藤原帰一先生の映画批評で見ることが出来た「マリアカラス」、何となく持っていた強く剣呑なイメージが覆され彼女のCDを買ってきた。彼女の歌声を通勤の車の中で聞いて元気が湧く方もおられるようだが、どうも私にはちょっと重く感じられ、書斎でのんびり聞くには至っていない。ショパンなどの静かなピアノ曲の方が合っている。好みと言うよりは食事と同じように年齢的に淡泊嗜好になっているのかもしれない。
どうも異常な、強迫神経症ではないかとさえ思う、若見え健康志向の世の中ではかき消されがちだが、淡泊嗜好は終息への準備兆候なのだ。鬱の患者を励ましてはいけないとよく言われた。まあこれはそう単純なものではないのだが、高齢の人に反射的に頑張れと言い過ぎてきた。もういいと言われて返す言葉がなくつい頑張れと言ってしまってきた。
今の私に理想の生活は午前中に十数人患者を診て、好きな昼飯を家内と食べて、午後は晴耕雨読、夜は録画しておいたBS番組を見て寝ることなのだが、これは夢の話。診療に追われ、合間に趣味を楽しみ仲間と飲み食いする日々が続くだろう。出来なくなって倒れる?、まあ先のことは神のみぞ知る。それは後どれ位と聞かれていつも答えることだ。
悩みや苦しみの消えることを祈るな、それは・・というユダヤのことわざも思い出す。