駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

偉大なニュージーランダー

2013年12月16日 | 学思

                    

 毎日駅前で忙しく診療をしながら、細々とした時間にあれこれ支離滅裂な十兎を追っている。物理ファンでもあり、一般向けの解説書を何冊も読んだ。残念ながら数学の素養が十分でないため、理論物理を数式から腑に落ちるように理解することは出来ない。それでも、ある程度は解説書から二十世紀初頭に起きた物理化学の革新を感知することはできる。

 青木薫さんが女性だということをつい先日知った。彼女が訳した本を何冊も読んでいたのに迂闊だった。美しき才媛と知って、おおそうだったかと額を打っている。数日前に青木さんが訳された最新作、「量子革命」を手に入れた。

 宇宙と物質を解明してきた二十世紀前半に活躍した科学者達は不思議なほど人間的魅力に溢れている。「量子革命」を少し読んで、名前は知っていたがさほど興味を持たなかった実験物理学者アーネスト・ラザフォードという人物に目を開いた。どうも科学ファンは理論家偏重になりがちだが、優れた実験物理学者なくして物理化学は前へ進まないのだ。

 ラザフォードは十九世紀にニュージーランドに生まれている。科学の進歩から取り残されたような辺境から、偉大な物理学者が出たのは不思議な気がするが、ニュージーランド由来と感じられる大らかさと包容力を備えた生まれついてのリーダーだったようだ。人間性とは無関係のように思われる科学が優れた魅力的な人物から生まれてくるのは、どうしたことだろう日本にあるいは二十一世紀にこうした人物が生まれるだろうかと、余計なことも考えた。

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独断の予測、小説永井荷風

2013年12月15日 | 

                    

 多彩な才能を秘める画伯のブログに触発され、丸善+で小島政二郎著「小説 永井荷風」を買ってきた。未だ読んでいない、悪い癖で後書きだけは読んだ。

 小島政二郎の愛読者だった私、といっても「食いしん坊」だけ、はひょっとしてここに書いてあろうことは小島政二郎自身にも言える事ではないかと、読む前から予測している。「食いしん坊」だけで知っている私を小島はどんな目で見るだろうかと思ったりする。どうも小島は実は優れたいや凄い批評眼を持っていたのでないか。世はそれを知らず認めず、小島もそれに流され実力に発揮できなかったのではないかと想像した。

 それに荷風、読んだことはない、が指摘されているような冷血のエゴイストとすれば、なぜ川本三郎さんが惹かれたのだろうかと、覗いてはならない深淵の存在の予感もする。

 平凡の町医者の戯言はさておき、小島さんと旨いものを食べてみたかった。

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同病同感、痒いのは困る

2013年12月14日 | 診療

                    

 「大変ですねえ」。

 「もう少しだから」。

 と言っても、医師や看護師が患者の訴えにどの程度共感を持っているかで、得られる信頼や慰めの効果は違ってくる。残念ながら経験のないことには想像をたくましくしても共感に限界があるので、空々しく響くこともあるかもしれない。

 それに喉元過ぎれば熱さ忘れるで、苦しさ辛さは遠ざかれば、色々修飾されてしまう。親子になれば何だそれぐらいと、遠い昔の自分の頑張りを針小棒大に子を叱りつけたりすることになる。

 しかし、今経験していることには深い共感を持って対処できる。寒くなって空気が乾燥してくると私のような乾燥肌の人間はあちこちが痒くなる。何事に依らず亭主に厳しい女房は痒さ知らずなので、私が注文したすき焼き丼が出てくる間、ぼりぼり脹脛を掻いていると、「みっともないからやめなさい」。と睨みつける。

 そこへ行くと私は爺さん婆さんの「寒くなるとあちこち痒くて」という訴えに深い共感を持って、これを塗って御覧なさいと皮膚保湿剤を処方してあげることができる。中には図々しい婆さんも居て、この前のあれよく効いたから、今日は五本頂戴などという。そうは出せないから三本で我慢してくださいと三本にしてもらう。よく効いても、爺さんに分けてもらってはまずいのだ。

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ほんまかほんだ

2013年12月13日 | スポーツ

             

 どうやら本田のセリエアーミラノ入りが本決まりのようだ。別に本田がオオカミ青年というわけではないが、一年来のいよいよ決まりかという報道をたびたび目にしてきた者にはホンマかと言いたくなる経過であった。

 イタリア側交渉人イイカゲンノ氏とロシア側交渉人スロモウスキー氏の話し合いではあり得ることなのだろうが、せっかちで細かい日本人読者としては何だか今頃ホンマかと言いたくなる。

 本田を高く評価するファンとしてはボルシチも悪くはないがミラノ風カツレツで更に世界に羽ばたいてほしいと思う。共に問題児的要素のある中田と本田を比べれば圧倒的に本田を高く評価している。サッカーいやスポーツは運動技術だけではないからだ。己を生かす力に於いて優れたものがあると思う。勿論、俺が俺がとは違うのは言うまでもない。

 ザックはギリシャを要注意と言っている。私にはもうひとつ意味がわからないが、守備力では一番の相手なので、それを警戒しているのだろうか。コートジボワールには失礼な言い方で悪いが、身体能力では負けても脳力で五分以上に戦えると思う。コロンビアは対戦相手中で最強と評価されている。早めの守備といった中南米対策を立てれば五分の戦いができると読んでいる。いずれにしても、相手を読んだ作戦が一番重要なのは間違いない。何とか決勝トーナメントへ抜け出して欲しい。

 

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空気のような存在

2013年12月12日 | 人生

                               

 居るか居ないか分からない人を空気のような存在とよく言う。影が薄いというよりは、大切さを普段は実感しない貴重な存在といった意味合いだと思う。

 確かに空気は動かないとあるかないか分からないような存在だ。ところが動いて風となると百葉箱の中の温度はさほど下がっていない今日のような朝でも、肌を刺す冷たさをもたらす。体感温度が下がるのだ。

 寒風に、首を縮め片手をポケットに肩をそびやかして歩いているとリュックを背負った大根足が追い越して行く。若い女性ではなくアラフォーのおばさんで、急いでいるというのではなく最初からジョっギングスタイルで御出勤のようである。一体何をしている人なんだろう。女子高の体操教師かなと走り去る大根足を見て考えた。

 私の医院も空気のような存在になり始めている。開院当初から水曜日の午後は休診にしているのに、未だに今日やってないのと午後の四時頃電話してくる叔母さん達が居る。

 「午後は休診です」。

 「ああ、そうだっけ」。

 まあ、空気のように気軽にご利用いただけるのは有難いが、いつか閉院になれば、有難さに気付いていただけるだろう。

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