玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

86)絶海の孤島ラバヌイ

2006年11月29日 | ピースボート世界一周

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 モアイで有名なイースター島はチリに属し主言語はスペイン語と島独自のラバヌイ語。島の住人は自分達のすむ島を「ラバヌイ」と呼んでいた。現地の言葉で未来に生きるという意味で謎の石造は、島全体で1000体近く残っているという。(各部屋に常設された救命チッヨッキを着用して、決められた出口から4~5人のサポートを得てボートに移乗)

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 通常は空路なのだろう。イースター島には大型客船が着岸できる港湾施設がないため、沖合いに客船を停泊させ8~10人乗りのテンダーボートで上陸しなければならない。5つのツアーが組まれていたが、全員が島に上陸する必要があって仮に10人乗りのボートだとしても100隻が必要になる。当然それだけのボートはないので、10数台のボートがおよそ半日がかりで搬送に当たった。悪天も在り得るので2日間の日程が組まてれいた。(7~8人分乗して島へ向かう。後方は客船)

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 年間1万人の観光客。今回1000人受け入れると1日で1か月分に相当しよう。恐らく島中を挙げて我々を迎える大イヴェントだったに違いない。船から早朝まだ薄暗き時間にイースター島を臨んでいたら、海岸に向かってライトをつけた車が終結してくるのが見て取れた。(島に近づくにつれ段々モアイ像が大きくなる)

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 上陸すると解るのだが土は火山岩特有のゴロゴロした台地で、車で走っても繁みは殆んどみられない。野菜などの栽培には向きそうもなく、やっぱり島で消費する野菜、果物などは輸入しているという。そんな島にとって「モアイ」は重要な観光資源であり、一方徐々に進む観光化は島の伝統的な生活形態に影響を与えていることも確かであった。(モアイは内陸を守るため内向きに立っていた。かって首が落ちたり、倒れたりしていたのを日本の起重機が起こしたのだという)

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 そうであればこそであろうか。エミリア女史は子供の頃の生活風習や現在の活動を報告し「自分達の伝統、歴史、考古学それぞれを知っていくほどにそれらが繋がって、文化の全体像が見えてくる」といい、「自分達とは違う宗教、人種、文化を尊重することで世界の平和が生まれる」と語った。恐らく機会あるごとに同胞にも自分の信条を伝えているのだろうと思えた。(島に渡った後現地の高校生と海岸のゴミ拾いをす。沖合いに停泊する客船)

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風邪の季節

2006年11月28日 | 捨て猫の独り言

 11月は周囲に咳き込む人が多く、私も中旬から風邪の状態が長く続いている。昨年の風邪の季節は上手く乗り切れた記憶がある。体力は年とともに衰えるばかりだから気をつけねばならない。気をつけていても避けられないのが風邪だ。運が良ければだ。昨日の日曜日は生後200日の赤ちゃんとその母親、それにじじ、ばばの4人はゴホンゴホンとやっていた。

 11月の中旬には遠近両用の眼鏡を作った。お金を惜しまず作った割りにまだ馴染まない。両眼の白内障手術のあと右目にしばらく炎症がでて、今でも月に一回は経過観察で通院している。毎日5種類の目薬をつけている。片方が正常だから視界は良好である。半年以内ならば眼鏡の調節が可能である。まずは眼鏡の1ヶ月点検でいろいろ相談せねばならない。

 つい最近小雨ぱらつき、暗くなりかけた夕方に食料品を買いに出かけた。財布を失くしたことに気付いたのは翌日の昼であった。帰宅してから自分の机の辺りを探すが見つからない。昨夕あの店で支払いしたのは確実だが、その後の記憶は極めて曖昧になっている。まずクレジットカードの会社に電話した。本人に重大な過失なしと認めるためには交番に届けることが大事という。そこで駅前の交番に届ける。紛失届けの見本に茶色の二つ折り財布、カード(○○発行)、運転免許証(本人名義)とある。ほぼその通りであるのがおかしい。想定内ということだ。

 5年ほど前は通勤途中に自転車の後ろの荷台に乗せていたショルダーバッグを丸ごと紛失したことがある。そういえばあの時も小雨がぱらついていた。あの時は年輩の女性が親切に交番に届けてくれていた。その方と直接お会いできなかったが、教えられた住所にデパートからお茶をお送りした。今回はどうやらそんな親切な方ではなっかたらしい。クレジットカードと運転免許証の手続きの手間が増えた。それ以前の私の失せ物についての記憶は既に忘却の彼方である。

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85)パフォーマンス花盛

2006年11月27日 | ピースボート世界一周

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 帰国まで約1ケ月。通常のショーに発表会形式の演目が企画されることが多くなった。そんな中で本日は3つを紹介したい。それはエンターティナーショウ、Voyage(航海)、和芸の祭典だった。(若者がアレンジしたロックンソーラン節。ハッピはシニアのご婦人方が船内で縫ったもの)

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 エンターティナーショウでは、乗客に対して職員(Boatのスタッフ、GETteacher、CC)が感謝をこめて芸を披露した。プレスリーや松田聖子のナリキリの物まね、「白鳥の湖」は男性バレー団が舞い、「おてもやん」はローカル色豊かなお囃子を入れながら踊られ、チャゲ&アスカはそれらしく扇風機いっぱいの風を受け、「東京に上陸」を仮定した上陸説明会はコント仕立てでなされた。それらは日々同じ空間にいればこそ分かり合えるエスプリに満ちて、立ち見続出の会場の大爆笑を誘った。(舞台は遠くていい写真がない)

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 Voyageはフランス語で航海の意だが、若者達が自主企画したもので地球をテーマに森・海・大地・空の4つをヘアーメイク、ファッションで表現するという試みだった。約10日間に亘ってイメージ作り、衣裳作りと約100人がかりだったそうだ。衣裳、ダンス、演出いずれもダイナミックで「若者の持つエネルギーが爆発」といった感があり、とりわけ若者には好評だった。写真はなし(沖縄の人に習った三線と民謡を歌う弟子達)

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 和芸の祭典は11月21日歌舞伎の日を記念して和芸の発表会となった。沖縄三線民謡、津軽三味線、舞踊(さくらさくら、ソーラン節)、篠笛、琴、お座敷芸(かっぽれ、奴さん)、芝居白波3人衆、ロックンソーラン等。沖縄と津軽三味線の違い、ソーラン節では古来と現代物の違い、お座敷芸の軽妙なフリ。何れ劣らずの人の入りでどの会場も溢れんばかりだった。(セイロンの浜辺では洋服のままだったが、和服は趣あり)

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84)ミュージックin太平洋

2006年11月25日 | ピースボート世界一周

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 船内には多芸多才の人々が多く、音楽に関しても洋楽ではフルオーケストラが出来るほどだった。和楽では大太鼓、琴、三味線、三線、笛その他ギター、ウクレレ、ハーモニカ、オカリナ、コーラス等。若者達は電子楽器をかきならしていた。(ジャンベを指導するKumarとアフリカでジャンベを求めた門下生)

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 ピアノは船内に3台あり、内2台は午前9時まではどの会場でも自由に使えたので音がモレ聞こえていた。日中の船内は喧騒に支配されていたが、夜空、月明かり、波の音をバックに聞こえてくる笛や管楽器の音は哀愁を帯て聞こえ、琴や三味線の音は心に響き自然に吸い寄せらた。師匠さん格のバチさばきは荒波との競演のようで迫力があった。(声楽の饗宴、ピアノ、バイオリン、琴の演奏の後、出場者全員で合唱)

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 各演奏会では大グループ小グループあるい単独での演奏を楽しませてもらった。声楽から合奏迄、クラシックから軽音楽、映画音楽、童謡、民謡迄あらゆる分野に及んだ。にわか練習を始めた方々といえども日々の練習は大きい。夫々の成果が見て取れたし、プロはだしの方々には充分に楽しませてもらった。(30年来独学でバイオリンを弾いてきた紳士。リクエストに応えて何でも弾いた)

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 楽器に縁遠い私としては、備品として貸し出用もあったウクレレ位ならと当初参加もしてみたのだが、時間調整が上手くいかず断念。少々の悔いが残った。中には寄港先で「楽器求め」に走る人もいた。これを機に「一つぐらい楽器をこなさなければ」と意を決し、3回目乗船のクラスメートにハーモニカを奨められた。彼女も同じ経過を経て今はハーモニカを操る。しかし下船して1年。未だオ・トなしの生活。このシリーズを終えたら・・キット・・・・。(「笑え!輝け!スターへの道」で大受けしたジャニーズ5076。同企画は歌、コント、ダンスなんでもアリで若者が11組出場した。キャビン番号5076の4人のメンバー達)

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83)オークションは如何

2006年11月23日 | ピースボート世界一周

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 船内では寄港先に用立てる為に様々な寄付や募金活動が行われた。手持ちの文房具で使っていないもの、現地通貨で残ったお金の投函箱、贈呈された絵本や買い過ぎた土産物の販売会、船内有料企画売り上げの全部又は一部、チャリテーオークション、講師による絶叫足つぼマッサージの売り上げ、真夜中のポストマンによるカード代金等。(夜遅くまで賑わう両舷 時差の関係で暗い中早朝ウォーキングへ向かう)

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 オークションの中身は1日キャップテン体験、GETteacherヤCC(ボランティア通訳)とディナー、徳永さん(朝一番にセクシャルボイスで挨拶)からのモーニングコール、出港式のドラ叩き、ギターレッスン、kumarが作ったダイエットのための運動メニュー等などであった。キャップテン体験は余り安くては船長に申し訳ないという理由で7万円で落札されたと聞いた。総売り上げは37、8万円。(サウンドオブミュージックの出演者全員で)

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 真夜中のポストマンは「思いを伝えることの大切さ、手紙が届く嬉しさ」を意図した企画で面白い。何回か行われたが事務局の前で100円のカードを買う。中にメッセージ、表にキャビン番号と氏名を明記して指定のポストに投函する。真夜中にポストマンがドアの下から投げ込むといったお遊び。若者には受けたのでは?or今の若者はもっとストレート?むしろかっての若者に受けた?乗船前名刺を作っておくと何かと便利とは聞いていたが成る程であった。乗船当初は自己紹介しあったがキャビン番号まで聞くなんて思いもよらない事だった。(大縄跳び。突然欠場者が出て3列の目男性、いきなりの出番はチト・キツカッタか)

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 初体験の私は単純でノリのいいのが幸いして何でも楽しめHappyだった。レクチャーも、船内企画の催し全般も、運動全般も、語学研修も。そんな風だから「この際」の思いも手伝って、ツイ和芸の舞台や2~3のセリフながらミュージカル、スピーチコンテストまで出てしまった。何せ1000人に迫ろうとする素人集団。ルールは1つ。上手、下手を超えて皆で楽みましょうだったから。(リーブシー・クラス)

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国分寺崖線

2006年11月22日 | 捨て猫の独り言

 53歳のピーター・フランクルさんは日本の学校で問題だと思うのは、運動部の部活動だと考えている。朝練もあり、放課後も夜まで練習をし、さらに土曜日も日曜日も、夏休みはもちろん、時には正月でもやる。週末に家族で出かけようとしても、試合があって、結局どこにも行けなくなる。今の日本の部活動は中毒。それしか頭に入っていない。自分のやっているスポーツ以外にも読書、映画・音楽鑑賞、地域の人々との交流など、自分の視野を広める有意義な活動が世の中にはいろいろあると主張する。学校があまりにも多くのことを抱えすぎるのだが、なかなか改善される兆しはない。

 10月29日に引率責任者として国分寺にある早稲田大学系属・早稲田実業学校高等部を訪れた。我が男子バスケット部は中学で運動クラブ中毒にかかった生徒が多い。高校になると時々OBが技術指導を行う程度なので少しは中毒もやわらいでいる。部員はそれが不幸なことと考えているのかもしれない。早実は新日鉄の社宅とグランドを買収し02年から国分寺に引っ越した。駅から7分である。男女共学となり初等部も開校した。04年に王貞治記念グランドができた。王の好む 「気力」 の文字が入った記念碑がある。細長の敷地は狭い。野球場のスペースは無理だ。当然のことだが校舎は地形に合わせて設計されている。高等部の一学年400名は多い。

 この日の試合は111対51の圧勝であった。つぎの3回戦の対戦相手は昨年度の優勝校と決まった。1年生がつぎのゲームのオフィシヤルを務めている間に自転車で近くを散策する。我が家から20分であった。北側の通りの向こうは小金井市である。南には細長い住宅街があり少し段差があってそこをJR中央線が東西に走っている。近くに線路を挟んでさらに南側に東京経済大学がある。中央線と大学は段丘の上にあり、そこから南は急な傾斜の地形になっている。国分寺の駅から大学に辿りつくには急な坂道を登る。自転車は降りて押し上げるしかない。国分寺崖線=「はけ」である。「はけ」とは「がけ」意味する言葉で多摩川の侵食によりできた河岸段丘下の道のことである。

 解散前に教師から何らかのコメントを出すのが常である。簡単に試合運びの感想を述べる。そして初等部の一部は小金井市にかかっていることや、自分の庭に涌き水を持てたらどんなに幸せなことかを話す。早実の正門前は坂になっている。そこで「はけ」の話をした。はけと言うとすぐに笑いが起きた。地形の話が続いて 「今日の落ちは何ですかと」 打ちきりの催促だ。後に辞書を引くが国分寺崖線は辞書には出ていなかった。刷毛に毛がありはげに毛はなしなどと余計なことを言わずに良かった。

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82)フォーマル・ディナー

2006年11月21日 | ピースボート世界一周

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 船内でフォーマル・ディナーは4~5回あった。堅苦しいことが嫌いな人や正装が面倒な人はヨットクラブで自由に食事はできたのだが、大方の客、特に若者たちはお洒落をしてディナーに参加していた。(彼女らは比較的年齢も高くよく同席した)

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 レストランはいつも総入替制になっており、時間になるまではクローズされていたので、扉が開けられるまで正装した人々はフロアに溢れ、高揚した気分で時間待ちや待ち合わせをしていて賑やかだった。とりわけ若い女性達は華やかで、回を重ねるごとにアチコチで求めたものを身にまとい、あでやかさを増して私達を充分に楽しませてくれた。

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 テーブルは2~3人掛けから10人掛けぐらいまであった。長らくの道ずれで若い方々とも顔馴染みになり大分話もした。私達の世代と決定的に違うのは時間、仕事、金の都合の付け方だろう。自然とそんな質問をしてしまう。仕事をやめてという人が多かった。かねがね若者の風潮を見聞きしてはいるのだが、職業選択の自由度が高いというのは本当に良い事かどうか気になる。(チリでのディナーショウ)

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 少なくとも職業観においては対極にあるといえまいか。私達の世代は両親が苦労して育ててくれたのを見ている。特別の躾も、勉学や手伝いの強制もなかった。祖父母や兄弟のいる家庭の中で自然に躾られ、勉学し、手伝っていた。時代の風潮や個の尊重などいろいろあって単純に比較はできないが、働き方については親の姿勢から抜け出すことはなかったし出来もしなかった。最近は子供はモラトリアムを決め込み、親もそれを許している。(パナマでは現地の学生と語学研修を兼ねて一日過ごし・ツ・カ・レ・タ~)

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 「帰国したら仕事探しから」という現実が彼らを待ち受けている。多くを学んだ彼らゆえに迷いも多かろうことが想像される。私達には考えられなかったような経験をした彼らは、沢山の刺激とヤル気を掴んだろう。若いから幾らでもやり直しも利くだろう。若者達よ!フレ~!フレ~!グゥア・ン・バ・レ~!(タヒチのレストラン)

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81)皆でハチドリになろう

2006年11月19日 | ピースボート世界一周

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 「持続可能な世界を目指して」を一つのコンセプトにしていたBoat側は、大陸を離れ日本へ向かうこの時期に、同じ理念の下に活動している人々を揃えて、「皆でハチドリになろう」というパネルディスカッションを行った。(船から望む絶海の孤島イースタ島と手前の小さな立像は守護神モアイ)

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 パネラーは学問と運動とビジネスの融合を目指す中村氏を司会にし、種子島を拠点にしている中島修一氏、タヒチのエミリア・テパノ女史、チリのブルーノ氏の4人であった。中島氏は生まれも育ちも大阪のアーティストで波乗りが趣味。外国を渡り歩いていた彼は絶好の波乗りスポットを探し当てて2年前から種子島に住み着いた。そこで同じくサーファーとして来ていたKumarと知り合い、彼の肝入りで今回が初乗船だった。(手前はブルーノ氏)

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 種子島は住む程に島中が家族のようで、従来のお金や物質を超えた豊かさが感じられ、豊富な自然をベースに新しいライフスタイルをとより強く望むようになった。そんな折隣の島「まげ島」で核廃棄物プルトニウムの埋め立て計画が出された。海を一番知っているのはサァーファと漁師として反対しておりトツトツと訴えた。彼はガベージファクタリーという本を出し、映画化の予定になっているとも話していた。(口角泡飛ばさない中島氏)

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 モアイを有する村で、島の文化や歴史を伝える運動を積極果敢にやっているエミリア女史は、別の企画で島のラバヌイダンスを優美に踊って見せ、希望者に教えて披露会をした。スローライフを提唱する中島、中村氏の発言は穏やか過ぎて?異言語の彼女にとって怒気が足りないと思われたのだろう、じれったそうな表情を隠さなかった。かってイースター島にカジノ建設の話が出た際、島の人々は連帯してインターネットを使い各国のメディアや良識ある人々に訴え、考古学者の協力もあって回避できたという事例を出してアジッタ。(ラバヌイダンスは健康的でいてセクシャルだった)

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 かっては元大統領のボディガードをしており、今はチリ文化庁に勤めながら先住民マプーチェ族のプログラムに関っているというブルーノさんは、核による影響をもう一度思い起こそう。言葉は大きな武器になると訴えた。そして最終的には「私達1人1人が力を合わせれば世界を変えられる」というメッセージが発せられた。(ラバヌイ=イースター島で唯一の小学校で) 前回中村中島両名の表記を一部混同 訂正済み

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80)ハチドリのひとしずく

2006年11月16日 | ピースボート世界一周

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 ここ数日新聞の書評、家庭欄に表記の絵本に関する記事が出ていた。文化人類学者辻信一氏が南米に伝わる古い物語を監修した本で「温暖化阻止のために出来る事から」と静かに呼びかけている。森が燃えていた。動物達が次々と逃げている中で、一羽のハチドリが水を一滴づつ運び火の上に落としてゆく。そんな事をしていて何になるのと他の動物達が笑うとハチドリは答える。「私は、私にできることをしているだけ。(テレ気味の中村氏と)

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 チリから乗船してきた3人の講師の中の1人である中村隆市氏は、辻氏が世話人となって1996年設立されたNGO団体「ナマケモノ倶楽部」のメンバーの1人であった。彼はユッタリ口調でNPOの理念、活動内容を紹介した。例えば町興しになる地域通貨。生産者の生活と環境保全を配慮しかつ消費者の健康にも留意したフェアートレード。2003年以来、スローな夜をと題し夏至の日総数100万人単位で行ったCandle Nightなど。船内では地域通貨を試み、フェアトレードのブラジル産コーヒーの販売もした。

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  当初ハチドリの物語は地球温暖化の行動と重ね、「地球の冷やし方」という小冊子で販売された。本年8月NHKの報道番組でハチドリTシャツを着て環境運動をする若者の活動が紹介されたようで、以来絵本は売れ続け運動自体が静かなブームになっているという。温暖化防止のためCO2の削減になる行動を「ポトリ」という単位で表し、例えばエアコン暖房を1度低くすると1日1.5ポトリ(1ポトリはCO2=100g)等と数値化して提唱している。(チリの先住民マプーチェ民族の人権活動家ブルーノ氏と) 

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 今回挿絵を描いたカナダの先住民族ハイダの芸術家マイケル・ヤグラナスは辻氏の友人で「GNHキャンペーン」で来日中という。GNHとはGross National Happiness「国民総幸福」の意でGNPに「伝統文化の維持発展」「環境保護」などの視点を加え「真の豊かさ」を表すとしている。マイケル氏はたった2千人の先住民の小さなパワーが、巨大企業の森林伐採を阻止した自らの経験と重ね、ハチドリの一滴は自分の巣だけではなく森全体を守る行動を生んだと発言している。(タヒチの聖なる場所マラエで木の根で作った汁を飲む歓迎の儀式)

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 環境問題は大きすぎて我々にはやりようがないと思い目を瞑りがちだ。だから「やれることから、やれることだけ」でもやろうという。小さなハチドリが健気に行動している。そんな虚飾のない生き方は若者のみならず、定年を向かえ今後の生活設計を考えている世代にも共感を呼んでいるようだ。(山の中腹にジープで向かう途中数箇所で滝と出合った)

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通勤途中のこと

2006年11月15日 | 捨て猫の独り言

 朝の7時半頃に勤務地の近くの武蔵野市の中央公園を横切る。公園の一角にはそれと気付かないバーベキュー広場やゲートボール広場がある。ゲートボール広場として使用するのは週の何回かその午前中だろう。帰宅する時間にはそこが本来はゲートボールの競技場とは気付かない。広場の隅に正方形の木製テーブルと4個のベンチが植え込まれている。そこによく見かける気になる老人がいる。自前の折りたたみイスに腰掛けて足を木製のベンチに投げ出して悠然と新聞を読んでいる。広場は塵一つなく土俵のように清められ朝日に神々しく白く輝いている。金属のゲートが設置されて、スタート地点には8個のボールがきちんと並べられている。準備は全て整い後は競技のスタートを待つだけである。しかしその老人以外に近くに競技者の姿はない。開始時間のこと、競技中のこの老人の立ち居振る舞いなどが気になるがいまだ確認していない。

 最近通勤中に安倍首相の顔が大写しになったポスターを見かける。血筋だろう目元の辺りは佐藤栄作氏を思い起こさせる。だが待てよもっと大物に似てないか。下からのカメラアングルだとますます似てくる。鼻の下にヒゲを描くとあの独裁者と瓜二つではないか。10月29日の自衛隊観艦式での護衛艦 「くらま」 での甲板すれすれのカメラで捕らえた写真などは背景が武器だけにいらぬ連想も沸いた。できるだけロウアングルは避けたほうが得策ですよ。ポスターには 「創りあげたい日本がある。」 と大書され右下に小文字で 「美しい国、日本。」 とある。さすがに美しい国は気がひけるのだろうか。美しいのスローガンには私は排他主義的なものを感じる。また他の政党のポスターで 「働き者の代表。」 とあった。働 「く」 者のではと思ったが一文字の違いに社会のじわじわとした変化を感じた。

 保守派の首相には 「リベラル派は権力にはなんでも反対。きれい事を言うが責任を負わないと」 いう思いが強くあるだろう。そして保守の一部では核武装などを叫び始めている。首相は気負わず柔軟であられんことを。日本社会がどちらにせよ極端に振れることが一番心配である。

 帰宅途中に公立中学校の校庭の横を通る。女子のソフトテニス部が黄い声を出しながら練習している。そういえば中学時代に気にしていた名も知らぬ女の子もソフトテニス部だったことを思い出す。赤い布に黒の文字のスローガンがあり練習の度に金網に取り付けられる。「気迫、闘志、四中魂」が大文字で、「努力は絶対に裏切らない」 が中文字である。誰が考えた文句なのだろう。誰がその文字を書いたのだろう。あるとき練習後のミーティングを目撃した。中心に初老の肥満体の男がいた。自分では球を追いかけることなどできそうもない。スポーツクラブの指導者には多くの陥穽がある。あの男が彼女達から慕われ尊敬される存在であることを祈ろう。

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