駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

脳が疲れるようになった

2015年04月29日 | 人生

          

 額縁屋さんで絵を額に入れて貰った。中々のできあがりで良い選択だったと思う。「なによ、あの額縁屋、私にこれでいいですかなんて」と家内が不審がったが、それは請求書を見て判明した。立派な?絵に相応しい。

 遠い記憶だが中高生の頃は疲れ知らずだったような気がする。勿論、疲れることはあったと思うが疲れたなと思うまもなく直ぐ回復した。残念というかやむを得ないというか、前期高齢者になってから、脳味噌が疲れるようになった。ご想像の通り、内科医は聴診器より重い物は持たず、殆ど椅子に腰掛けたままで患者の話を聞くのが仕事なので、身体が疲れることはない。この話を聞くというのがとても疲れる。病気を考える場合は適切な質問をして言葉の端々に耳を傾け微妙な表情を見逃さず観察しなければならない。病気の症状と言うよりも愚痴の場合でも、知らん顔は出来ず、一通り聞いて「大変ですねえ」などと申し上げねばならない。

 そうすると帰宅後、いつの頃からか脳が働かなくなった。夕食を取って録画した番組や衛星放送を見ていると知らない間に寝てしまい。なんでそうなったのか皆目分からない話の続きを見ることになる。筋肉疲労は代謝物や血流を測定してある程度推測できるが、脳の方は何か適切な指標があるのだろうか。勿論、それが分かったところで、良い対策がなければ返ってがっかりするばかりで、高齢者に恩恵はない気もする。

 老人力の先駆、赤瀬川源平さんも残念なことに後期高齢者になってまもなく亡くなり、あの椎名誠までが爺むさいことを書くようになって、もう一つ老人界の展望が開けない。挙げ句の果てに超高齢の寂聴さんが、今更病気で苦しい大変などと騒いで居られるようだ。どうも年を取るというのはなかなか難しい仕業のようである。

コメント (2)
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