駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

森を見て木を見ない論調

2017年04月15日 | 医療

           

 今月号の文芸春秋に薬を使い過ぎ特集が載っている。確かにと思われるところもあるのだが、パンチに力が入り過ぎ空振りの所もある。勉強している医師の多くは薬を使い過ぎないように注意しているし、患者さんが薬を所望されて出す場合もある

 例えば私は風邪の八割に抗生物質を出していない。風邪はウイルスが原因といっても、そうでない場合もあるし、私のように経験を積んでもウイルスによるものかどうか判断が付かないこともある。それに後期高齢者の場合、細菌感染が重なって肺炎になる恐れもあり、迷ったら抗生剤を加えておくことはよくある。中には、どうしても抗生剤をくれというおばさんも居て、押し問答になる。ヒラメのように恨めしそうな眼付をされ、よくならなかったらどうしてくれると拗ねられると、負けてしまうことも多い。なんたって医療にはプラシーボ効果があるから、ほら効いたと言われてしまう。

 正直、四日程度不要の抗生剤を飲んだからといって何か不都合が個人に起きるということは稀と感じる(マスとしては耐性菌が増えて困る)。抗生剤を出さなかったためにこじれることはたまにあるという印象だ。これは個人的といっても数多い経験に基づいた結論だ。二十五、六年前は風邪の八割に抗生剤を出していた。今は二割程度だ。それで、風邪の経過が違ったかというと違わない。つまり抗生剤を出しても出さなくても変わらない。だから出す必要がないと、多くの人は思われるだろう。私もそう思うのだが、しかし一部には変わらないなら出しておいても悪くないと考えるお医者さんもおられるし、患者さんの中には抗生剤信者も結構いる。中には貰わないと損と思っている感じの患者さんもいる。そうした人達は医事新報も文芸春秋も読んでおられないだろう。

 スタチンにしても杓子定規に投与しているわけではない、特に女性の場合は慎重に見極めて開始しているつもりだ。薬品メーカーの影響が皆無ではないにしろ、学会の基準をよりどころにするしかないので、それを概ねフォロウしている。前線現場にいると患者個々の違いがあるので、自分の臨床経験に基づいた匙加減はしている。患者さんは千差万別、とても一筋縄ではゆかない。

 医学は科学だから少しづつ変化進歩してゆく。年をとっても患者を診る以上は最低限変化進歩に取り残されないようにしている。文芸春秋の筆者がどのような背景の方かは存じ上げないが、木を見ないで森を見ているところがあると感じた。勿論、趣旨は理解し、いくつか反省するところはあった。

コメント
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