駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

失くす人生

2015年01月11日 | 人生

                  

 昨日、絵の教室から帰ってから二時間近く失くしたものを捜したが出て来なかった。三十分ほど掛けて、四回ほど片付けそうな場所を繰り返して捜したが、ノートパソコン用の小マウスは出て来なかった。。一体何処へ仕舞い込んでしまったのだろう。小さいといっても米粒のように小さいわけではなく、小振りというだけである大きさがあるから本やノートの間に紛れ込むことはないはずだ。憶えているのは、暫く使わないから失くさないように仕舞っておこうと考えたことだけで、何処へかが全く記憶にない。

 それは老化、場合により認知の始まりですよと申し上げていた言葉が己に戻ってくる。情けないし、何というか喉に刺さった骨というか、すっきりしない胸のつかえが下りないのが癪だ。結局そうして、小マウスだけでなく、貴重な人生をちょっぴりと失っているのだ。

 亡くなった赤瀬川さんの老人力に学び、老化を逆手にとって忘れて出て来ない物は必要のない物と開き直るのが良いかもしれない。しかしまあ、ぎょっとしたのは引き出しや本箱の片隅になんだ此処にあったのかという物がいくつか発見されたことだ。大分無駄なお金を使っているなあとも少々心が痛んだ。貯め込んで忘れる栗鼠や百舌を笑うことは出来ない、儂も同類項であった。

 机の周りは、F氏ほど綺麗には整頓されていないがH君ほど散らかしているわけではない。どちらかと言えば整頓されている方だと思うが、仕舞っておくというのは結局目に見えないところに置くということで、それが記憶の外となり忘却の彼方への始まりとなるようだ。さて、どうしたものか。

コメント
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