駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

社会の懐が浅くなった?

2017年04月25日 | 小考

  

 いつの間にか新緑が目に染みる季節になった。桜の木など、つい先日まで花を咲かせていたそぶりは微塵もなく、ありふれた木のように緑の葉を茂らせている。

 しばらく前、切れる若者が問題視されたことがあったと記憶する。安直な食べ物のせいだなどと言われているうちに、ネットの悪口雑言でうっぷんを晴らして減少したか、単に目新しくなくなったのか、あまり話題に上がらなくなった。しかし実際のところは、世界では格差や差別に耐えられず切れて極端に走る人々が増加している。困ったことに格差に怒る人は差別をしようとするので、問題の解決はほど遠い。

 町中の医院でも時々、切れる患者に遭遇する。どこの医院もやっていると思うが、初診の患者さんには症状既往歴アレルギーなどを簡単に書いてもらうようにしている。患者の手による記録を残す、初診を効率よく済ませるなどいろいろな目的があると思うが、書くことによって患者さんに頭の整理をしてもらうという意味も大きい。

 先日、二十代前半がたいの大きい男が発熱で受診した。「どうされました」と聞くと「そこに書いてあるだろ」と怒鳴られた。確かにかぜ、きのう、熱と暗号のような片言が、歪んで書かれているが、それは一つの参考で、訴えに系統立てた質問をして、診断を絞ってゆくのが医者の仕事なので質問しているのだと言い返したくなったが、成る程そういう人かと言葉を飲み込み、穏やか簡潔に話を聞かせてもらった。確かに風邪で、薬を処方したのだが、機嫌が直るわけでもなく早くしろとばかりのぞんざいな態度は変わらなかった。後輩のやくざもビビらせるMあたりだったら「何だと」の一睨みで大人しくさせたかもしれない。

 社会には多様な人を受け入れて、全体を何とか万遍なく回らせる懐の深さがあるものだが、21世紀になり、どうも懐が浅くなりあちこち角が立ってきた感じがする。それを補修するために争いから戦争による新たな均衡が模索されるのかもしれない。そうとしても核のある世界、知恵を絞って暴発を防がないと、取り返しのつかないことになってしまう。

 今日も万一と微かに不安な一日になる。

コメント (2)
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