駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

秘伝相伝で伝わるもの

2019年02月22日 | 医療

            

 

 一子相伝とか愛弟子への秘伝とかいうものがある。その内容には実は戒めが多いのではと思う。

 もう五十年近い昔のことだが親父に老人の浣腸は慎重にするんだよと教えられた。多分問題を起こした経験があったのだろうと推測している。それで高齢者の浣腸は炎症や閉塞のないことを確認して少量で行うようにしていた。その他にもいくつか注意しなければならないことを教えてくれた。それを憶えていたために研修医の時に子宮外妊娠を診断して、若いのによく分かったと上司に褒められ、婦長に絶賛されたことがある。今のように画像診断のない時代には気が付かないと診断が難しく、見逃すと大変なことになる病気だった。

 高齢者に立位で浣腸するなどというのは論外の不手際だが、高齢者の浣腸に伴う事故は今までも時々あったのではと思う。三十数年前、総合病院時代に外科系の若い医師が浣腸で事故を起こしたのを看護婦情報で聞いたのを憶えている。上司の目が行き届いていなかったのか、忙しすぎたのか、自信過剰だったのか、よく分からないが経験不足だったのは確かだ。

 最近の臨床研修をよく知らないが、昔は研修医の仕事ぶりには上司が目を光らせて、しばしば厳しく指導したものだ。実は臨床で一番大事なことは教科書には書いてない。それは初歩的な間違いの数々で、こういうことをしてはいかん、こういう時にはAやBを忘れるなと頭に叩き込むことなのだ。そして公言できない失敗を後輩にはそっと教えてくれた。七,八年前から低血糖は脳機能に不可逆的な損傷を与えると、糖尿病学会も高齢者の血糖コントロールは緩和してきているが、そんなことは私は四十五年前から知っていた。研修医の時N先生がこういう経験をしたと低血糖の怖さを教えてくれたからだ。以来自分も低血糖には細心の注意を払い、回ってきた研修医にも教えてきた。

 こうした上司から手足を添えた相伝というべき教えは、教科書で学ぶ何倍も有効で臨床というものはそうやって伝え磨かれてきたと確信している。こうした人間が人間に相対して伝える知恵と経験はこれからもその価値を失わないと思うが、なんとなくこれからの現場ではそうした伝承は希薄になってゆくのではないかと危惧している。

 不肖私にも私を師と慕ってくれる後輩が何人も居るのは有難いことだ。今の時代にもそうした関係は失われて欲しくないと思う。

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