玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

目に見えた温暖化現象

2008年06月30日 | アトランタ便り

 彼らが3年住んでいた日本の宿舎は、米国式で生活様式も米国式だった。宿舎外は全て車での移動。日米と離れて暮らしたこの2ヶ月間。PCでのヤリトリは求職活動の顛末。子供が発する言葉の伝達。飽きつつある米国式食事事情であったが・・。アレコレ日本はメンドクサイだけだった?

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 夫君は子供2人と妻も働いていたので、家事や育児を手伝っていたが、食材の多くははるばる運ばれてきた半調理済みを、チン!と仕上げれば良かった。生の野菜や果物は料理しても、最後はデスポーザブルにかけ、食洗機に入れればそれで済んだ。本国に戻った夫君は妻をどうサポートをするのだろう。双方を知る私は杞憂していたが案の定モメているらしい。

 外気温は真夏並で、室温のコントロールの為終日電気音がしていた。折角のプールもプールサイドの熱で蔭らないと踏込めない。地球全体の温暖化は誰が見ても明らか。一括回収に慣れた国民にゴミの分別収集は難しい。移動距離の長い国土に車は必須とはいえ大人一人に一台は多くないか。近く開かれる山頂会議はどう舵をきる?(アパート居住人用のプールで子供は上機嫌)

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台所に現れた消費社会

2008年06月28日 | アトランタ便り

 彼の国の消費社会は万人の知るところ。然りであった。日本では幼子2人を持つ娘の家にしばしば出かけ、婿殿が家事を手伝っている様子が冷蔵庫の中から窺い知れ、それはそれで”マアいいか”と感じてもいたのだが、家族中で・・・となれば話は全く別である。

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 娘曰く、「メニュー通りに材料を一から買う人達ナノ。ひどい時にはそれ用の鍋までネッ!」 という習性を聞いていた私は、彼らが夫々に食材、調味料を調達し使用した結果を、その一家の台所に見たのだった。

 そんな状況下で、”余計な物は買わない主義”を通そうと念じていた娘は、日本から船便で届く家財道具の到着が、引越しの一週間後とあってアレもコレも買わずにいた。同じ思いの私も少ない道具にガマンし、ナイナイ尽くしのフライパンで、昼、日本から届いていたラーメンを作り”栄養”を考えて卵を落とした。「賞味期限なんか考えてないから、よ~く火を通してッ」 と娘は当然の注文をした。「底の浅いフライパンでどうすれば完熟が出来る?」 睡眠不足でヘトヘトになっていた私は終に「目的は達成したから帰るッ!自分でやってみれば判るわッ!自分デッ!」 となったのでした。

 

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「1年分台所にいた」?

2008年06月26日 | アトランタ便り

 ディスプレイが鮮やかな家の、燦然と輝くキッチンに立ち包丁まな板を探す。 コレッ?と探し当てたのはシステムキッチンには不似合いの薄いまな板と、ノコギリ刃のついた包丁。しかも小~大10本と鋏1本がセット仕様になっており、これもディスプレイ?と惑う程キレが悪い。

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 慣れない器具、丈の高い流し台、私には区別のつかない多種の調味料、食洗機向きの皿への盛り付けと全てが不慣れ。聞こうにも言葉が半分も通じず、ウンウンやってる内に人参を切っていたノコギリ刃が爪に食い込み出血した。カットバンで引っ付けるべく強く巻いて、以後は小指まで使えず更に不自由した。

 食品庫にはシリアル、缶詰、瓶詰め、パスタとはみ出さんばかり。スーパーには野菜・果物が山をなし、包丁不要の「カット野菜」の陳列も。メニューはカレー、ライスグラタン、焼き飯、具沢山のスープ、各種サラダと日本では全てが当然の手作りや残り物の再利用だが、彼らは小1時間も台所にいる私に驚き、その家の主婦が「貴方は私の・・」と表題のセリフを言った。(Partyの日父親がステーキを焼いて振舞った。肉焼きは男の仕事)

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フルーツパックの夕食

2008年06月24日 | アトランタ便り

 夕方空港に着き弟、母君に挨拶を済ませた私達は、少し後、降り立つ夫と帰るという母上に従い、2ヶ月ぶりに会った婿殿と当面居候する事になっている実家に帰った。走行中「昨日仕事が決まった。しかも第一志望がネ。今日車を買った。ニッサンなんだ。ナビは英語と日本語も出るんだホラ」と何時にも増して声を弾ませてしゃべり、娘も私も引越しのメドがつき先ずは安堵した。

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 帰宅すると5~6種類のカット済みフルーツのパックを彼が開けた。夕食?デザート?「好きなものは自分で作って食べた方がいいヨ。遠慮なんかしなくていいノ。こっちの人は気にしないカラ。自分達も食べれて返って喜ぶヨ」と到着早々娘は言った。彼女がオーストラリア留学中にホームスティ先を訪ねた時、夕食が町から買ってきたハンバーガーだったことを思い出した。

 「ちゃんと食べないとオッパイが出ない」と言う娘の言い分もあって、居候の身分ながら一週間、子守の他に夕食当番も引き受けた。それから私の”ないわあるわ あるわないわ”の大奮闘が始まったのです。

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*梅雨空

2008年06月23日 | 捨て猫の独り言

 高齢の父からその曾孫の写真とともに次のような手紙が届いた。「帰ってから軽費老人ホームの入居申し込み書を二人それぞれの名で提出しまた。いつ入居できるかわかりませんが一応ご承知おきください」 我が親ながら敬服に値する。パンフによると部屋数は40室(夫婦部屋2室)で、全室から桜島を眺望でき、最上階の大中小浴室、展望露天風呂では天然温泉浴が楽しめる。

 2歳と0歳と過ごした2ヶ月は格別だった。わが子の子育てがよみがえるような時もあった。世話に追われてあれこれ考える暇もなくあわただしく時は過ぎた。その生活に区切りがついて半月以上になる。最近第2子を出産した近所の母親があんなにかわいがっていたすみれちゃんが居なくなって寂しくなりましたねと慰めてくれた。

 どうも子守の時間が無くなってから虚脱状態気味である。私の場合前から眼科と歯科にはお世話になりっぱなしである。健康な白い歯並び、強い意志を示す目の輝きとは無縁だった。何かに夢中のときは忘れているのに、目と歯の両方の不調を意識することが最近特に多くなった。自由な時間が多いのも良し悪しだ。そんな私の心を写すかのように連日梅雨空が続いている。

 こんな状態の時には頑張らないほうがよい。雨の音を聞きながらぼんやり過ごすのがよい。ぐうたらぐうたらするのがよい。どこからか体を動かせ、汗をかけという声も聞こえてくるのだが。

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陽気・楽天的・口元美

2008年06月20日 | アトランタ便り

 彼の地に着いた最初の印象は「ヤッパリ!」と何時もの思いを新たにした。更に「より~」と強調した方が正確だろうか。とりわけ歯並びの美しさは際立つ。家族中の、TVに出現する万人の口元・笑顔が清々しく美しい。

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 小学6年時、私の前歯の2本の間に僅かな虫歯が出来た。歯科は子供の足で迄小1時間はかかる町にあった。僅かな虫歯ながら両親は親心で私を通院させた。数回の通院で歯は大きく削られ正面2本に金冠が被せられた。学年が進むにつれ口元を恥ずかしく思い始めた私は、サラリーを得て先ず金冠を外した。アレは当時の歯科医の通念?それとも商魂?親の愛情がそう処理された事を今も口惜しく思う。

 以来私は歯に関して注意深く少々うるさい。娘の犬歯が歯列を乱し始めた頃、2年がかりで矯正した。きれいな歯並び得たが、社会人になり当人が手抜きして夜間装具をさぼってる内に下の歯列が凹凸し始めた。歯列を重要視する国民性の中にあって、遠からず彼女も自ら修正するだろうと期待している。(Party終了後、周囲にそそのかされた娘が寝ている夫にペテキュアをした)

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機中で「外へ出る~!」

2008年06月17日 | アトランタ便り

 退屈し切った2才児がソウ叫んだ。ムリもない。連続13時間の空の長旅。乗り継ぎを含めると15時間に及んだ。母親は5ヶ月のBabyの世話に専念し、ヤンチャ盛りのお守は丸ごと私の仕事となった。ソレは事前の覚悟を越えた労働で体力と気力を要した。

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 普段からスイッチ、ボタン、ネジ、ビンと手当たり次第に押しひねくり廻していた。飛行機の中はそのスイッチ、ボタン以外は何も無い。私が手を出せば真似る。周りに迷惑を掛けるから自制も強いられた。

 気分転換の為何度もダッコ歩行したが、食事カートが納めてある空間の窓から見える眼下が海から大陸に変わって来ていた。窓から尾翼の一部と雄大なロッキー山脈を見下しながら、「飛行機に乗ったんだったねぇ。いつも飛行機はお空の上を飛んでいるよねぇ。今飛行機の中にいて、一緒に高~いお空を飛んでいるの。お空にある雲さんを突き抜けて、ほ~ら雲さんがあ~んなに下でモクモクしている。お山もあ~んなに下に見える。すごいねぇ。高~いねぇ」ジ~ッと聞き入っていたがどう理解したか。次いで”飛行機ブ~ンブン、飛行機ブ~ンブン”と両手を広げながら私と一緒に唱和し始めた。

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*娘からの便り*

2008年06月10日 | 無断転載

Get_image_2 お父さん!元気?はいアパートは、立派でーす!!新築!!一ヶ月10万円ちょっとだけど、他のアパートをみたら古くて9万円したんで、満足してます。彼の仕事(第一希望)はとってもいい仕事で、肩書きは ○○○で将来は□□□。お給料もなかなかよくて、会社も人もよくかなり自由で、彼としては大満足の職場みたい。オフィスもアパートから5分のとこで、ローリー(Raleigh)の空港までは20分くらい。周りにいろんなスーパーマーケットやらいろいろ揃っていて、なかなか便利なところだよ。
 

プールもあってすみちゃんと泳ぎました。部屋もなかなか広いからお父さんも泊まりに来て、すみちゃんと寝てね。

しばらくして落ち着いたら、どこかいいDaycareを探して子供を預けて私も仕事をしようかなと思ってます。 その前に、運転免許証をとらなければね。

食事はお母さんが毎日Cookしてくれてます。スーパーに日本のお米、のり、カレールー、ぽんず、しょうゆ、わさびなど売ってたよ。日本からの荷物はお母さんが帰った後の16日に届きます。

ベットは三つこちらのお父さんからもらって、初日からいいベットで寝てるよ。すみちゃんと会えなくてさみしい?お母さんは 「じじは買い物に行ってる」 と説得してるよ。今は毎日お母さんと寝ているけど、最初の日以外はとってもいい子にしてるって。

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ノースカロライナから

2008年06月09日 | アトランタ便り

39_2  これまでインターネットの環境が整わず、時差もあって思うに任せませんでした。やっとメールできることになりました。スミレのgrandfatherのところから車で約2時間半のアパートに引っ越しました。24時間同然の子守はなかなか骨がおれます。特に車での移動は長時間で子供が退屈するので当方が大変です。しかもベビーシートに縛り付けられているので可愛そうです。ここでは子供を膝に抱くことは許されません。どこまで行っても同じ風景、そこは北海道と似ています。

 スミレの日本語はこちらに来て一段とその体をなしてきました。環境が変わり、母親まで当地の人と英語でやりとりしているので、今まで以上にババの私を頼りにしているようです。その分私の負担は日本にいたとき以上です。寝つく時のリクエストの一つがヨイヨイヨイヤサーコウナンコウナンの例の渋谷おはら祭りです。これまで歯磨きの時は泣き叫んでいましたが意外にも静かにさせるようになりました。

 スミレの母親の英語はほぼ完璧に通じるので、当地の人もナチュラルスピードで話してきます。そんなぐあいだから私の英語は通ぜず難儀しています。これからのことですが、母親は子供を預けて働きに出た方が皆が幸せになるような気がします。日本からの家具や台所用品がまだ届かず、小さなまな板や高い流し台で肩こりに悩まされています。娘や孫の世話がやけて幸せと思うべきでしょうか。それにしても片道14~15時間の飛行機の旅というのは遠すぎます。

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2008年06月08日 | 捨て猫の独り言

 俗語で kick the bucket は死ぬという意味らしい。死ぬことは森羅万象に溶け込むという静謐な印象をもつ私にとって、バケツを蹴飛ばすとはなんとも騒々しく思える。The Bucket List というアメリカ映画を見た。邦題は 「最高の人生の見つけ方」 という。大富豪をジヤック・ニコルソン、自動車修理工をモーガン・フリーマンが演じている。ともに1937年生まれで、監督は1947年生まれのロブ・ライナーである。

 棺桶リストとは棺桶に入る前に体験したいものを書き出したリストのことである。余命6ヶ月の二人はそれを実現するために冒険に飛び出す。タージマハール、ピラミッド、ヒマラヤなどを訪れ、スカイダイビングやレーシングカーに挑戦する。資金力にまかせてそれらをつぎつぎにクリヤーしていく。それはそれで痛快であるのだが、それとは別に心から求めていたものがそれぞれ身近に存在していたのだった。

 つい先日私の身近でもそれと似たことが起きていた。曾孫のアメリカ行きを見届けるため、はるばる鹿児島から東京まで出向いて来た私の父と母の場合がそうだ。この時を逃してはできないことを実現して満足しただろう。映画を見てから私はつぎのように思えるようになった。体が動くうちは大いに無理をして周囲をハラハラさせてもいいのだ。

 前から一度は出かけようと考えていた。この機会に初めて競馬場に出かけた。私も棺桶リストの作成を始めたようだ。府中にある東京競馬場は意外に近い。梅雨の晴れ間の土曜日に一日中競馬場にいた。退屈させてくれなかった。改装されて清潔感に溢れていた。競馬場にピクニックに出かける家族連れも多い。緑が多く授乳室からレストランまである。場内をあちこち見て回った。そして改めて己の勝負弱さを思い知った。レースの方は12戦全敗である。ただし大富豪ではないので損失額は軽微であった。

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