駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

四半世紀で十年延びたが

2015年01月14日 | 人生

               

 実際には其処までは延びていないが、実感としては開業当初と比べて十年寿命が延びた感じがする。大切なのは健康寿命で、何とか自力で通院できる健康寿命も十年弱延びた感じがある。今は九十歳が一つの峠で、これを矍鑠と越えるのは誰にでも出来ることではない。

 Mさんは元気なお婆さんで、はきはきとよく話をされ、年に一二回お赤飯を持ってきて下さる。折角作っても家の者は食べないのよと言われる。私は大好物だし、職員も喜んで戴くので、有り難い。話しているのを聞いていると声に張りはあるし惚けは感じられないのでとても八十八歳とは思えないのだが、残念ながら膝が変形して歩くのが大変になってきている。整形外科では手術しかないと匙を投げられているのだが、手術にはお子さん達が反対しているし、私も大丈夫とは言い兼ねている。というのは検査数値を見るとそれなりに年齢的な変化があるからだ。若く感じられるのは社交的で積極的な性格と張りのある声にありそうで、お帰りになる後ろ姿はやはり八十八歳に見える。

 まあ矍鑠と九十の峠を越えても、今度は九十五の峠が待っている。寿命が延びても老化や死がなくなったわけではない。少々先送りになっただけだ。しかしその先送りによって、心構え身体構え懐構えは変化することになる。賢いはずの官僚もどうも予測できたように思われる変化を自分の任期中のことではないと先送りにしていたようだし、目先のことしか見えない多くの政治家は二十五年先の不都合な事実は見えなかったようで、十年延びた貴重な人生を国民揃って持て余しているように見える。

 目端の利く雑誌だけは、海外での余生などという特集を出している。日本の人は他力横並びが得意のようでも、自力抜け駆けも苦手ではないと見ている。十年先をなどと言うと鬼が笑うけれども、鬼が笑っても老い先を考えながら生きていかねばと患者さんに教えられている。

コメント
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