玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*新刊書を読む

2018年04月30日 | 捨て猫の独り言

 24日に都立薬用植物園に立ち寄ると、ヒトツバタゴ(別名ナンジャモンジャ)やハクウンボク、イチハツ、フタリシズカ、キンラン、ケシなどに出会うことができた。ナンジャモンジャとは見慣れない怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称という。ヒトツバタゴを指すことが多い。花は新緑に降る雪という印象である。

 

 昨年12月に刊行された新潮新書「未完の西郷隆盛」を読んだ。著者は1975年生まれの先崎彰容で副題は「日本人はなぜ論じ続けるのか」とある。著者にとって西郷研究は未完。その西郷を手がかりに日本の「近代」を問い直した福沢諭吉、中江兆民、頭山満、橋川文三、江藤淳の五人を取り上げている。五人にとって西郷は「反近代の偶像」だった。

 終章の標題は、司馬遼太郎「翔ぶが如く」の問い となっている。司馬は大久保の近代化路線を手放しで肯定することはなかったが、それに抵抗した西郷への評価はさらに低かった。司馬が西郷に辛口だったのは征韓論を嫌悪したから。司馬が最も重んじたのは「リアリズム」だった。

 第四章の橋川は1960年代の言論界を牽引し、「日本浪漫派批判序説」などの著作のある政治思想史研究者。五年にわたる南島時代が西郷の人生観・死生観に何か決定的な影響を与えたという新たな視点を導入した。橋川が三島由紀夫の西郷理解に対抗していくうえで重要な意味を持ったのは、島尾敏雄との対談。島尾のヤポネシア論はもう一つの日本、つまりヤポネシアの発想の中で日本の多様性を見つけること。他にもう一人、吉本隆明はヤポネシア論に触発されて「天皇と南島」をめぐる独自の理論を打ちたてた。

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*切り抜き帳から

2018年04月23日 | 捨て猫の独り言

 朝鮮半島から目が離せない。27日に南北首脳会談、来月中には史上初の米朝首脳会談がある。南北の首脳会談は、いずれも左派の大統領、金大中、盧泰愚に続いて今回で3回目となる。文在寅大統領の統一に対する立場は二つの主権国家を前提とした連合制だ。首脳同士など多くの会談を定例化しヒトとモノの行き来を進める。

 金正恩は3月26日に習近平と会談した際「米韓が我々の努力に善意で応え、平和の実現に向け段階的な措置をとれば非核化の問題は解決できる」と述べた。韓国の専門家は「善意」は経済支援、「平和の実現」は在韓米軍の縮小や撤退などを表す。「段階的な措置」は米国の対応を見ながら合意を重ねていきたいという思惑を示したものと指摘。朝鮮半島情勢のイニシアティブは、今ソウルが握っている。

 

 台湾の蔡英文大統領の最近の支持率は3割台、不支持率は4割台で推移し、16年の総統選で政権交代したときの勢いはない。蔡氏は11日、官房長官にあたる総統府秘書長に南部の高雄市長を務める陳菊氏を起用すると発表した。陳氏は民進党の創設メンバーで、アニメ番組のキャラクターのあだ名で呼ばれるなど党内外の支持が厚い。これで総統府ツートップともに女性となる。政権の中間選挙となる今秋の統一地方選を前に求心力を高める狙いだ。

 マレーシアでは連邦議会下院の総選挙が5月9日に実施される。ナジブ首相率いる与党連合とマハティール元首相率いる野党連合の激戦が予想されている。マハティール氏は1981年から5期22年にわたった首相時代、師弟関係にあったナジブ氏を主要閣僚として引き立てた。09年に首相に就任したナジブ氏がマハティール氏が進めたマレー系住民の優遇政策「ブミプトラ政策」の一部廃止に踏み切ったことなどから関係は悪化した。92歳の元首相の復権なるか。

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*東シナ海を漂流

2018年04月16日 | 台湾のこと

 朝鮮半島の非核化と和平が実現して欲しいと切に願う。米韓に続き中国も北朝鮮との対話に乗り出した。中でも韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に期待し、その行動を注視してゆくつもりだ。関係各国が対話を生かし合うことを願う。(ニリンソウ、シャガ、イチリンソウ)

 つぎのような興味深い新聞報道があった。台湾東部の宜蘭県の海岸で、海岸清掃中の地元の小学生が3月27日に貝や藻に覆われた防水ケースを拾った。中にはデジタルカメラがあり、バッテリーも生きていた。持ち帰って調べると石垣島の商店街の風景や、日本人らしい若者がダイビングを楽しむ様子が記録されていた。

 学校は中国語と日本語のメッセージと共に保存写真をフェイスブックに掲載。28日には東京の上智大生3年、椿原世梨奈さんからの連絡で持ち主と確認。石垣島と台湾の間では海流が南から北へ流れる。直線距離は東から西へ約200㌔だが実際の漂流ルートは分からない。

 宜蘭の小学校の教諭は「写真が残っていたのにも驚いたが、ネットを通じて日本の持ち主がすぐに見つかったのもすごい」と話している。椿原さんは朝日新聞の取材に「カメラを受け取りに行き、児童にお礼を伝えたい」と話した。宜蘭と言えば明治の頃、奄美生まれの西郷菊次郎が宜蘭長官を務めている。その後、菊次郎は京都市長も務めた。

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*絵の中の女性たち

2018年04月12日 | 捨て猫の独り言

 写実の王道を歩むという世評がある美術研究団体の白日会でも、日展参加組と不参加組がいて相互に刺激し合っているという。今年の白日会展の女性を描いた作品から、そのごく一部を取り上げてみた。(写真はクリックで拡大)

 つぎの作品などは、白日会が主張する「見えるものを通して、見えないものを描く」のが「写実」ということを十分に示しているかのようだ。

 

 つぎは一般入選の作品で「旅立ちのメロディ―(濵元ヤロスラヴァ)」と「小さな小説家(森重美香)」いずれも鹿児島だ。

 

  そのほかいろいろ。

 

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*ヒトリシズカ

2018年04月09日 | 玉川上水の四季

 オープンギャラリーが主宰者の鈴木さんの家庭の事情で閉鎖となったのは昨年の6月だ。土地は第三者の手に渡ったという話だが、ギャラリーは展示がないだけで元のままの姿で放置されている。あれ以来、鈴木さんとはお会いしていない。

 しかし観察会の消滅を惜しむ人たちが参加して、鈴木さんのいない観察会が続いている。鈴木さん作成の近年のパンフレットには、コース略図と観察のポイントが記されている。そのパンフを再活用して、それに忠実に歩くのだ。

 皆で鈴木さんの再登板を待ち望んでいるのだが、残念ながらいまだにその気配はない。ギャラリーの展示と観察会は9年間続いた。スタートが私の完全退職とほぼ時期が重なり、「季節の狩人」に導かれて多くのことを学びそして目にすることができた。

 鈴木さんのある年の「春分」のパンフに、玉川上水の上流にあるヒトリシズカの群生地が紹介されていた。私の「片道1時間歩き」の西の目的地点を金毘羅橋に決めた時から、「春分にはヒトリシズカに会う」ことにしていた。春分終盤の4月3日に出かけてみたところ、鈴木さんの紹介通りその場所にはヒトリシズカの可憐で清楚な姿があった。(金毘羅橋辺り)

 

 

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*霊園と展覧会と

2018年04月05日 | 捨て猫の独り言

 昨年から絵画と彫刻の「白日会展」の招待状が手に入るようになった。開催場所は日展と同じ新国立美術館だ。開催期日終了間際の日曜日に出かけた。新国立美術館に行く時は青山一丁目駅で降りて青山霊園に立ち寄ることが習いになった。青山一丁目駅は大江戸線、半蔵門線、銀座線の三つの地下鉄の駅である。

 霊園の中央を一方通行の道路が南から北に一直線に走り車の通行量も多い。その「墓地通り」の北のはずれに管理所がある。都立霊園の中では最高の使用料の霊園だけあって、案内図の他に、大久保利通や高木兼寛など10名を顔写真入りで解説した豪華なパンフレットが置いてある。(高木兼弘の墓所・クスの大木があった)

 

 園内を縦横に走る桜並木の下は落花で埋め尽くされている。大久保利通のすぐ近くにある斎藤茂吉の墓所に気付いた。それからパンフに紹介のあった慈恵医科大学の創立者高木兼寛と物理学者の長岡半太郎、ペスト菌の発見者北里柴三郎の三か所を訪ねた。園を四分割するように東西に走る一般道路を下ると乃木坂駅に着く。

 白日会展は第94回を迎える。白日すなわち太陽を象徴する八咫烏を会章としている。会員、準会員、会友が存在する。今回の絵画の展示作品数は順に240、115、116点で他に一般公募の入選200点で合計671点だ。他に彫刻が68点である。膨大な数の作品群の中を、足早に会場を2回巡る。(鹿児島在住の会員・塩屋信敏氏の作品・「南風」)

 

 

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*思い出ベンチ

2018年04月02日 | 捨て猫の独り言

 都の「思い出ベンチ事業」を知ってから、小金井公園を訪れた時の楽しみが一つ増えた。それは、木製のベンチの背に埋め込まれた名前入りのプレートの文言を読むことだ。いろいろ考えぬいて決めたであろう文言に、それぞれの生活がにじみ出る。その一部しか見ていないが、いくつか紹介したい。あるものは墓標のようでもある。

  

 「毎日夫婦で一万歩。たくさんの樹、草花、風、光、思い出よ永遠に。ありがとう。2005.1」 「四季折々の想い出が一杯の此処であなたの笑顔と暖かさと強さを偲びます。2006.8」 「姿は見えなくてもあなたが此処に居る、という真実を 2007.6」 「桜、新緑、こもれび、そよ風、雪景色みんな大好きだった公園の思い出は永遠です。2008.4」「長い間、会社生活お疲れ様さま。定年退職記念に、感謝をこめて、ありがとう 2011.3」 

 「天の恵み、地の恵、笑顔の恵ありがとう 三陸からの警告、巨大地震を考えよう 2014.10」 「今この時をみんなと笑顔でたおやかに過ごしたい。それが私達のささやかな願いです。2015.1」 「たくさんの思い出をありがとう 二人で築いた家族と共に新しい出発をします。2016.8」 「私達にとってこの公園は主人は走友会の人達と走り、私は主人と桜を楽しんだ公園です 2016.8」

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