駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

心に負担の看取り

2017年04月01日 | 小考

           

 花に嵐というけれど、花が咲く前に寒冷前線の襲来で冷たい雨が風に舞っている。

 後期高齢者を看取るのはさほど心に負担と感じないが、五十代六十代の末期がん患者を看取るのは、実は苦痛で心に重い負担を感じる。臨床四十五年、そうした患者さんをかれこれ百人ほど看取ってきた私でも、到底慣れることが出来ない仕事だ。実は親しくなった若い患者さんが亡くなるのが辛くなったのも開業した理由の一つだ。

 先日、緩和ケアを専門としている一回り若い、といっても五十代後半のS医師と話す機会があった。彼はもう二千人以上の末期がん患者を看取ってきたという。

 それで一番困るというか悩む問題、患者とどう接するかを聞いてみた。まあ、生い立ちとか昔話ですね。話さなくなれば特に話はしません。そういうのを負担に感じませんかと聞いたら、気にしても始まりませんからとあっけらかんとしていた。ああ、そうかと腑に落ちた。全く私の類推に過ぎないが、緩和ケアを専門とされる医師には、高所恐怖症でないというか神経が太い?医師が多いらしいと気付いた。

 考えてみれば当然かもしれない。数日に一人看取ってゆくわけだから、辛い淋しい苦しいなどと思っていたら身体が持たない。恐らく死ぬのは生物現象と捉え受け取っておられるのだろう。いい年をして今頃何を言っているんだと言われそうだが、成る程?と思った。キューブラーロスや池田晶子とは別次元というか違う心性を感じた。唯、S医師の真意はわからない、はぐらかされたのかもしれないし、あっけらかんと受け取った私の行き過ぎた忖度かもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする