゃならんのだと言う人達は謝れと言うだろう。

 広い視野で物事を捉え、寛容の心で隣人に接すれば、いがみ合いを避けることが出来ると思う。少なくとも最小限に留められよう。勿論、誰にも自分こそ正しく自分はあいつより偉いと思いたい気持ちが多少はあると思うが、それに振り回されてしまってはいがみ合いは絶えることなく、歯止めが掛からなくなれば暴力沙汰になってしまう。

 歴史はそれの繰り返しかも知れないが、人類は全く何も学んでいないわけではないと思う。

 医者が患者に信頼されるには、患者を理解するだけでは不十分で、医者が患者に理解して貰うことなしには本当の信頼は生まれない。これは長く嫌な辛い目にも会いながら患者さんを診てきた臨床医の私が身にしみて学んだことで、あるいは政治の世界でも参考になるかもしれない。

コメント (1)
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