駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

迫りくるAIの足音が聞こえる

2017年04月17日 | 世の中

                

 一昨日から上京し、東京国際フォーラムでの内科学会総会に出席してきた。土日合わせて七時間ほど教育講演やシンポジウムを聞いて、最新の情報を取り入れた。講義には慣れているはずの教授連中も晴れの舞台?で緊張か張り切り過ぎか、時間超過する人が多くやれやれと思った。それ以上に時間が押して質問時間がないのに、司会者の注意を振り切って延々と質問する非常識な人も居て、レッドカードを出したくなった。

 医療は長足の進歩を遂げてはいるが、万遍なくとは行かず、例えば同じがんと病名が付いても、遅々として予後が改善しないのから随分予後が改善したのまで様々なことを再確認した。そうなる理由の一つには疾患の細分化がある。中々第一線レベルではできないことで、役割分担してゆくよりなさそうだ。高額の抗がん剤の費用負担の質問が出たが、演者はそういうことは官僚の仕事というお返事だった。最先端の治療改善に心を砕いているのでそこまでの余裕はない。あるいはそうしたことは社会政府の問題と言う意識のようだった。

 中で、やはりやがてそうなるかと思ったのが人工知能AI導入の話題だ。分野により研究者によりかなりのばらつきはあるようだが、近い将来診療でAIが何らかの役割を担うようになる。演者は人間には大雑把なことしかできないと言われたが、まあそれが強みでもあるとやがて消えゆく老兵は心の中でつぶやいたことだ。

 しかし遺憾なことに、AIの分野では日本は米中の後塵をを浴びている。技術者でないおっさんやおばさんが日本の技術は凄いという妙な自信を持つのは改める必要がある。それは自信でなく過信で、手遅れや間違いにつながる。

 長い臨床経験があるとしても謙虚に本物の進歩には付いていかないと思いながら帰ってきた。

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