玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

一緒に・飲み食べ笑う

2008年03月27日 | ねったぼのつぶやき

 その人に会える!厳しい病を得ながら医学の進歩を願い勇気あるTV出演した同期生。最新治療の中継を見ながら、家族同様に効果の持続を願い固唾を呑んで見入った一年前。長足の進歩を遂げながら未だ再発を繰り返すこの病は、今後果たして克服できるのだろうか?

08maru_009

 同期生の一人のお宅で集まりがあった。主催者の好意でこの数年開かれ21人名参集した。その席に回復した彼が九州から駆けつけた。前日マージャンに興ずるため上京し夕方到着した。日焼けすらしている彼は快活に笑い、食べ、飲み一番若やいでいて皆を驚かせた。

 途中彼は「病との闘い」を報告した。この数年手術以外のあらゆる治療をやった。藁をも掴む思いは誰も同じで、ムダな治療や人が笑うようなことまでやった。多くの人の好意を受け、自分自身も学習を重ねより効果的な治療や、保険の及ばない先進的で高価な治療など繰り返した。そして今その数値は0となり、何をしてもいい体になれた。「決して諦めてはいけない。色んな段階で選択を迫られる。そんな時に私が参考になれば嬉しい。連絡を待っている」と言って喝采を浴びた。克服出来た事例は皆に灯りを点したようだった。(佳香を放つ沈丁花)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*毎月20日は

2008年03月25日 | 捨て猫の独り言

 月に一度の参禅会に参加するようになってまだ一年にならない。職場の私の隣の席に高円寺のお寺の若き住職がいた。うらやましいことに彼は2つの職業を持っている。参禅会は誰でも参加できて、8月をのぞく毎月20日に午後6時から行われる。好奇心から参加を願い出た。参加費は無料どころか、最初に何種類かの菓子と缶入り飲料が配られるのでそれぞれ家へ持ち帰ることになる。

 参加者は僧侶が多くて一般人を含め25名前後である。まず最初に講話がある。講師は駒澤大学名誉教授で泉岳寺住職の小坂機融氏である。毎回レジメが一人一人に手渡される。大智禅師発願文 「願わくは、我れ此の父母所生の身を以て、三宝の願界に回向し、・・・・」 を全員が唱和して始まる。短い発願文の全部を理解したわけでないが唱和には慣れてはきた。 「永平祖師家訓綱要・第六世伝三味訓・第○○則」 がシリーズで解説される。私にとってかなり難解で眠気に襲われる。居眠り坐禅はいけませんよという話が出ることもある。いつも予定の1時間を30分ほど超過して終わる。3年ほど前に高円寺近辺の寺が相談してダメもとで小坂氏に講師をお願いしたら引き受けてくれたという。

 本堂での静寂の坐禅は20分ほどだろうか。その後その場で 「普勧坐禅儀」 の唱和が20分ほど続く。中国で5年の参学を終えて28歳で帰国した道元禅師が真っ先に著したものである。内容は 「坐禅は静かなところがよろしい。食事は節度をもって。日常生活を完全に離れ、今までかかわってきたものを全て捨てる。よいとか悪いとかの考えを捨て、考えること、あるいは悟ろうとすること、一切の意図や思いをめぐらすことをやめる。座る時には、厚く敷物をし、坐蒲を使う。・・・・・」  と始まる。臨済宗では、指導者から与えられた古人の問答を坐禅研究して悟りを目指すようだが、曹洞宗では坐禅は何か目的を達成する手段ではなく、その日常を捨てて本来の自己に親しむ行為と見ているようだ。

 太鼓や木鐸や鐘で作法どおりに進行し、しかも僧に交わってする坐禅は私にとって非日常だ。月に一度だけだがこのようにお寺という場所に身を置くことを貴重に思う。それは例えば人が都市を離れ満天の星空を見上げ広大な宇宙を感じるのと同じようなものかもしれない。この参禅会の時以外に自宅で坐禅することはまだない。週末は孫の子守に追われるなど相変わらずあわただしく過ぎてゆくが、この子守もいつまでも続くわけではない。今は孫の存在によって命の不思議を思い起こすことが多い。 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のささやかな贅沢

2008年03月22日 | ねったぼのつぶやき

 定例的なささやかな贅沢の一つは、市民ホールでアフタヌーンコンサートを聞くことだろうか。一段高い舞台と200席弱の客席が連結していて、演奏者がよく見え、息ずかいまで聞こえてくる。1500円なのでいつも2枚求め、友人知人を誘って出かけている。

070404_028

 昨日がその日だった。駅で友人と落ち合い、木立を縫って老舗の料理屋に向かった。道すがら、主の手により溢れんばかりの草花をもつ知人の庭を訪ね、クリスマスローズの株分けした鉢を頂く約束をした。予約していた料理屋は樹木に囲われ純和風の庭作りだ。内庭には回遊池を配し、庭石と実物大の水車、ししおどしが音を響かせ何れも苔むしている。山野草の中に建つ茶室で頂いたお茶をは美味。ガラス越しに庭を望みながら、ユッタリ和風御膳を楽しんだ。

 その友人はかっての同僚で遠距離通勤していた。夫のことを悪し様に言っては私を笑わせていたが、病を経て日常生活に多少の不便を覚えるようになったようで、「この頃、優しくしているの。ヤッパリいてくれないと困るしね」と述懐してまた私を笑わせた。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*布施明ライブ

2008年03月18日 | 捨て猫の独り言

 昨年の暮れに手に入れたチケット2枚を探し出すのに慌てるほどだった。日曜日はいつもの孫の子守であるがこの日も引き受けてしまった。そこで2時過ぎには引き取りに来るように手配して無事に引渡して、5時半開演の府中の森芸術劇場に出かけた。私にとってこの種のショーに出かけるのは、さとう宗幸と都はるみと今回の布施明ということになった。こちらはくしゃみと鼻水と目の周りのかゆみに悩まされながら布施明の伸びやかな歌声を聞く。芸の世界で生きる者たちには花粉症に悩まされている者はいないのかと思ったりする。

 還暦を迎えたばかりである。私の3つ違いの弟と同じ年だ。府中出身という。そのせいだろうか来年1月7日に再びこの会場で正月公演をやることを決めたと早々に発表していた。昨日の中野サンプラザホールに続き連日の舞台である。ハリウッド女優のオリヴィア・ハッセーと結婚し一人の男児が生まれたが離婚した。その男児のことを語った。面会交渉権を得たがその権利には義務が生じる。会いたいときに会えばいいというものではなかった。そのうち帰国して子供とは夏休みにまとめて日本で会うことになった。そこで2ヶ月ほどの幼い子供との生活で自分には夏休みというものがなくなった。空港に迎えに行くと一人での飛行機の旅に緊張したのか車の後部座席ですぐ眠りに落ちる。ところが帰国する時の車の中では助手席に座り、こんなことあんなことがあったねといつまでもいつまでも日本の夏の出来事を話し続ける。

 映画クレーマー・クレーマーというのがある。アメリカでは離婚訴訟が多い。裁判所の掲示板に ○○・クレーマー VS □□・クレーマーの訴訟と出るわけです。映画の題名はそこからきています。裁判は争うほどに罵りあうようになり当事者の仲はそれまで以上に険悪になっていきます。日曜日の公園に行くといたるところで私のような父と子が時を過ごしているのを見ることができます。さて成田空港で息子を見送った後の一人だけの車の中で決まって口ずさんでいる歌があります。しかも口に出るのが不思議と同じ場所なのです。それはダニーボーイという歌です。そんなことを繰り返して息子は現在25歳です。

 帰宅してネットで布施明について調べる。このような場合できるだけ白紙の状態で感受したいから予習よりも復習に心がけている。シクラメンのかほりのヒットが28歳のときで33歳で結婚し9年後に離婚している。趣味は陶芸とゴルフとある。横浜市立大学学長の布施勉は実兄だ。久しぶりに外で食事して帰った翌日の朝、庭の沈丁花の蕾が白っぽく見えた。近づいてみるとかすかにあの香りがする。うれしいことにさっそく今年から香ってくれた。 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハテさてどうしましょう

2008年03月14日 | ねったぼのつぶやき

 と、思わず立ち尽くす。年々高齢化の波は押し寄せ、マスコミのあらゆる場面で語られ、チャンネルをひねればイヤというほどその種の番組や特集に出くわす。我が家の同居人は目を覆わんばかりにして「それほどまでして生きたくない」と眉をひそめてのたまう。

0802_019

 日々頭脳を鍛えた方がいい?否、呑気な方がいい?メカニズムは解っても決定的な予防策はなく手の打ちようもない。従って「認知症になってしまったら」の不安とは無縁でいられない。(蕗みそ、天ぷらを堪能)

 今後その辺をターゲットにしたハードの市場が更に拡大されることに期待しよう。が、ハテさて私はいかように自衛しましょう。自衛したとて何の保証もないけれど、適度な運動を習慣化し、魚、野菜を多用した食生活で体重と体調管理をし、程々の労働で快く疲労して睡眠をとり、社会との接点を楽しみましょうか。とみると何も「特別な事」はない。プラス誰彼のお役に立てることに感謝し、気持ちを言葉で表現しよう。コレこそ一番難しい?

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*今年の春

2008年03月11日 | 捨て猫の独り言

 師走は風邪のためインフルエンザの接種を断念した。この三月にも風邪で咽を痛めていまだに咳に悩まされている。よくよく風邪を引くものだと感心する。風邪と縁を切る方法はないものだろうか。毎年こんなものだったか。すでに一年前の記憶はない。

 春は空気も乾燥して土ぼこりが舞う。とりわけ西日本では大陸から黄砂が飛来するという。植物が芽吹き始め、あらゆる生命が躍動し始める。大気中に雑多なものが浮遊しているように思われて息苦しくなるほどだ。花粉症もあってあまり好きな季節ではない。

 春は別れの季節でもある。二月末に3泊4日で鹿児島に帰省した。1月3日に生まれた赤ちゃんとそのひいじじとひいばばとの面会を実現するためである。娘の産休は2月末までであった。娘と二人の幼子は新緑の季節にアメリカに移住する予定だ。婿どのはこの4月一足先に帰国の予定である。新生活のスタートにあたりアメリカの景気減退は気になるところだ。それまでの4月と5月の2ヶ月は親子3人が我が家に寄宿する。

 庭の白梅が今満開である。他の庭木は落葉したままだから白梅はまるで造花のようだ。ヒヨドリやメジロが飛来して花びらを散らしている。3月に入って沈丁花の香りがほのかに漂い始めた。といっても道路を隔てた東隣の家のものである。そこでは赤い蕾の群れの一部分が白く開花している。私の沈丁花の蕾はまだ赤のままである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本は全部読み尽くした

2008年03月07日 | ねったぼのつぶやき

 その人(80代)は連日ディケアーにお出でになる。長らく公務員を続けてきたという自負に満ち満ちている。日に何度か繰り返される「ノートは出したかしら?今日は何曜日?私の手袋、帽子はどこ?同じ話の繰り返し」等を除けば、発言は一見正論で明晰でさえある。彼女の日々の会話から仕事や勉学に打ち込んでいらしたろう様子が伺える。それだけになお、今こそゆったりと穏やかな日々を過ごして頂きたいと思う。

Peace_boat215

 しかしそれが難しい。彼女の内面はかっての続きの中にあって、「話し合いを深め、どう工夫したら日々の生活を楽しめるか議論すべき」「私は長らく生き、戦争を潜りぬけ大抵の経験はしてきた。解る範囲でお答えします。何でも聞いて下さい」と毎日おっしゃる。彼女と他メンバーの充足感は一致せず、やる事成す事全てが面白くない。楽しみである食事すら面倒そう。

 脳トレ式のパズルやカルタ取りは時に楽しめても、ゲームや折り紙、作品づくり、カレンダー作りなどは専門家が教えてくれるなら兎も角”ヤッテラレナイ”。ここの本は全~部読みつくした(?)と言い切る彼女の高説を拝聴する職員が一人侍り、何とか一日を過ごせている。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*野茂と松井稼に注目

2008年03月04日 | 捨て猫の独り言

 だしぬけに今年はMLBの応援に精出すことに決めた。昨年のワールドシリーズの全4試合を目撃したことがキッカケになったかもしれない。人の関心事は移ろいやすい。私の場合、すべてにおいて何を会得することもなく飽きて移ろいそれぞれに中途半端な思いを残すばかりだ。しかしその時々の選択の結果であるから後悔などしてもはじまらないと言い聞かせている。

 かって巨人大鵬卵焼きといわれた時代があった。そんな時代にスポーツ紙を宅配で購読することは珍しかった。中学生の私はこらえることができない。駄々をこねて短期間購読することになった。両親はそれぞれ地方のそのまた地方で勤務していて同居してなかった。さびしい家庭環境(当時そのように思っていた)と共になぜか急にスポーツ紙のことを思い出した。生活様式は激変しネットでMLBの情報などいつでも手に入れることが可能だ。

 私の注目は日本で開幕戦を行うボストン・レッドソックスの松坂ではない。今年の8月に40歳になる野茂英雄である。日米両国で新人王、メジャーで2回のノーヒットノーラン等数々の実績を持つ。06年の6月に右ひじの手術をしてこの2年間メジャーでの登板はない。今年になってカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約してメジャー昇格を目指す。監督はもと日ハムのヒルマン監督だから何かと心強い。現在はトルネード投法を捨てセットポジションから投球している。大阪育ちだがルーツは南島だと聞いたことがある。ぼそぼそした語り口はまさしくそうだ。40歳のメジャー勝利を期待する。

 もう一人は松井稼頭夫である。こちらも大阪育ちで32歳だ。メジャーに移った当初は苦しんだが昨年度はやっと本来の力を発揮した。今年は招かれてヒューストン・アストロズと3年契約を結んだ。私のむこどのがひいきのチームである。生え抜きのビジオ二塁手が引退しその後を松井が任されることになった。私が西武球場に足を運んでいた頃に俊足強打の遊撃手として活躍していた。そのむこどのが4月早々に帰国し残りの家族は5月末に移住する予定である。私だけアメリカはまだ一度も訪れたことがない。メジャー観戦が近いという予感がある。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする